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shinobuwada
暇よ、去れ
在宅勤務が始まり1ヶ月以上が経過し、そろそろ腰が限界を迎えている。別々で買った椅子と机で仕事をしているのでどうもしっくりこない。椅子の上で考えうるあらゆる体勢に変えながらパソコンと向き合っている。不便さと物理的な痛みを感じながらも、この情勢下、かなり早い段階で在宅勤務に踏み切った会社には感謝している。IT企業でよかった。
対応の早さは在宅勤務だけでなく、飲食店や人の集まる場所には行かないようにというお達しが来たのもかなり早い段階であった。ここ1ヶ月ぐらいはスーパーと家との往復というかわり映えのない日々を過ごし、このGWも特にやることがないため、約1年前に何回か投稿したきりで辞めていたnoteに何か書こうかと思い親指を必死に動かしている。
そう、親指で。
いまやスマホで自由自在に文章を書くことができるが、その様相を形容する言葉が親指を動かすだと、なんだか締まりがない気がする。便利さと引き換えに、言葉としてのカッコよさが失われてはいないか。
こういう言葉は昔であればあるほどカッコいい。「文章を書こうと思いペンを取った」でもカッコいいが「文章を書こうと思い筆を取った」の方がより重厚な趣きがある。文豪感とでもいうような雰囲気を醸し出すことができる。(かもしれない。)
他にも例えば、英語を学ぼうとWebサイトをクリックしてオンライン英会話教室に入会するよりも、英会話教室の門戸を叩く方が意志の固さを滲み出すことができる。(気がする。)
Webサイトをクリックさせるためにどうするかと大人がいっぱい集まって会議しているような会社で仕事をしている立場だが、自分はマウスより門戸を叩きたいなと、親指で無駄口を叩いてみる。
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