褒め言葉の受け取り次第で、謙遜が皮肉になる
学生時代なら勉強やスポーツ、
社会人になれば売上げや役職で、
褒められることがあるはず。
その場面一つ一つで、
褒められても、
「そんなことないです」と
謙遜した回答をした覚えはないでしょうか
最近の私の悩みが
自分を低く見積もってしまうこと。
その思いの吐き出しに
「私より、すごい人いっぱいいるじゃーん」とよくボヤいていたのですが。
痺れを切らした神様に
『ぬけぬけと嫌みを言ってるに過ぎない』
と言われました
なぜに嫌みなのかといいますと、
「すごいですねー」
と褒めたにも関わらず
「そんなことないですー」
と相手の気持ちを受け取りもせずに
自分を値下げているとこ。
謙遜してるようで、
相手の否定までしちゃってる
「自分はスゴくない」
と言って褒め言葉を認めないのが嫌みに感じるんだって。
覚えがないことはないですね。
学生時代にもそんなやり取りの裏で、
「嫌みじゃない?」
って聞こえたこともあるし。
謙遜も遠慮も行き過ぎると嫌みになるのね。※受け取り手次第で、思わない人もいる
そんでもって、
認めてくれてる人に対して
否定を被せるのは相手もいい気分にはならない
「そんなことないない」は、
認めてくれた相手のことも
認められた自分のことも
両面に対する否定は、
言葉の行き場がなくなってしまう。
理由は分かっても、
納得しきれないモヤモヤを晴らすお話を聞きました
と。
「嫌みなことやってるよ」
と言われたのが私には衝撃
そんなこと思ってなかったもの。
あと、
神様のお話に傲りが出てくるのも、
価値を認めてしまうことで、
自分が驕る可能性が出てくることがイヤで
私には何度も『あなたは(傲りになることは)ならない』と言われてきたけど、その理由が分からなくてね。
けど、周りをみて不安になれるなら、
自分を見失うことにはならないかも。
と少し安堵と自信がもてました。
それとね。
スゴいじゃなくて異常とか変と言われる方がすんなり受け入れられるんだ。
比べられるより
区別の方が孤独に近くて心地いい。
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