子どもが心配で、つい余計なことまで言ってしまう人へ
いつもそばにいた子供が一人の時間を持つようになると、
親は心配ごとが増してきます。
子どもが家にいればまだ安心だけれど、
お家の外に出かけるようになれば親の視界に入ることが減ってしまう。
となると、子供が出かける時には
心配ごとは言っておきたいと思うのではないでしょうか。
ひと言ふた言の気を付けて欲しいというメッセージなら、
子供も気にせず聞いてくれる。
けれど、何度も何度も同じことを繰り返し言ってしまうと、
子供に嫌な顔をされてしまいます。
子供が一歩外に出れば、危ないことがないこともない。
何事もなく、親もとへ帰ってきて欲しいからこそ、
子供に心配な気持ちを分かって欲しい。
事件や事故を耳にすれば、
心配する気持ちがあふれて子供にアレコレ注意したくもなるでしょう。
そんな思いがあったとしても、
子供に親の心配を分かってもらうのは難しいな、と感じます。
過度な心配は、
子供にとって出かける足を止められてるよう。
楽しみにしている感情を抑え込まれるよう。
例えば子供が友達と遊びに行くとして。
「変な奴に気を付けろ」
「危ない人に付いていくな」
「遅い時間にならないように」
「知らない場所には行かないで」
(私は祖母によく言われてきたこと)
と注意してたら
聞いた側が思うことは何でしょう。
「心配してる」という親の気持ちもよりも、
「私は変な人といると思われてるんだな」
「どこなら遊びに行くのを許されるのか」
と子どもは感じてしまうかもしれません。
心配する言葉が
どこに行くのか、誰と会うのか、
審査されてるように聞こえるのです。
親の安心が、自分が知る範囲だけだとするなら
子どもが出かけてもいいと思える範囲はどんどん狭くなっていくはず。
子供が大きくなればなるほど、
親の目が行き届かない、知らない範囲も増えていく。
子供にも自分の時間や空間という大事な部分は増えていきます。
子どもが大事にしている部分を過度な心配する言葉で、
否定されようものなら、
はじめは大人しく聞いてた心配する言葉も、
だんだん嫌な顔をするようにもなってくるでしょう。
(顔に出さない子もいる)
心配する言葉は、警報に似ている。
そしてもう一つ、
過度に心配する言葉は警報に似てます。
一大事なときに大事な警報も、
ずっと聞いていると、鬱陶しく感じることはありませんか。
心配する言葉も言われ続けられた側は、
「危ない、気を付けろ」とずっと警報を鳴らされてるようなもの
ずっとなり続ける警報を聞いていられるかどうか。
年齢によりますが、
子供だからと、心配する気持ちの押しつけだけだと
安心安全のためとはいえ不快に感じてしまいます。
「無事に帰ってきて欲しい」
と守りたい真意を聞き続けることは難しい。
親の子を心配する気持ちも
親が子を心配する気持ちも
お互い「無事を祈る気持ち」を分かっているから
分かっていることを繰り返されるから苦しくなる。
心配ごとに
心配しなくても大丈夫とは言えない。
けれど、
心配している言葉を分かっているはずだから
徹底的に注視しなくてもきっと大丈夫。
心配する気持ちに埋もれしまえば、
無事に帰ってきて欲しい思いよりも
行動を注意する言葉ばかりになってしまう恐れがある。
心配する言葉を投げかけたあと
「こんな言葉、言うつもりなかった」
「本当はこの言葉を言いたかった」
こんな言葉と思うことは、
もうお互い分かってること。
言いたかった言葉は、
相手の幸せを祈って伝えたかったこと
心配する言葉を言っちゃっても
それ以上に相手が楽しそうに遊びにいける言葉も伝えてみてください
笑顔でお出かけしたくなる
「いってらっしゃい(いってきます)」が伝わるように
子どもの遊びに行く範囲が広がって心配。
だから、あれこれ言ってしまう
あれこれ言いたくないならば、
「うちのこは、大丈夫だ」と安心して送り出せる、
子供を信じられる気持ちが大事
安心と子供や子どものいる環境への信頼は、
「神域結界祈祷」でつくれます。
神様が家族を守ってくださる自宅神域結界とは
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神域結界祈祷を受けた親御様の話
「神域結界を張ってもらった自宅で過ごしていると
守ってもらえるという安心感。 心配症が治りそうな感じがします。」
「息子がすることにアレコレ言ってましたが、言わなくなりました。
リビングで一緒に過ごすことが増えました。」
神域結界祈祷
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