創業前夜(1)
メーカーズ誕生のヒストリー。時間があるときに書き綴ればと思います。
今は2024年9月
今から34年前・・・1989年(平成元年)
昭和天皇の崩御で昭和の時代が終わり、新しい元号「平成」がスタートした年。
当時、19歳だった私は、地元の先輩に誘われて
この自動車業界に足を踏み入れた年でした。
少し自分の生い立ちをお話します。
東京にて産声をあげたのが1970年(昭和45年)父親(会長)が転勤族だったので幼少期から全国を転々としており
幼稚園も小学校も幾度も転校を繰り返していました。
私が小学校6年生のときに筑紫野に引っ越し
その後、数年でまた転勤となった父(会長)は子供の幾度の転校を憂慮し、その後10年以上単身赴任でたまにしか会わない存在でした。
私の福岡在住のスタートです。
なんせ田舎でしたし、当時は「真面目」か「ヤンキー」しかいない時代でしたので、皆が部活動などに情熱を注ぐようにヤンキー活動に情熱を注いでおりました。
このあたりの事は、あまり語らないほうが得策だと思いますので省略しますw
そんな感じなので、ろくに学校にも行かず、遊び呆けて暮らし
自分の将来なんて微塵にも考えていない少年時代でした。
でも自分でも少しわかってはいました。
皆が努力して勉強し、遊びたいときも我慢し
自分の将来のために挑んでいるときに、その正反対の道を進んでいる自分には
人生の選択肢が非常に少ないことは・・・。
でも、何がしたいのかもわからず、どうしていいのかもわからず
ただ悶々と心に不満を抱えた少年時代だったと思います。
なので、先述の地元の先輩から、自動車業界に誘われたときも
何がしたかった訳でもなく、別に自動車にも興味が然程あったわけでもなく
先輩に誘われたから・・・。
何か今を変えてみたかったから・・・。
断りづらい先輩だったから・・・。
そんな理由で、自動車業界に飛び込んだ。
それが平成元年の出来事。
実はその地元の先輩
今のグループ会社でもある株式会社リーディットシステム
南社長のお兄さんなんですよ。
なので私は南社長と直接ではなく、
可愛がってもらっている先輩の弟としての面識がスタートです
(彼がまだ小学6年生で初めて会ったときにデコピンして泣かせてしまいました)
南の兄貴については創業時エピソードでは、敢えて悪く書かせてもらいます。
その時に感じた事実でもあります。
でも、今は感謝しかありません。(これは後述します)
当時は若さもあり感情先行で憎き先輩と化してしまいました。
南の兄貴、そして以前から可愛がってもらっていた
憧れの先輩の二人に誘われました。
今だから言えますが、南の兄貴ではなく
憧れの先輩に誘われたのが大きな動機ですw。
でも、自動車業界なんて言い方しましたが
当時19歳の私と9つ上の先輩二人の共同経営。
ですので謂わば社長達も28歳って時です。
しかも全員、自動車業界は初めての素人。。
とにかく何もわからない!って所からのスタート。
田舎の山奥に掘っ立て小屋のような事務所に、解体寸前のような中古車を
数台並べてのお店。
今では何かわからない事があれば、
スマホやネットで答えやヒントがたくさん見つかる時代。
しかし、当時は携帯電話、いやポケベルですらろくに普及していなかった時代。
自動車関係の書類や手続き、様々な業務・・・誰も知らないのです
(よくその状態で起業しようとしたのはある意味感心です)
誰も何もわからないので、何かあれば
「白井!調べてこい!」「白井!聞いて来い!」「白井!何とかしろ!」
一番年下である私(しか居ないのですが)へ解決しろという
無茶ぶりのオンパレード。
仕方ない私は、書類がわからなければ陸運支局に行って一から教えて貰い
仕入や販売のことがわからなければ近くの同業者に「教えてください!」と
厚かましく教えを請うたり、とにかく無我夢中で
私が覚えていくしかない状況でした。
それでも、何か今までやってきた仕事とは異なり、
何か自分達がゼロから創り出す
ワクワクした気持ちがあった記憶があります。
そんなこんなでお店がオープンしたときは
何か替えがたい嬉しさや充実感もありました・・・が、
ここから歯車が狂い始めます。
若くして(28歳)経営者になった先輩達、特に社長(南の兄貴)が会社に出勤しないのです。
当然、右も左もわからない19歳の私ひとりお店で仕事をやりくりさせて
社長は全く会社に来ない。
「困るので来てくださいよ」と何度も懇願するも
「社長は色々忙しいんだ!」の一点張りでろくに顔も出しません。
これが一番堪えました。
なにせ、何もわからない状態の私がお店の切り盛りをしなくてはいけません。
オークションや業販などで仕入をし、持って帰ってきた車輌を商品化したり
不良箇所を整備したり、そしてそんなお店でも当時、お客様は来て頂けました。
接客し商談し契約する・・・。
そして書類から名変、納車整備そして支払や入金まで
ぜ〜〜〜〜〜んぶひとりでさせられました。
でも、今となればこの経験が広く浅くではありますが一通り自動車販売業が出来る自信のベースになったのも事実。
そんなある日、珍しく社長が会社に来ていたときに
ため息をつきながら「どうしよう・・・困った」そんな言葉を呟いていました。
わたしが「どうしたんですか?」と尋ねると
「白井、会社のお金が無いんよ・・・
このままだとお店畳まなくてはいけなくなる」
そう言われました。
まだ会社に愛情愛着もあった私、思わず
「そんなに困っているならお金貸しましょうか?」
と伝えます。
もちろん19歳の私がそもそも大金を持っているわけではありません。
当時は若者は漏れなく18歳で運転免許取得し、高額なクルマをローンで購入するのがあたり前の時代
(格好いいクルマ持っていないと女の子とデートする権利もない時代)
私も漏れなく高額ローンを組み、それなりのクルマを購入しておりましたが
この自動車業界に入ったときに何か熱が冷めてしまいクルマを売却しておりました。
その代金をローン会社に返金せずに自身で次のクルマを
購入する資金で、たまたま持っていたというだけです
(今では出来ない手法ですよね・・・)
そのお金を、少しでも足しになるなら・・・で会社(社長)に貸しました。
「白井!!本当にありがとう!」と喜ばれ、
私も何か嬉しい気持ちになっていました。
その時は数週間、いや数ヶ月以内には返してもらえる・・・
そんな話で貸したような記憶。
お金を貸した1週間後、会社に何か凄いベンツを乗り付ける人が居ました。
(当時の500SECロリンザー仕様で色がブルメタ笑)
その派手なベンツから降りてきたのは・・・社長です。
「え?は?? しゃ・・・社長。何ですかこのベンツ」私は尋ねます。
「いや、社長になったらこの位のクルマに乗っていかないと
格好付かないだろ?」と社長
「いや、意味分からんっす。
つい最近まで金が無いって言っていたじゃないですか!?」
「って言うか、そんなクルマ買う金あるなら貸した金返してくださいよ」と私
「いや、(モゴモゴ)お金は近いうちに返す!
でも社長はそれなりのクルマでないといかん!」
なんかそんなやりとりだった記憶ですが、
私も憤慨して「もう知らん!」って状態。
共同経営者である憧れの先輩(この人も会社に来ない)に、
もうこんな会社辞める!って相談したら宥められて
「白井!今回は俺がしっかり話しておくから堪えてくれ」と頼まれました。
憧れの先輩のお願いなので、渋々受諾せざる得ない状況でした。
そうしたらですよ!
更にその1週間後、今後は純白のメルセデス500SELケーニッヒのAW
履いたベンツがまたお店に来たのですよ!
なんと、そのベンツから降りてきたのは、なんと憧れの先輩!!
「せ・・先輩・・・な・・・なにが?」
もう私は言葉になっていませんでした。
憧れの先輩はバツの悪そうな笑顔で、
「俺も買っちゃった♡テヘペロ」と。
もう目の前がクラクラしました・・・。
創業1年も経たない若造がやっている車屋で、在庫は解体寸前のボロが数台
事務所はプレハブ。
資金繰りにヒーヒー言いながら社員からお金を借りている
会社が、なんとベンツ2台ご購入ですよ!
ヤンチャな19歳の私でも、そりゃアカンでしょ!
って思える状況でした。
そんな酷い毎日を過ごしていたのが平成元年〜平成2年くらいの出来事でした。
でも、この酷い車屋、酷い先輩たちが私の創業のきっかけになるのです。
この続きはまた次回。