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父の荷物を整理していたら、今も父を思ってくれる人たちの声が聞けた

こんばんは。

さて先日ご紹介した「お焚き上げドットコム」に送った父のアルバムなど捨てられなかったものたち。
今日、神社から「お焚き上げ証明書」とお焚き上げの様子を映した動画が送られてきました。動画に映し出されたお焚き上げの炎を見て、父が空に昇っていくように感じました。一つ心の区切りがつきました。

そして、お焚き上げといっておきながら、父はクリスチャン。たくさんのキリスト教関係の本を残しました。洗礼を受けた昭和20年頃のボロボロの本からも、父が敬虔なクリスチャンであったことは予測できます。

私はクリスチャンではありませんが、父が毎週教会に通っていたことも、教会に心を尽くしていたことも、そばで見ていたので、ボロボロだとはいえ、その本を捨てるにはしのびなく、古本屋さんにも聞いてみました。「これらはキリスト教の信者の方が読む本で、学問としてのキリスト教を勉強する人向けではないので、古本屋では売れません」とのこと。なるほど。そんな区別があったんですね。

いよいよ捨てるしかないかと思いながら、父が通っていた教会の方に電話してみました。「おとうさんには本当にお世話になったので、私がいただいて勉強します」。そう言ってくださいました。もう感謝しかありません。亡くなって1年経った今でも父に心を寄せてくださる方がいることが何よりうれしいです。

父の使っていた三味線とバチ、長唄の本、着物は、三味線のお師匠さんがもらってくださいます。

荷物を整理する、断捨離をするのは、本当に心が痛いし、もらってくださる方を探すのもしんどかったけれど、父が大切にしてきた人たちの声が聞けたことを何より幸せに感じています。

明日は、父が晩年お世話になっていた老人ホームで、実の息子のように可愛がっていた人が、父の写真に会いに来てくれます。ホームに入ることが決まった日、家に訪ねてきてくれた彼に、窓から顔を出して「おーい、こっち」と声をかけたのだそうです。それからずっと彼も父のことを実の父のように慕ってくれて、辛いことがあると、父の気配を感じて、「がんばろうと思う」と言っていました。

姿形はなくなってしまっても、そんな風に父を思ってくれている人がいるということが、父が生きた証なのかもしれません。

子どもの頃、毎晩寝る前に欠かさず本を読んでくれていたことを思い出しました。

夜半から雨が降るそうです。今夜も寒そうですね。
風邪などひかれませんように。



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