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INFJが羨ましかったという話①

書いた本人への言及をしたくないが、どうしても自分の想いを書き留めておきたくなったので、このような形で参考を記載します。

筆者(まき)はNTのどれかだと思います。内心どれなのかはわかっているが、偏見を植え付けるつもりはないのでタイプは限定して書かない。

とあるINFJの「世界観を問う44問」のNoteを読んでいた。ものすごく人間味を感じる文章が溢れていた。
特定するつもりはない(この文章は該当Noteへの言及ではなく、自分の思いをぶちまけただけだ)ので、具体的な内容は伏せる。


こういう回答ができる人間になりたい、なりたかったという憧憬。
他人に救いを求め、また(その反転として)他人を心から救いたいと思える高い人間性に対する羨望。
心の底から羨ましいと思った。Noteの筆者のステータス故ではない(おめでたいとは思う)。ただ、心から人を救い心から救われるという、血の巡った言葉に、その言葉を発することができる人であるということが、ただ羨ましいとしか思えなかった。

それでいて、心の中には懐疑的な心も湧き上がった。誇張してはいないのか、そういった方がカッコいいから詩人を憑依させちゃいないか、そこまで人が信じられる、利他的になれるのはなぜなのか。
あまり書くべきとは思えないのでこれ以上具体的な思いは書かない。

ただINFJが羨ましいんだ。心の底から人を思いやれる、真の意味で心を鬼にできる、人間性の極致とも彼ら彼女らが羨ましかった。

頑張って人間関係を分かろうとしたところで所詮自分はINFJもどきであり、F的な機能を彼らほど持っているわけもなかった。

T型になりたいと思うINFJをよく見かけるが、INFJはINFJそのままで素晴らしいと思う。ただ、それが認められない場所が多いから、Niを出す場所を気にかけるとか、そういう処世術は必要になってくるとは思う。
でも自分は、その人間性を捨てないでほしいと思ってしまう。自分がなりたかったモノを捨てている人を見ると、どうにもならない思いで頭がいっぱいになる。

……そんなに心がいらないのなら、私に分けてくれ。

続き


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