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③17年前のコーチング・人生最大級の病気&貧乏

17年前のコーチング思い出を書き綴っております。
そう、17年前も今も変わらず「コーチングは、人生を前進させる」
書いていて、気がつきました。

関東でのOL期間は
1Kのアパートに住みながら、2交代のシフトでボロボロになるまで働いていました。

色々な思い出があります・・・・

①貧乏すぎて、食べるのが最後はなくて、ピーナッツバターを舐めていた。
②アトピーの悪化がスタートし、全身の皮膚が剥がれ落ち始め、ストッキングと血膿が張り付き、仕事帰りの着替えが本当に辛かった(どうやってアパートに帰ったんだろうか・・)
③お金が無いって、本当にあらゆることを病ませます。
④体が動かなくなるもの、どんどん神経を病ませるのを経験
⑤全く眠れない日々
⑥お財布をあければ五百円。どうしよう・・
そんな毎日でした。

しかし、こんなになってもなぜ実家に帰ろうとしなかったんだろうか・・

途中、休職をして実家に戻るも、諦めきれず職場に戻る。。。(その時点で、新幹線のお金も無かった。親に「靴も買えないような仕事なら、とっとと戻ってきなさい!」と言われたのに。

そんな状態でも 仕事にしがみつきたかったのは職場環境。
本社勤務のあの人にも、この人にも、あのバイヤーにも、あの人にも「負けたく無かった」

何を負けたく無かったんでしょうか。体を壊してでも、負けたく無いものってなんでしょう

今、思えば全てがtoo funny・・・

この状態の時に、お願いをしていたコーチがいます。

結局、お会いする機会は無かったのですがSkypeでセッションを受けていました。
お名前は、平山さんという男性です。当時で40歳くらいでしょうか。
仕事を退職されて、コーチとカウンセリングの道に脱サラで入ったという方

コーチは、
体調が悪くても何かを成し遂げたい私に、実家に帰ることも
●●しなさい。と言われたことはなく
ずっと寄り添いながら歩んでくださった。というのを覚えています。

今、17年経って覚えていることは「寄り添ってくださった」ということです。

お金もなかった私は、
正規のコーチングfeeがお支払いできないこともお話しした上で、「ちえさんが今、払える金額で引き受けます」と言ってくださり、確か当時の金額で1セッション五千円でお願いしていました。

本当、今、お会いしたら感謝の気持ちをお伝えしたいです。

結果として
まさかの臨時?嘱託?で始まったOL生活は

店長へ昇進することができ
私が在職中、日本橋店に次ぐ2位(クリスマスか何かの売り上げ?)で
わざわざ社長が来てくださったり
ロンドンからもデザイナーが来てくださった・・・

私の目的だった「イギリスに関わる仕事がしたい」は
無事に終了し、

しかし、心身疾患はピークに達し
市民病院で診察を受けた時点で「統合失調の手前。今すぐ、仕事やめなさい」と女医さんに言われ、買い物袋いっぱいの薬を受け取った時

ようやく、今、置かれていえる現実を理解することができ

その足で、会社に退職を伝えました。

その後、私は結婚 そして、コーチングではなく
プロフェッショナルセラピーの道へ一度入ります。