利休の「おもてなし」
おもてなしは茶の湯から
「茶の湯」とも云うが、日本人にとってまさに「茶」は「おもてなし」の文化。茶を飲む習慣が始まったのは平安時代で、茶の種は仏教とともに僧侶によって中国からもたらされ喫茶の風習が始まった。
そして、禅宗の祖である栄西禅師が茶の湯を京都に持ち帰り、茶の薬効や健康効果を書に記したことで喫茶の風習が広まった。
形を変えながら広まる茶会
時代を経ると、武家などが連歌の会などで茶をたてて飲む「茶寄合」とも云われ、人々が一定の場所に寄り集まって抹茶の飲み比べを行う「闘茶」の会、市中で行われる「草案の茶」、上流の武家の間では書院造りの部屋での茶会「書院の茶」と変化していった。
豪華な上流階級に対する簡素簡略の「わび茶」
書院において開かれる高価な器を用いる豪華絢爛な「書院の茶」に対し、生まれたのが千利休の名で今も有名な「わび茶」である。「わび茶」は、京都 大徳寺の一休宗純に学んだ村田珠光が広め、千利休が完成させた茶の湯であり、「わび」の精神を重んじた。
利休の精神: 和敬清寂・利休七則
利休茶道は、「おもてなし」と「しつらい」の美学とされ、千利休の茶道精神・境地は和敬清寂(わけいせいじゃく)という言葉に集約される。
「和」文字通り人と人との調和、和学の意味
「敬」他社を敬う心
「清」清潔、清廉、清らかである事
「寂」静寂、閑寂の意
また、千利休は、ある日弟子のひとりから 次のような質問を受ける。
「いったい茶の湯の上で、もっとも大切なことは何ですか!?」
利休は、この問いにこう答えました。
「茶は服のよきように点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように、 そして、夏は涼しく冬は温かに刻限は早めに、降らずとも傘の用意、相客に心せよ」
この利休の言葉を利休七則(りきゅうしちそく)と呼ぶ。
利休七則の内容
一則: 茶は服の良きように点て、茶は相手の状況や気持ちを考えて点てよ
「服」は飲むことを意味し「服の良きよう」とは飲む相手によって、ちょうど良い湯加減と分量の茶を点てるのが「もてなし」
二則: 炭は湯の沸くように置き準備は的確、誠実におこなう事
何事をするにも準備、段取りはツボを押さえて的確に行う事が相手に対して安心と信頼感を与える気づかいとなる
三則: 夏は涼しく冬暖かに、もてなしは相手が心地よくなるよに
快適な環境がかなわない悪条件の中でも相手をもてなすために、さまざまな工夫をする事が大事
四則: 花は野にあるように活け、ものの表現は本質を知って簡潔に
そのものの本質を知って、目的やその場に合った演出をする事が相手を喜ばせるおもてなしになる。
五則: 刻限は早めに、何事も心にゆとりを持って行うこと
時間の約束を守る事は気遣いでも思いやりでもなく当然のマナーである。心にゆとりを持ってないと相手に対しても思いやりのある態度がとれない。
六則: 降らずとも雨の用意,、相手のために万全の備えをせよ
備えは相手の不安や憂いを想定して万全の解決策の備えをすることが思いやり
七則: 相客に心せよ
何事をするにも相手のことを考えて縁があって同じ場所に居合わせたのだから、お互いに気を遣い合っておもてなしをする事が大切
感想: 早くも挫折しそうなので、一旦完全な理解はあきらめる
おもてなしが茶の湯文化由来すること、対して日本史に詳しくない私でも知っている千利休が完成させたと言われる「わび茶」が、当時の上流階級で嗜まれていた豪華な茶会に対して、カウンターカルチャーとして誕生したという歴史背景までは理解することが出来ました。
一方で、利休の精神性に関する話は、書き記しながら、私自身も現状理解できていないのが正直なところです。おそらく、茶道のようなものを殆ど経験したことが原因だと思います。もちろん、「相手を慮る」「時間を守る」といった考え方は小学校や部活でも習いますし、居酒屋のトイレにも貼ってあるような標語なので、「まぁそりゃ大事だろう」と思います。しかし、なぜそうした精神性が特別に「おもてなし」という文化にまで昇華し、そして老舗旅館におけるサービスとして変化し、顧客を惹きつけるのは分からないままです。
これを理解してから次に行こうとすると、前に進めなくなって、挫折しそうなので、一旦分からなかったものは、分からなかったまま、明日はまた別角度から「おもてなし」を学んでみようと思います。