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同人誌はプレゼントを用意する感覚に似ている

同人誌を頒布していると、よく"売り物"を用意していると間違われることが多いのですが、私自身は"売り物"を用意してると思って準備を始めると、マジで筆が進まなくて困ります。

こちとら“みんなにとって必要なもの”を用意してるんじゃなくて、“こっちから押し付けたくてたまらないもの”を用意してる訳ですよ。
「みんなどんなのが読みたいだろう?」ってところに重きを置きすぎると、マジで迷走します。

「誰に必要とされなくても、私自身が読みたくてたまらない!!」って物を作ることができれば最高なのですが、とは言え人間という生き物は、元々“他人を喜ばせたい”という風に作られている生き物なので、自分を喜ばせることだけに一生懸命になるのは、一瞬はできても、続けていくのは私にはちょっと難しいです。
自分の喜びは、得られなくても我慢すれば済んじゃうしね。

私が一番モチベーションが持続したのは、「これを発行すれば、大好きなフォロワーが死ぬほど喜んでくれる」という姿が想像できた時でした。

100人に見られる必要もなくて、そのたった一人を喜ばせるために筆を動かしている時が、同人活動の中で一番楽しかったです。
もちろんその一人とは、死ぬほど性癖で殴り合うし、「それいいよね!!!!」って同意を繰り返し続けてきたと思います。

いつもどのジャンルでもそういうキーマンとなる人との出会いがあって、そのたった一人と互いに褒め称えあったり、打ち上げをするために同人活動をしてきました。
それが100人にも同じように伝わったら嬉しいし、誰にも伝わらなかったらちょっと寂しいなというくらいの感覚でした。

だから1コマ1コマ描いていくことが、大好きな人の喜ぶ姿を思い浮かべながら進めることができたし、「このコマ絶対アイツに刺さるやろ」って会心のコマを描けた時とか最高でしたね。
実際に「このコマ刺さった」と言われた時の喜びは、多分生涯忘れることができないと思います。

だから同人誌は、売り物ではなくプレゼントを用意している感覚なのです。

レイトンでも互いに性癖で殴り合う仲間が何人もできましたが、年を追うごとにそれぞれ別ジャンルに燃え始めたり、なんとなく疎遠になったり、私もリアルに追われてしまったり、気付いたら同じ歩調で歩いてる人が見当たらなくなってしまいました。

引退なんてのは大袈裟ですが、「もうそろそろいいかな」と思う時期ってのは、そんなもんなのかもしれないですね。

同じ歩調で、同じように大切にしたいものを、同じように大切にできる人と歩いていくのは、同人活動に限らず何でも楽しくて仕方がないものだと思います。

人生を豊かにしていくコツは、“何をやるか”ということではなくて、“そんな人をいかに増やしていくか”ということなんじゃないかなと思いながら、私はオンラインでもリアルでも、人たらし野郎になれるよう努力を重ねていくわけです。

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