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妊活日記―流産嫁、産道を通る

2023/6/5(月):夫婦の妊活記録
※この投稿は私たち夫婦の不妊治療や流産を振り返って記録した日記です。
 この記事を書いている今日も私は不妊治療で病院に行ってきました。いつかこの注意書きで「現在妊娠中」と書ける日をこっそり夢見て高度生殖医療をがんばっています。


 改めて自分の気持ちを夫に告げた時、夫は言葉を選びながら絞り出すように
「したい仕事があるならどんな仕事を選んでも賛成する。でもその選んだ理由が死にたいっていうなら、それは賛成したくない」
「そんな風に流産や自分の仕事について感じていたとは気づいてなかった。これからもう一度ルールを作り直そう」
「子どもができてももちろん嬉しいだろうけど、自分は夫婦でいられることだけで十分幸せだ」

 その話し合いから、少しずつ夫婦の関係性が変わっていきました。
 夫と決めていた在宅ワークの約束は、むやみやたらと夫が「できる!」と羅列していたものから、「これだけは守る」という厳選したものになりました。
 夫も約束を守れないことが嫁のメンタルに直結し、それさえ守れば嫁の機嫌はある程度大丈夫!ということが分かったからなのか、「やたらめった項目の多かった約束事をあれもこれも守れない」という状態から「この一つだけは守る」と変えたことで夫婦の関係も安定してきました。
 また夫の異常な時間までの仕事の遅さも軽減されたかのように思います。

 そして気持ちが安定した頃、私から二つのお願いをしました。
 それは
「赤ちゃんの供養をしたい」
「あかちゃんの代わりにお地蔵さんを買いたい」
というものでした。
 近くの中山寺さんに水子供養をお願いできることを調べ、水子供養をお願いすることが決まりました。
 妊娠が分かった時には10か月後には自分が当たり前に買うのだろうと思っていた液体ミルクの紙パックと西松屋で買った産着を買って…
 初めての夫婦での我が子への買い物がお供えであること…悲しくてやるせなくて、今思い出しても泣けてくるけど…でも初めての我が子へのプレゼントは悲しさのなかにも、ちゃんと小さな幸せも感じられ自分でも不思議でした。
 我が子が実際に使うものではないと分かっているけれど、肌触りを確かめてミルクの口コミを見て選ぶ私たち夫婦は、きっとどこかではちゃんと親になれていたのかも知れない…そんな風にこっそりと思い起こします。
(当たり前に親になって子育てに奮闘している人からすれば、こんなことで親みたいな顔するな!って叱られそうですが…)

 でも、快晴の中山寺さんは安産祈願やお宮参りの幸せな家族が溢れていて、私たちはお腹も大きくなくて夫婦二人だけで…なんだか私達だけ仲間はずれなような疎外感を感じながら参道を歩きました。
 産めなかった私が参道を通る(お寺や神社の参道は女性の産道を意味していて、参拝者は参道を(産道)を通って生まれ変わる…と言いますよね?)なんて皮肉なんだろう…と思いながら…
 

今日はここまで!
今妊活で悲しい思いをしている妊活仲間さんにも幸せな日々が訪れますように!
がんばりましょうね。

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