見出し画像

自由と孤独な世界

知り合いに聞いた話で、とある公園に彫刻のモニュメントがいくつかあり、その中のひとつが輪切りのレンコンの形をしていたそうだ。しかし、その人はレンコンだと思って見ていたのだけれど、後で調べてわかったタイトルは「孔雀」で、よくみたら孔雀の顔もついていて、ああレンコンじゃなかったんだ…と知ったという話。その作品は、大西金次郎さんの「孔雀」。
別のものに見えるとか、タイトル通りに孔雀に見えるとか、見え方は色々あるんだなと聞いていて考えていたーーー。

話は変わって、私の家の近所にはギャラリー〇〇という看板を出している店舗があって、〇〇にはお店の名前が書かれているのだけれど、添えられているロゴマークというか絵が、何て書かれているか読めないのだ。すっすっす、さら〜とした、浮かぶような線や点で構成されたシンプルなモノ。推測するに〇〇を崩した風な文字を書いていると思われるけれど、私に書道の嗜みがあれば読めたのかもしれないがとにかく読めなかった。
ギャラリーの横を通る度に、これ読めないなぁと思って引っ越してきた頃はなんとなくモヤモヤしていた。何て書いてあるのか知りたくて気になって。
そしてこの前、また看板のある道を通って何度目かの、これなんだろう…を味わった時に、あのレンコンを思い出した。
考えてみれば、ギャラリーなんだから、アート関連だろう。そもそも絵かもしれない。そのロゴマークを私が理解できなくてもなにも問題はないのではないか。
表現はすべて、他人にわかりやすいものである必要はないのではないか。
表現する人が、調整すればいいのではないか…?
そもそも、1人の人間の世界観から形になる表現は、他の誰かにまるまる理解されることはないんじゃないだろうか…
当たり前の話かもしれないけれど、私がこれまで「これは〇〇だとわかる」という観点に執着しすぎていたのかもしれないと思う出来事だった。誰かにわかってほしい。誰かをわかりたい。わかるはずだ。これは〇〇だって…。

孔雀だってわかる人がいても、レンコンに違いないと思う人がいても、はたまたタイトルから想像できない作品でも。何かよくわかんないっていうのもまたいいんじゃないかな。そうだよね。と看板を後にしながら心の中でつぶやく。自由で孤独な世界の表出だもの、ね…。

サポート嬉しいです(^o^)✨読んでくださりありがとうございます。