希望を知るために絶望を知る
はじめに
ドラえもんδの定義・開発 ⇄ ドラえもんの本質の思考 → ドラえもんβの開発
のプロセスで、誰もが納得するドラえもんβの実現を目指しています。
ドラえもんδは、過去記事で定義しています。
2ヶ月前(2023.06.11)に、ドラえもん実現に向けて一歩踏み出してから、2年経ったため、それまでのまとめを記しました。
このまとめ記事のタイトルにも入っている「希望」。
この単語は、記事の文章中にも3回使われています。
ドラえもんは、人間にとっての希望であると強く考えています。
本記事の作成にあたって、ドラえもんが人間にとっての希望であるならば、人間の絶望の世界も知る必要があると感じました。
ご縁で映画をご紹介いただく
そんな中、当記事の読者の方から「絶望感でいっぱいになる」と、たまたまあるドキュメンタリー映画をご紹介いただきました。
それは、
『マヤを救って ー小児医療の実像を問うー』
です。
権力を守るために真実を隠す医師/命を守るために真実を伝える母
あらすじは、別記事に任せます。
権力を守るために真実を隠す医師と命を守るために真実を伝える母と聞いて、どう感じるでしょうか?
私は、権力を守るために真実を隠す医師に対して、憤りを感じます。
そして、命を守るために真実を伝える母が報われて欲しいと感じます。
その反面、本映画では、自分の子供のマヤの命を守るために真実を伝え闘った母は、結局自死を選び、権力を守るために真実を隠した医師(病院)が国や権力によって守られている事実が描かれています。
今なお、映画のタイトルになっているマヤさんはこの問題と戦っています。
映画を観て、改めて絶望とは?
ドラえもんを構成する「希望」の対義語「絶望」とは何でしょうか。
まず、真実を伝えた者が守られないことは絶望かと思います。
また、希望にとって権力や富、名声は関係がないように思います。
その一方で、これらを手にし、守ろうとした時、他人にとっての絶望を引き起こす可能性があることは本映画作品から感じました。
未来のネコ型ロボットドラえもんに望むこと
ドラえもんδに人間のような心があるならば、真実を言いたくないときがあったり、葛藤したりすることはあると思います。それでも、ドラえもんδには勇気を出して真実を言える存在であってほしい、そう願います。
私が実現するのか、はたまた次世代を担う子供たちにドラえもんを託すことになるかはわかりませんが、来たる将来実現するであろうドラえもんが人間にとって希望を示す存在になるよう、まずは道標を描いていけたらと思っています。
そんなのドラえもんじゃない!とか、私だいきの考え方は間違っている!など意見があれば、しっかり受け止めます。コメントやSNSのDMなどを通じて、教えてください。
次世代を担う君に向けて。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
引き続き、応援よろしくお願いします。
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