見出し画像

牧の自己紹介note

初めましての方もそうじゃない方もこんにちは。
この挨拶の仕方って何かいいよね。Youtubeの始まりのよう(謎感覚)

先日「同人活動引退しようと思ってます」ってnoteを公開したのですが、よくよく考えたら「そもそも牧って何者なの…?」って人の方が多いんじゃないかと思って、改めて自己紹介noteを残しておこうと思いました。

よくレイトン関連のツイートでバズる人、pixivにレイトン創作をやたら公開している人、入り口によってご認識は様々だと思います。
長年Twitterをフォローしてくださってる皆様におかれましては、断片的にご存知かもしれないですね。

そもそも牧を分類すると「同人出戻り組」に該当すると思います。
若い頃ブイブイ言わせていた経歴を持って、結婚や出産が一段落した段階で、特定ジャンルに沼落ちしたパターンです。

若い頃はそれなりに旬ジャンルに絡まったりしながら、14歳から“おでライ”にサークル参加をし続けてきました。
元々同人活動に割くリソースがおかしい人間で、1ヶ月に1冊は本を出すという異常行動を行う女子高生でした。
その割に努力は嫌いなので、描画スキルは決して高くないところがネックです。

高卒で社会人になってからは更に歯止めが効かず、春夏冬GWに加えて大阪インテに飛行機入りするイカれポンチで、当時mixiもなかった時代に、自分でプログラミングして10,000人の会員登録制ファンコミュニティサイトを作ると言うイカれっぷりでした。
ちなみに当時の常連とは何度かオフ会を重ね、結婚式にも呼んでいただける程の仲であることはちょっとした自慢です。

そっから何か分かんないけど21歳で結婚することになり、22歳で出産してからは子育てに一生懸命に生きて行くわけですが、長子が9歳の誕生日を迎えた頃、どうしようもなく沼落ちしてしまったのが『レイトン教授シリーズ』でした。

それはシリーズが終了した1年後の2014年3月のことでした。
ビックリしました。
「いやこれ大量の二次創作あるだろ」
と思って自信満々でpixivの検索かけたら、マジでなかったんですよ。
そこから何か厄介な使命感に目覚め、「私がpixivの投稿件数を増やす!!」と言わんばかりにファンアートを描きまくってました。
やると決めたらアホなので、寝ないで毎日描いて旦那に心配されてました。

まだ子育て真っ盛りだったので、自分の時間というものが本当になくて、夜は子供達の寝かしつけと共に就寝し、朝3時に起きてひたすら描いてました。
バカなので1ヶ月に100枚とか原稿を描いて当時開催のオンリーイベントに臨みました。
人生で一番充実した1ヶ月だったんじゃないかと思います。

オンリーイベントをきっかけに、主催やサークル参加の方々と仲良くなり、私はその後もTwitterを通じてレイトン好きそうな人を片っ端からフォローしては「レイトンいいよね!!!!!」という擦り寄りを繰り返していました。
全盛期は「レイトンのワードを呟いた人を自動取得する」というツールを使ってレイトン好きそうな人を割り出していました。もはや執念。
当時私に捕まったフォロワーは「レイトンいいよねって呟いたら、どこからともなく飛んできた牧さんにフォローされた」と口を揃えて言っています。怪奇現象かな…?

日本で活動している方が少ないのが寂しすぎて、英語もできないのに海外SNSにも登録してレイトン仲間を増やしていました。オタクの愛に国境は関係なかった。

そうやって仲良くなった方々とアンソロの企画をしたり、次のオンリーイベントの企画をしたり、まあ楽しく過ごしていた訳ですよ。
レイトンについて語れることが楽しくて仕方なくて、Twitterとイベントが生活の中心だったと思います。最低な母ちゃんだな。

ところが2015年夏、事件が起こります。
俺達が楽しみにしていた新作『レイトン7』の告知ページが、ノーアナウンスで謎の消失を遂げました。
公式の仕打ちに「俺達の愛はその程度のものだと思われているのか!!!!!」と一念発起し、有志を募って署名活動を始めたのがその秋でした。
そこから1年半かけて世界中のレイトン仲間の協力を得て、1,738人分の「レイトンシリーズ続編嘆願署名」を日野晃博に直接送り届けた人間が私です。
いやあ、愛って怖いですね(他人事)。

署名活動がレベルファイブの運営にどんな影響を与えたかは分かりませんが、結果として『ミステリージャーニー』は発売され、発売記念イベントとして世界規模のナゾトキイベントが企画されました。
3ヶ月かけて繰り広げられたナゾトキ企画を世界中のレイトンファンと共に挑んだ日々は、本当に楽しかったです。お陰様で世界ランキングは16位で終着でした。ありがとうございました。

アニメシリーズも最高でした。
この人をずっと推し続けてきて良かったと日曜朝のリビングで毎週号泣していました。
割とその辺りの公式供給から「そろそろ自分が二次創作しなくてもいっかな」って気持ちになっていました。公式供給最高。

数年かけて様々なイベントやオフ会を企画させていただいて来て、本当に充実した数年間でした。
全力で挑んだ経験は今に生かされ、お陰様で個人事業主としてイベント事業や広告業の助っ人として重宝していただけるようになりました。
オタクに全力で挑むのも悪くねぇな。

オタクに限らず、その時にやりたいことを、あらん限り挑むということは、必ず何かに繋がっていくのではないかと思います。
私も勉強しなさすぎて、小遣い貯めて買った絵描き道具一式を親に捨てられると言うような憂き目にあったりもしましたが、5年何にもしないで過ごすのと、5年かけて何かに本気で夢中になるのとでは、その後の経験値が全く変わってくると思います。

AI時代にあって、物凄いスピードで世の中が変化していく中、常識というものは日々覆されています。家族や教師の言いなりになって、生きたい生き方もせずに時間を浪費していく方が、リスクとなる世の中なんじゃないでしょうか。

そんな事を思いながら、私は今日も、やりたいことをやりたくて我武者羅になっている方々の応援団をやらせていただいている訳です。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?