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40歳から始める新しい挑戦、沖縄から見つける未来

1. なんで沖縄やねん

  • 沖縄移住の決断をした背景と目的を

どうも、オモシロ企画プロデューサーのまじーです。この肩書は初めて会社員を辞めたときに、なんかネットで肩書作成できるようなツールで作った気がします。あまり覚えていませんが、その名刺を配っていたときに、「おいおいまじかよ」って相手の顔に出続けるのがオモシロくて名乗ってます。
どうでもいいことはさておき、タイトルにあるとおり、沖縄へ移住するという発言と行動に「え?」って感じな人が多いのでまとめておくことと、ここで気持ちを書いておくことで、また見返して黒歴史化するのも面白いので記載しておきます。結論的には、私の挑戦です。もちろん家族とも話はしていますが、基本的には私の挑戦です。

  • 40歳の節目に新たなチャレンジを求めていること

なんと、私もついに40歳になります。平均寿命から考えれれば折り返し地点です。齢四十ともなれば、昔は隠居です。ただ、現代日本は働き盛り、全盛期のタイミングと言っても過言ではないでしょう。学びの時期の学生時代から、ひたすら現実とのギャップに戸惑う20代。自分のウィルキャンマストにおいていい感じに進めるけど葛藤も多い30代。そして、40代です。正直、順風満帆な人生なわけでもなく、挫折と苦悩の毎日です。とはいえ、家族もできて、責任が大きく増えたのも30代の事実。20代のときや10代で家族ができていたらまた違った人生だったのは明らかで、30代で家族をつくることで面白いことも増しているんだとも思います。人生なにが起きるかさっぱりわからないけど、長男も次男も自分にそっくりなので、人としてもっと成長しないといけないんだろうなって思ってます。だって父だもの。
そして、40代です。ここ最近は、わりと流れというか、自分なりにも頑張っていて、行動している方だとは思うのですが、果たして挑戦しているかと言われるとしていなく、保守的になってきている気もしています。考えや行動として「何気なくできることしかしていない」、挑戦しているといっても、「やったことはないけど想像できる範囲のことしかしていない」こんな感じがここ最近あります。漠然とした不安は、及川さんから言わせれば「持病」だということで、「そもそも会社員とかマネジメントとか向いてないんですよ、眞嶋さんは」ということらしいです。妻より出会いが古く、もう15年以上近い関係なので、多分その通りなんだろうな。
ということで、挑戦なんです。全ては。

2. 沖縄を選んだ理由

  • アジアの成長意欲の高い国々を検討した経緯

沖縄の前に移住を検討していたのは、ベトナムです。これは、縁もゆかりも無いのですが、IT系の会社に頻繁に関わることになると必然オフショアの話から周囲がベトナムに行くことが多く、そこからいろんな情報を聞きます。他の国も聞くのですが、20代のころに飲んだベトナム人がいいやつだった記憶がベトナムの第一印象をすこぶるよくしてくれているので、ベトナムベトナムって言ってました。そもそも移住を検討した理由は挑戦だという話もあったのですが、根本的なところのロジックは、私(妻も)の介護問題です。いえ、ぜんぜん元気ですよ。たぶんピンピンコロリだと思ってます。ビールやめたし。
介護問題を考え始めたのも、年齢もあるし、仕事柄、新規事業開発や支援を生業としていることもあり、調査や検証の類を山程やりました。それはもう誰も彼もが伸びている産業に入りたいですからね。ただ、見えて来たのは可能性ではなく、不可能性というか、暗い未来が多いことです。そもそも規制産業なんですね。介護事業は、参入するにもいろいろとハードルがあり、その収益も大半が介護保険で成り立っている。利権だって断じるのは簡単ですが、この利権がないと多分成り立たないんではないかなって思うくらいしんどい産業だと思います。シンプルに顧客が持続的に離脱し続けるモデルだからです。増え続けたら無限にお金を貰えるわけでもなく、介護しなければならない人たちは弱者であるから離脱してしまう。病院にいくと介護のモデルではないんです。モデルのところは事業支援として感じているところなので、そこはいいとして、参入者やプレイヤーと共に、担い手の高齢化が私の絶望を加速させます。労働人口に占める介護事業者は一定の数いるのですが、大変な事業ですし、誰も彼もがやりたいわけではない、さらには年々人は減っている。高齢化し続ける構造です。その状況で、自分たちのとき、あと30年から40年くらいでしょうか。その我々の時代に日本にいたとしたら、だーれもやってくれないんですよ。たぶん。ロボットとか自動配膳とかめっちゃオペレーション効率の良い状態にはなると思うので、介護してくれない状況にはならないと思ってますが、そのオペレーターは、同い年とかの人たちになり、右見ても左をみても老人しかいない未来が見えてきていました。
そこで、海外の情報が入る。アジアの国々はすべてとは言わないですが、勢いがある。特に深夜まで飲み歩いて騒いでる人たちがいる、一方でごりごりに事業を立ち上げて国をよくしようとしている人たちがいて、学生も学びに貪欲だと。日本が抜かれるとかそんなことはどうでもいいです。若い人たちが勢いがあって楽しくないわけがない。そんな環境に漠然と行きたいなーと思ったんです。

  • 地方移住の限界を感じた理由

5年くらい前でしょうか。新規事業としての関わりで地方創生関連で仕事をしていました。社会課題解決系のやつですね。いくつかの地方を訪れて課題感も見てきましたし、解決されている自治体も見て、すごいなーとも思いました。ただ、関われる自治体の数も限られているし、数年先を見据えて取り組んでも理解されないし、正直ないなーと思ったのも事実です。一番の課題は、その地域の課題に、住んでいる人が気づいていないって点(もしくは興味関心が薄い点)でした。これが私の興味を急速に失わせた理由です。地方創生って行政が言ってお金をたらふく使ってるけど、結局天下った人や広告系や旅行系の人たちの予算だったなーと。もちろん真面目に取り組んでいる人が80%くらいいるんですが、20%くらいの人たちがしっかり稼いでいるなーといった感じ。どの業界でもそうですが。いくつか候補もあったのですが、首長や自治体ががんばっても住民が変わる状況にならないと、行ってもなんとか自分たちの世代はよくても、子供の世代のためにはならないなーと思い、地方移住は止めました。

  • 海外移住の可能性と、多拠点生活の考え方

地方創生に関わっていたときのひとなどからは怒られるかもしれませんが、そういった理由で地方移住をやめ、じゃあなぜ沖縄やねんという点ですが、沖縄も地方やないかという点の説明です。
まだ、海外移住に関しては、早いなという感じです。まず、自分の仕事が労働集約型から抜けておらず、自分が倒れると、いろいろと終わります。師匠から教わった収益の多層化構造(ダイレクトフィー、レベニューシェア、キャピタルゲイン)を得ていない限りは、難しいというのが師匠の教えです(師匠とはまだ2回ほどしか合っていませんが、師匠は師匠です)現状すべてがダイレクトフィーな私にとって、海外への挑戦はリスクが高すぎます。これが20代なら余裕で行った方がいいです。20代のときに飲み歩いていた当時であれば、行った方が良かったかもしれません笑
この収益の多層化構造を実現するためには、いろいろと条件がありますが、まずは挑戦の連続で仕事を行っていく必要があります。今の仕事もやりつつ、仕事を多層化構造に切り替えていくのを行う。そのためには、日本での活動が良いと判断しました。ただ上で話したように、挑戦もしたい。そこで、環境のみを変えることで挑戦とするようにします。大前研一さんが乗りに乗っていたころの格言に、「人を変えるには、人との関係を変える、時間との関係を変える、環境を変える、その3つのどれか1つでも変えることができれば人は変われる」という言葉を残しました。漠然とした挑戦ではなく、環境を変えること、多拠点として、沖縄(離島)、埼玉(首都圏)、浜松(地方都市)、で活動をすることで挑戦を行っていく。その挑戦の過程において、収益の多層化構造を実現させることで、持続的な挑戦を行いながら、海外にいく。というのが、現在の取組です。

  • 沖縄の魅力を伝えてくれた友人たちの影響

もう、これはすごいの一言ですね。
「あ、私沖縄行くわ」って発言したら、会社員やっているところでも「このひと紹介します、この人も、この人も、知ってます?」など、めっちゃくる。めっちゃ沖縄に行ってる。びっくりするくらい沖縄に人行ってる。最後尾にいるんじゃないかなってくらいみんな沖縄に行ってる。それだけでも挑戦が成功する確率はあがりそう。あとはまじで実行力だけなんだろうな。まじで、おじさんの実行力。新卒で一人栃木県に移住したときの気持ちに近い。あのときもなんとかなったから、今度もなんとかなるやろ。(急に文体が変わった)

ちょっと長いからもう終わる

簡単に書き始めたのですが、意外と長く、しかも余計なことも書き始めてきたのでこちらで終わりとさせていただきます。今(執筆は2024/06/30)がちょうど一年の半分です。次の沖縄について振り返るのは、来年の元旦くらいに書いてみたい。何が起こるかわからない40代の始まりですが、挑戦していくことは生涯変わらないことは見えたかなと思うので、前を向きながら、ときどき物思いに斜め上を行くことで進んでいきたいと思います。

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