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不妊治療へ至るまで

こんにちは。まじゅです。

結婚する前から別居までトータル12年ほどセックスレスを貫き通した(?)
うちの夫婦ですが、なぜ不妊治療することになったのか、結婚前の話をしようと思います。

結婚の話が進むにつれて彼は
「子供が欲しい」と言い出します。
20代だった私は結婚が決まったのなら早めに子供を授かれたらいいな
(それが一般的でしょ?)と思っていました。
彼は30代だったのですが、彼の方から、ブライダルチェックをしたいと申し出があり、私は「ありがたいな」と思いながら2人で受けに行きました。


その結果、

「不妊治療しないと子供は授かれない」


ということが宣告されました。

衝撃もありましたが、子供ができないからと言って結婚をやめるという選択肢は私にはありませんでした。
(一応彼の方に不妊原因ありという結果だったのです)

男女とも全く問題がない夫婦でもなかなか授からないこともあるし、
そんなことはやってみないとわからない。と思っていたし、
何より、私自身が子供が欲しいから結婚するわけではなかった。

なので、結婚を取りやめることは一瞬たりともよぎらなかった。

逆にその決断が私が結婚への最後の後押しとなってしまいました。
ある意味そのことも乗り越えて結婚をした2人ということで何だか絆が強まった気がしていた。

でも一方で
「今別れて彼を1人にすることはできない」と思っていたのです。
(ほんとおこがましい。)


だけど、結局大切な話を2人とも腹を割ってできることはなく、セックスもしない、不妊治療への話し合いも全くしない2年があっという間に過ぎてしまいました。

私も年齢的に治療を始めたい。早ければ早い方が良いと聞くし・・・。
と、焦りも感じて、恐る恐る話をし始めました。

やっぱり、普段からセックスしていないのでそういう話はめちゃくちゃしにくい!情けないながらも1人で子供は作れないし、治療はできない。


そしてやっと、

2013年 不妊治療開始

男性は数回の検査と検体採取だけでいいのですが、女性は治療のスケジュールが多く毎日病院に通って注射をしたり、時間もかかって心身ともにかなり大変でした。
とにかく何か治療している間は、体質改善のために口にするもの全てに神経を使い、体を冷やさない、肌につけるものの素材まで気を使遣っていました。
鍼灸治療をしに遠方まで通い、ストレスを溜めないように散歩を日課にしたり、適度な運動を心がけていました。


2016年までに 2回の採卵と、4回の顕微授精

内容はだいぶ端折っていますがすでに3年経過して、2度の採卵手術。
顕微授精された受精卵を子宮に戻すために体を調整しできるだけふかふかの子宮にして着床しやすいように祈るのみ・・・。

そして私の心の中では、採卵の時や顕微授精で受精卵を体内に戻す時にはせめてハグして欲しい。と願っていた。
「赤ちゃん来て欲しいね」「毎日頑張ってくれてありがとう」とか言いながらハグして心と体の温かさが欲しかった。

だけど前日も触れ合うことはなく目を見て話すこともなかった。
寂しかった。
もしかしたら彼は「うまくいくといいね」くらいは言ってくれていたのかもしれない。
でももう私には言葉を聞き取れるほど余裕はなかった。
それくらい苦しくて一生懸命頑張っていた。

決して楽しみを待つための時間ではなく、嫉妬もするし、うまくいかない自分にもイライラするし、自己否定しまくる毎日を必死で奮い立たせて病院に向かっていた。
(その時は気付いていないけれど)

だから多分彼のそっとした優しさなどもう届かなかった。

多分お互い愛はある。だけどすれ違ってしまったらなかなか元には戻らない。

様々な夫婦が子供を授かるために一生懸命努力されていると思います。
子供いなくても夫婦が成り立つのか、子供がいないと夫婦が成り立たないのか。何となく目的が変わってきていたり、向かっている方向が違ってきていても気付けないことが多いと思います。

何が正解かなんてないのですが、心が苦しくなる、その前に自分と向き合うことをもっとちゃんとできていれば違ったのかもしれないなと思います。

実際私はここまで来ないとわからなかったけど笑
結局はこれも私が望んだことです。

そして、その一つ一つを答え合わせしていく人生かなって思っています。
今ならわかるけど、全部正解にしていくために毎日与えられてるんですね。

そう思うと全部面白い!ネタの人生だ!

続きはまた今度♡

最後まで読んでくださってありがとうございます。



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