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パラリンピックを見て思う、「出来る」の先

パラリンピックを連日見ている。最近とくに印象に残った競技がボッチャだ。杉村選手、すごい。日本人初のボッチャの個人での優勝。決勝の相手は前回のオリンピックチャンピオン。

その強い相手を寄せ付けず、圧倒して見事な勝利。正確なボールコントロールはもはや芸術的で、美しく、そしてかっこいい。応援しながら僕は何度も「めちゃくちゃかっこいい!」と思った。きちんとボッチャの試合を見るのは初めてだが、わかりやすい解説もあって最後まで楽しめた。努力を重ねた結晶がこんなにもかっこいいものなのかと、僕は感動した。

ボッチャ、おもしろい。

様々な障がいのある人がオリンピックの場に立っているが、そこにたどり着くまで経験した努力を考えると、やはり心が動く。これはパラも健常者のオリンピックも同じだ。ただただ、かっこいい。その圧倒的なパフォーマンスに目が奪われる。めちゃくちゃかっこいい。

そして、実際にやった人しか見れない景色を彼らは見ている。

「思った」と「実際やった」の差はめちゃくちゃデカいし、「実際にやった」と「やった事を続ける」の差もめちゃくちゃデカいと思う。誰でも出来る事も、実際にやってそれを続けると、誰もがやれない事になる。人それぞれ、出来る範囲っていっぱいある。やるか、やらないかを選んでいるだけ。その結果が今。そしてこの先の未来もこれからのやるか、やらないかの結果なら、今からスタートしてもアリだと思う。

最近も

ダイビング終わってから休憩中にスーツとラッシュを脱いでいたらお腹の手術跡を見て驚かれた。子供の頃から何回もしてきた簡単な説明をする。0歳からある14センチのこの跡はあって当たり前、気にならない。それより、僕としてはお腹についたお肉の方が気になっている。。。。


誕生日に病院に行かないのがもう当たり前になったけど、やっぱりこの記憶は消えない。日々、やりたい事、するべき事が盛りだくさんで辛かった事を思い出す事はあまりない。なぜかな?と考えた事もある。過去ではなく、今と未来を生きているからかも。

子供の頃から夢はコロコロ変わっていった。

何も努力しないであきらめ、スタートする前から「どうせ無理」と言った事は何度もある。だけど、あきらめたからこそ出会える夢がある事も知っている。夢をあきらめるのも、貫くのも、努力するのも、新しい夢に出会うのも自由。だからこそ貫きたい。

SNSやテレビで自分と同じように病気のために通院や手術を頑張っている子供たちの日々を見るけど、どれだけ大変かわかる。

ああ、日本中の小児病院でホスピタルアートをしたい。

癒しの空間を病院に作りたい。

これはきっと出来る。出来るの先はきっと明るい。


大阪梅田でダイビングショップをしています



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