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考え方や価値観が似通っているひとか、価値観は異なるけど互いを許容できる関係か。

まあ、両方のハイブリッドを探したまえよ。
と言われそうな話をここで繰り広げる。

私に恋人がいるという話は度々している。2年と一緒に居ると、色々と合わないところも見えてきた。良いところがそれを上回っているので付き合いを継続しているのだが。

いろいろ違う恋人くん

恋人とは兎にも角にも価値観が合わない。正確には、価値観が合う場合も多いが、とにかく考え方が合わない。着眼点が違えば思考もまったくちがう。
結論が違う場合、苦手な機能(恋人は感覚機能が強い)を使って会話をしなければならず、かなり消耗する。そういうわけで、私は結構恋人に合わせた行動をする事が多い。
ただ、「一度受け止める」という姿勢が根底にあり、それに大きく救われているのも事実だったりする。また、相談事をしたときには私の事を色々と考えた上で答えを出してくれていることも、なんとなく気付いている。
私のオタク話を殆どスルーしているものの、私が話をする姿勢自体は好き、とのこと。
哲学的な話題は好きではなさそう、というか知人との会話を聞いていて察した。

MBTI診断をしたことがあるらしく、自己申告では「ISTJ」だそう。
NFとST、主機能と補助機能が噛み合わず、とにかく考えが合わないとも聞く。どちらかが劣等機能まで発達していればいいが、20代の男女にそれは酷な話であろう。

かなり似ている友人くん

他方、考え方が非常に似通っている友人がいる。
導き出す結論が違っていても、着眼点や思考プロセスが似ている(というかほぼ同じなんじゃ……とか思ってしまう)のですりあわせが容易なのだ。
たぶんNFまで一致していると思う。同じタイプだったりして?と思う事もあるが、外向内向って「心を開いて頂いている状態」だと判別がつきにくい。私から見れば「心を開いた内向型」と「外向型」はだいたい同じように見えるからだ。

哲学的な話題に互いに興味があり、会話はかなり弾む。恋人はLINE無精なので、相対的にLINEの会話頻度も高くなる。(本当にそれで良いのか、考え込むこともある。
最近は二人で食事したいという誘いを度々受ける(都度断っている)

問題点は「普段は本質に迫るキレキレの思考を発揮しているのに、”差別”という話題になると”差別ダメ”の一心で頭に血が上る」こと、「噂好きで人間観察を趣味としている」ことの2つ。
私は「差別心に眠る根底的な感情を解決しない限りいたちごっこになる、現れたモグラをその都度潰したところでそれは根本的な解決にならない」と思っているし、「人を操作する、或いはそれに準ずる行為が嫌い」なのだ。

おわりに

基本的には今の恋人と一生を過ごす関係になりたいとは思っている。ただ、「居心地よい似た関係」がいいのか、「居心地は良いとは言えないが苦手を補える関係」がいいのか、考えるようになっている。

エッセイを読んだところで、残念ながら参考になることはない。なぜならそれは「著者の結婚観」が現れているだけだからだ。共感できるエッセイもあるが、微妙な差異に目をつむった上での共感である可能性が高い。
「私は著者ではない」は真理ともいえるだろう。

作者の言うとおりに行動しても私の人生は好転しない。寧ろ、暗転する可能性さえありうるのだ。
私の結婚観は私が作る。だけど、誰かと話して思考を洗練させたいものだ……。
その機会が「カウンセリング」なのかもしれないが。

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