吉野 真徠|旅するアナウンサー

よしのまき|旧名:高木真紀|司会・ナレーター・パーソナリティ+音楽事業者向け業務改… もっとみる

吉野 真徠|旅するアナウンサー

よしのまき|旧名:高木真紀|司会・ナレーター・パーソナリティ+音楽事業者向け業務改善支援|Voicy毎日新聞ニュース火曜|公認ワーケーションコンシェルジュ|とやまふるさと大使|富山→洗足音大→ライブ制作→富士通CSのSV→いま

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私事ですが、このたびシェアハウスに引越しました。

場所は旧居の隣町。 駅に近くなりアクセスがより良好になりました。 しかも年齢性別国籍問わないハウスなので、日本人の方が少なくて多様性を肌で感じています。英語も日常に。 設備は新品ピカピカというわけではないのですが、あるものをみんなが大切に使っています。週2回の清掃が入って綺麗にしていただいています。居心地とてもよいです。 ひとりだし、全てを所有する必要もなく、旅で居ない間のコストだってもったいなくて。仕事することと寝ることに特化したお部屋に整えることができました。 シ

    • めまいで救急搬送された件

      めまいは初めてではなく、3回目。 初回は9年前。ソチオリンピックの頃だったので覚えています。 でもその次がどうしても思い出せない。 搬送時に色々と過去の症状をヒアリングされたのですが、案外覚えていなかったので、わたしのための記録として残しておくことにします。 「めまいは安静にしているだけでは治るものではない」 6月も終わりに近づき、雨と晴れ間が交互にきている時期。夕食をとったあと視界が少しまわってふらつきがあることに気づく。「低気圧のせいかな。だったら寝たら治るかな」と

      • 2023年折り返し地点

        この半年を振り返ると、ひたすら弱点が目の前に現れては克服し続ける前半戦でした。 よく戦いました。 えらい。 長所を伸ばすのも大事だけど、弱点に対応できるようになるのも大事。 そんな気づきがありました。 そして「周りに甘える」というたくましさを、40代になってようやく身につけられた気がします。ここ2年ほどで出逢った人たちが、わたしを強くしてくれています。 「強くなる」というのはきっと「自分の弱さを知る」ということ。 自分の弱さがわかったからこそ、20年ほど前に出逢った

        • 「いろいろやってますね」と言われがちな就職氷河期世代

          「いろいろやってますね」って言われがち。就職氷河期世代ってだいたいこんな感じ。ジェネラリスト養成ギブス。飲食から金融行政医療美容放送スポーツなどいろいろな業界を垣間見ることができて楽しい。そしてわたしは音楽に戻ってきがち。 職務経歴書を提出して「業界」の視点で見られると、かなりとっちらかっているように見えてしまうけれど、結局「伝える・伝わる」の分野なのは共通項。気がつけば選んだり選ばれたりしている不思議。 結果として「伝える・伝わる」分野を続けているけれど、さらに掘り下げ

        私事ですが、このたびシェアハウスに引越しました。

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        • ありがとう、しおんさん
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        • 音大卒フリーアナウンサーへの道(未完)
          吉野 真徠|旅するアナウンサー

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          レベルアップの音が聴こえる

          赤魔道士レベル48になりました。 パーティーメンバーのMPを徐々に回復できる魔法「リフレシュ」の使い手として、よりファストキャストを発揮できます。(FF11の世界では) もとい、この2年、特にこの2ヶ月、取り巻く環境が変わり、価値観にも変化がありました。「乗り越えて成長するために試練が与えられる」とはよく言われますが、正直もう無理かもしれないと思う場面が何度もありました。 そのたびに、仲間や師匠や同郷の繋がりに助けてもらいました。それが当たり前ではなく恵まれているというこ

          レベルアップの音が聴こえる

          お知らせ|新たな名前で出発します

          先週書いた「来週、名前を変えます」でお伝えしていた"来週"がやってまいりました。わたしにとって物事を始めるのに良い日である本日6月11日から、と決めていました。東洋思想では「線路の日」、西洋占星術では「水星双子座入り」。いずれもわたし自身が生まれ持ったものが動くタイミング。離れた場所で誕生した考え方がこのようにシンクロするのだなあと毎回関心します。ともに自然界の流れを見て物事を決めていたのですね。っと、さておき本題へ。 今日から、新たな名前「吉野 真徠(よしの・まき)」で残

          お知らせ|新たな名前で出発します

          「決める」だけで物事が未来へ進む

          コロナ禍に入ってしばらくはITとアナウンス業のパラレルワーカーでした。IT側の業績が悪化して受動的にパラレル解消となったことは、今から思うと今後の人生について考えるきっかけだったのかもしれません。 「できることで対価をいただく」という生き方。 いろんなことに興味が尽きず「できること=やりたいこと」に転換させるのも得意ということもあり、師匠にも恵まれ、できることを対価にして生きてくることができました。実はアナウンス業もそのひとつです。氷河期世代には多い生き方とも言えるのでは

          「決める」だけで物事が未来へ進む

          来週、名前を変えます

          こんにちは。旅するアナウンサー 高木真紀です。 突然ですが、来週名前を変えることに決めました。 今回はその背景に触れます。 前回、心理学を学んだことに触れましたが、ここ数年で古代中国の思想も学んでいます。ざっくり説明するならば「自然界の中にあとから人間が現れた」という考え方。これが思った以上にしっくりきていて、まだまだ奥深い世界でもあります。 「陰陽五行」「易学」「九星気学」「禅」このあたりは今も日本での生活圏に入り込んでいます。お寺へいくと五色幕があったりしますよね。古

          「旅するアナウンサー」が生まれた理由

          旅する◯◯な人「旅する◯◯」な人って、とても旅慣れていて色んなところへひょいっと行っている印象がありますよね。 もしかするとわたしもそう見えているかもしれませんが、本格的に旅をするようになったのは去年の8月のこと。まだ1年経っていません。 旅の初心者ともいえるわたしが、たくさんの旅人がいるなか敢えて「旅する」と名乗る理由。それは、わたし自身が旅できなかった人で、今まさに枠を外そうとしているところを、あるがまま発信していこう!と思ったからです。その考えに至った背景をここに綴

          「旅するアナウンサー」が生まれた理由

          「君の瞳に恋してる」

          2021年11月29日 17時 しおんさんが生き切りました。 7歳と一般的にはまだ生きられる年齢ですが、しおんが見せてくれた姿から敢えて「生き切った」と表現します。 糖尿病の重症化状態「ケトアシドーシス」から、一度は退院の話が出るくらいに奇跡的な回復を見せたのですが、急変しました。多臓器不全。猫は肝臓が元々人間ほど強くなく、一旦崩れてしまった身体の中のあらゆる物質のバランスを保ちきれなくなってしまったということのようです。先週のちょうど今頃(11/23の夜)、異変に気づい

          「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」

          2017年に放映していたドラマ『カルテット』での松たか子さん演じる巻真紀さんの台詞。奇しくも今日、近所のインドカレー屋さんでケジャンチキンカレーセットを泣きながら食べてきました。おかげで少し涙がひっこんだので、今日何が起きたか?何を考えたか?後から振り返れるように書き残すことにします。 しおん(猫・7才男子)が入院しました。 診断は「ケトアシドーシス」。糖尿病の重篤な状態です。 病気自体の難しいことは省きますが、治療して回復したとしても一生付き合うことになります。祖母が糖

          「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:8

          かなーり間が空きましたが、続きです! <前回まで>ボタンのかけ違いなどもあり10年勤務した会社を退職。 結果「会社員+MC」のパラレルではなく「MC+他のレギュラーワーク」へ軸足を変えることになりました。 <新たな軸足と繋がり>レギュラーワークは、営業事務やコンタクトセンターなど「多少平日の予定の融通がきくもの」かつ「これまでのスキルでできるもの」を選びました。 ここからの3〜4年ほどは、週末ほぼMC。 婚活パーティ・イベント・発表会・ブライダル・式典など フランクな場

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:8

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:7

          1ヶ月以上あきましたが、こちらの続きです。 <その頃 会社では〜SVになる>リーダーを経てスーパーバイザーへ。いわゆる中間管理職になりました。 休職した時点で役職を目指さなくなっていた、  だからこそ合唱団に入ったり  アナウンススクールへ通い始めたりした のですが、手放すとやってくるものですね。 このチーム、わたしが引き受ける前はデスマーチでした。 前任者がどんどんメンタルをやられていき マネジメントがうまくいかなくなり 持ち出しの業務が雪だるま式に増えていき

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:7

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:6

          お待たせしました。(待ってない?) こちらのつづきです。 アナウンススクールを経て、MC始めました。 編 <前回までのあらすじ>音大を卒業後、色々あって音楽から離れていましたが、また音楽やりたくなって、歌をうたってみたら声そのものに着目するようになって、3.11とか仕事とか色々あって、なんだかんだアナウンススクールにたどり着きました。 そこで、そもそも「発声」を学んでみるのはどうか、 お客様と話す仕事をしているのだから、役に立つかもしれないし、と アナウンススクールに通

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:6

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:5

          こちらのつづきです。 そろそろ、いつになったらアナウンスのお話がでてくるの…?と思われている方もいらっしゃるのではないでしょうか。 サポートセンター時代そもそもコールセンターとサポートセンター何が違うねん、ですよね。 今回の一連の記事の中で便宜上、技術的なサポートを行うコールセンターのことを「サポートセンター」と呼んでおこうと思います。 ちなみに、業界としてはどちらも「コンタクトセンター」と呼ばれます。 <人生で一番勉強をしたかもしれない1ヶ月>とにかく、時給をアップさせ

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:5

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:4

          こちらのつづきです。 この頃の写真がほとんどなく… コールセンター時代の同期と行った花火大会の写真でお許しください。 コールセンター時代<コールセンターで評価される>「メンタル強くないとできない」と言われがちな、コールセンターでの電話応対。でも「誰にでもできる」とも言われがち。 わたしは当時から「合う」「合わない」がある仕事だと思っています。 専門性の高い仕事だとも思っています。 早くそのことに業界が気づいてほしい、、地位向上してほしい、、。 今後も、AIに変われない部

          音大卒フリーアナウンサーへの道のり:4