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あの日の僕(第8話)━じいちゃん

あの日の僕(第8話)━じいちゃん

うちは、親父とおかんと兄ちゃんと妹のほかに、じいちゃんとばあちゃんもいた。

じいちゃんはどこかの会社の役員で、じいちゃんが生きている時まで家はそれなりに裕福だった。どこで働いていて、どんな会社かは知らなかったけど、とにかくじいちゃんは僕たち孫に優しかった。僕と兄ちゃんが「聖闘士星矢」にはまって、その絵を「トレーシングペーパー」に描いたのをせっせと会社でコピーをして持って帰ってきてくれた。じいちゃんは僕が5才の時に亡くなっているからそんなに覚えてはいないんだけど、覚えている過ごした時間はどれもじいちゃんの優しさに満ちていた。

最寄り駅までばあちゃんと兄ちゃんとじいちゃんを迎えに行った時は、駅の売店で「ビックリマンチョコ」を箱買いしてくれた。当日としては珍しい海外出張の時にはお土産をわんさかくれた。

じいちゃんに怒られた記憶なんて1つもない。ばあちゃんに怒られた記憶もないんだけど、じいちゃんもばあちゃんも僕らを全力で愛してくれた。

ある日、じいちゃんは肺がんになってしまった。元々結核になったように体が丈夫ではなかったみたい。薬の影響で髪が抜けると、じいちゃんはカツラを被った。その被った姿はちっとも思い出せないんだけど、僕らはそのカツラを発見して触って遊ぼうとした気がする。そんな時も多分じいちゃんは怒らなかった。ただ、飼っていた猫を抱くと「猫を抱くな」とは言われた。どうやら、猫の毛が肺に入ると危ない?と思っていたらしい。そんな事は科学的に問題ないと思うけど、そう言われる度に僕はその場だけ猫をおろした。あまり記憶力はよくないのに、こうやってじいちゃんとの時間はわりと覚えているから不思議だ。一緒に撮った写真はわずかだけど、じいちゃんは見た目もかっこ良かった。

後々、親父やおかんやばあちゃんからじいちゃんの話を沢山聞いた。戦争でシベリアで悲惨な経験をした事はついに誰にも話さなかった事、破天荒な一面、苦労に苦労を重ねた人生と、人の為に生きた姿。僕が先天性の病気を持って生まれた時には、良い病院を探す為に力を尽くしてくれたエピソードもある。親父は僕に血をくれた。多くの人たちのおかげで僕は生き永らえた。じいちゃんには長生きして欲しかったといつも思っている。話したい事が沢山ある。「ありがとう」ともっと伝えたかった。じいちゃんがいたから僕がいる。

11月、じいちゃんが亡くなった。その前後の日の記憶はないが、お葬式の記憶はある。

式は家でした。
寝ているじいちゃんに会いに色んな人が来た。タクシーで家の周りの道路が埋め尽くされた。妹はもっと幼かったからその日の意味をよくわからずみんなに会えてはしゃいでいた。僕は泣いたのだろうか。きちんと泣けたのだろうか。きちんと「ありがとう」と「またね」を伝えられたのだろうか。じいちゃんの瞼はまだ開いていた。その目をばあちゃんが何かを言いながら触ると閉じられた事を僕は見ながら、ああ、じいちゃんともうお話したりは出来ないのかと悟った。戻りたいけど、もう戻れない日々。じいちゃんは僕を沢山愛してくれた。会いたいけど、会えない。だからこそ、今会える大切な人たちを大切にしたい。だからこそ、「ありがとう」はきちんと言葉にして伝えたい。いつか僕もこの世界から離れた時、じいちゃんに会えたら会いたいな。そしたら、沢山色んな話をしたいな。まだまだ精一杯生きて、楽しい経験をして、その事を話したいな。いつか会える時まで頑張って生きるよ。

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