写真から生まれる会話/#248
写真の魅力は目に見える形に残ること。だから伝えたいことを表現したり、残したい記憶を形にできる。それに併せて写真を通してのコミュニケーションも挙げられる。
撮った写真を見てのコミュニケーションと写真を撮る時のコミュニケーション。
僕は定期的に家族の写真を撮っている。一緒にセルフを撮ったりこっそり撮ったり様々。撮った写真は定期的のプリントしてアルバムにまとめていて、その都度に家族にも見てもらっている。その写真を見ながら生まれる会話が好きなのだ。
そこに写る自分達の姿から、新たな会話や今まで無かった会話が自然と生まれる。自然と温かな空間へと早変わり。
写真を撮る時のコミュニケーションも好き。写真を撮っているとたまに父が撮りたそうにしている。そんな時はカメラを渡して撮ってもらう。昔、弟たちと撮ってもらったことを思い出す。そんな時を思い出しながら、ちゃんと撮ってよ、任せとけ!などのキャッチボールが生まれる。
大人になると兄弟で写真を撮ることは意外にも少ない。男兄弟ならばそれは必然なのかもしれない。普段は別々のことをして少ない会話でも、いざ写真を撮ろうとなると嫌がりながらも協力してくれる。その時になると割と一致団結できる辺りが兄弟らしいなとふと思う。
自分の笑顔はいつもニコニコしている母に似たのだろうと写真を見て思う。今も昔もたくさんの迷惑や苦労をかけたと思っている。感謝してもしきれない存在。もちろん家族全員にその気持ちはある。親孝行には色んな形がある。写真はある時点からパタリと撮らなくなる。我が家のアルバムも小学校くらいを境に自分達の写真は激減。それ以降、家族で撮った写真なんて1枚もなかった。今の今まで。
今ある家族の姿を残し続けること。それが自分らしくできる親孝行なのかもしれない。そんな思いから日々写真を撮っている。家族を撮るときはシャッターを切るたびに「ありがとう」と込めて向き合う。家族らしさを残せるのは間違いなく、家族だけだと思うから。
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