見出し画像

四国歩き遍路日記 22日目 38番

3月14日

7時半に出る。今日は20キロのゆる行程なので、遍路道があったら積極的に入っていこうと思っていた。
まず大岐海外に下り、砂浜を歩いていく。

ここでふとデジャブを感じ、そしてその理由が分かった。

10年位前、東京に住んでた頃、満員電車で通勤する日々に嫌気がさしていて「あー四国行って遍路してー」と、よく歩き遍路の人のブログを読んで現実逃避をしていた。
そのなかの一つで、砂浜を歩いていく場面が妙に印象に残っていた。同じ遍路の若者に声をかけたらウォークマンを聞きながら歩いていて、まあ人それぞれだけど、せっかく遍路で歩いてるんだから自然の音を聞かないのはもったない云々、といった内容だった気がする。
そのくだりを読みながら、砂浜を歩いていく遍路の風景を想像したものだが、その場所がまさにここだったと気づいたのだ。

あの町田の部屋で夢想した風景のなかを今歩いてるのだと思うと、なんとも感慨深かった。プルーストがふとした出来事をきっかけに過去の自分とつながって幸福感に満たされたように、俺もこの風景を思い浮かべたときの過去の自分とつながった気がして不思議な感覚に包まれた。

砂浜の突きあたりに流れていた小さな川をジャンプして飛び越えて、ロープがかかった岩肌を登っていく。


その後、県道を道なりに行くが、大幅に道を間違えてしまい土佐清水グリーンハイツというニュータウンに迷い込んでしまった。

本来の道に復帰し、すぐ遍路道の看板があったので何気なく入っていくと、結構きつい山道であった。昔集落があったみたいで、ところどころ地所の跡がある。
途中、道の端に大きな木があったりして、かつて人の生活があったころはこの木にもなにか名前があったんだろうなと思った。てゆーか、足摺岬の高台にあるなんて、さぞかし台風に悩まされたんだろう。

道の端の木

そんなわけで、道としてはおもしろいのだが歩いても歩いても終わらない。地図で確認しようとしたが黄色い地図にも載ってない。途中、朽ちた丸太橋を渡らないといけなかったりして、結構荒れている道だったので載せてないのだろうか。
1時間ほど歩いて急に開けたと思ったら墓地に出た。

歩いてきた道


墓地を下りて神社で休んでいたら、その裏にも遍路道があるみたいなので行ってみる。今度は古道ではなくただのコンクリートのきつい坂道で、来るんじゃなかったと後悔していたら、上に集落があって眺めが最高だった。
途中、農家のおじさんが木になっている文旦をくれた。宿に入ってから食べたがすっぱうまかった。

山を下りて、足摺岬に向かって県道27号を歩いていく。
途中、先人たちのブログでその存在を知っていたバラックみたいなカフェがあって、ひげもじゃのおっちゃんがいたが、なんとなく目を合わせないようにして通りすぎてしまった。

そして足摺岬に到着。
敬愛する偉人、ジョン万次郎の像があった。土佐清水市は大河ドラマ化を目指してるらしく、俺も署名しておいた。偉大なるジョン・マンの人生はもっと知られてほしい。

ここで昨晩同宿だった北海道のSさんと会う。Sさんはさっきの店でコーヒーを飲んでいってインドで放浪した話を聞かされたらしい。

38番の前の食堂で昼飯を食べていったが、店内は俺一人でひっそりとしていた。こうして昭和の雰囲気が残る店にいると、子どものころ行った家族旅行のことなどが思い出され、父親はとっくに死んでるのに自分はどんどんその年に近づいていき、いまだふらふらと遍路なんかやって、こんな四国の端っこでがつがつ飯を食らってるのが不思議な感じがしてくる。そして、生きているからこそこんなことができるのだとも思う。

38番金剛福寺で納経し、なにげなく近くの白皇神社(もともと38番の奥の院だったが、神仏分離で別れたらしい)をスマホで調べていたら、宮司さんが経営しているユースホステルでご朱印をいただけるとのことだったので立ち寄っていった。

38番の境内でふたたびSさんに会う。なんだかんだとSさんとは仲良くなっていたが、宿も違うし明日からのルートも違うので、もう会うことはない。Sさんがぼそっと「ここでお別れか」と呟いたのが印象的だった。一期一会。
…と思っていたら、宿でふたたびSさんに会った。Sさんが宿名を勘違いしていて、実は今日も同宿だったというオチ。

夕食ではブリとサバの刺身が出た。サバはめっちゃ傷みやすいので刺身は珍しいらしい。俺はグルメと温泉に興味がないので、こういうとき人生を損してるなと思う。
同宿の外国人はビーガンなので、別メニューとのこと。遍路やってる外国人は結構こういう人が多い気がする。
食事中、Sさんが「昨日の方が量が多かったね」とこっそり耳打ちしてきて、苦笑いで返した。

このあたりは昔、補陀落渡海(ふだらくとかい)という、僧を小舟に閉じ込めてそのまま沖に流すという捨身業が行われていたらしい。補陀落という海の向こうの浄土に行くことで、民衆を救うのだそうだ。
スマホで検索したら四方に鳥居がある異形の舟が出てきて、なんとも背筋が寒くなるものを感じた。今の時代とは死生観が違うとはいえ、死にゆくために自ら船に乗り込むのはどういう心持ちだったんだろうと考えさせられる。

19時51分 泊:足摺ハット


この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?