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時を超えて届いた想い

人々の想いはエネルギーとなって(お金はこの世でのエネルギーを表すもののひとつ)具現化します。このお金という形をまとった想い(両方ともエネルギー)を、私も受け取る機会がありました。


昨年末のことです。


私は、新年に向けて家の大掃除をしていました。
翌日には、久々に家族みんなで集まって、お正月をお祝いすることになっていました。

母は重度の認知症を患っています。現在は一駅離れたケアハウスに居を移しており、家に帰ってくるのは入居以来初めてのことです。

そのため、準備を任された私は、少しでも気持ちの良い空間で過ごしてもらいたい!と数日前から掃除に精を出していました。

その日、大掃除のターゲットとしたのは、母の部屋でした。

不安なことがあるといつもこの部屋に閉じこもり、机の前に座り込んで時間を過ごしていた場所です。風通しのよい、すっきりした部屋にしてあげたい一心でした。


机の上は、数年前から母が溜め込んだものが山積みになったままでした。引き出しの中も、その隣にある本棚も、何かしらで溢れかえっていました。
窓を開けて空気を入れ替えながら、私はその一つ一つを確認しては分別する、という作業に着手しました。

例えば使用済みの包装紙や、写真、葉書、商品カタログ、雑誌の切り抜きなど、大量の紙がそこかしこに押し込められていました。その他、ゼリーの空き容器や、お刺身が入っていたと思われる発泡トレー、使用済みのティッシュなども、どうしてここに?と思う場所から山ほど出てきました。

気をつけないといけないのが、時々紛れ込んでいる、母の走り書きのメモやノートです。母が数年間書き溜めた、父への愛のメッセージダイアリーもある地層から発掘されました。このダイアリーはまるで、今はもう物言えなくなってしまった母の気持ちを代弁するかのように、父に対する母の愛と感謝が書き記されているものでした。それを読んだ私も父も、号泣したのは言うまでもありません。


そうして何時間もかけて黙々と紙の山を切り崩していくと、時折ぽろっと1万円札に出くわすことがありました。たまにメガネケースの中に入っているなどもありましたが、大抵は新札の状態でご祝儀袋に入っており、宛名はなく、送り主として「夢琴」と書かれていました。

「夢琴」は、子供の頃から大好きで、数年前までの25年間ずっと習い続けてきた日本舞踊の母の踊り名です。つまりこのご祝儀袋は、発表会の時などに踊りのお仲間に渡そうと、母が用意していたものに違いありません。

実は同じものが、母の衣装ダンスを整理している時にもいくつもみつかっていました。用意したことを忘れてしまうのか、あちこちから本当にいくつものご祝儀袋が見つかりました。そして今回も同様、新品の封筒がしまわれた箱の中から、頂いた手紙の束の中から、引き出しの奥から、手提げの中からと、いくつもの「夢琴」のお祝い袋が発見されました。

こうしてお友達に向けて、いつも母が用意をしていたこと。その想いを父にもわかって欲しくて、ご祝儀袋はお札が入ったまま、いつも掃除後に束ねて父に渡していました。

今回もそうするつもりで、みつかったご祝儀袋はひとつの箱にまとめてありました。そんな中、ふと目についたポチ袋がありました。それは他のものよりもサイズが小さく、羽根突きの羽根の絵が描かれた、お年玉袋のようでした。その袋は二つあり、中にはそれぞれ1万円札が三つ折りにされて入っていました。裏にはやはり、「ゆめこと」と書かれています。もう漢字が書けなくなった時期に、母が用意したものでした。


可愛らしい羽根のイラスト
母の踊り名


私はその二つのお年玉袋を箱には入れず、ベッドの上に寄り分けておきました。咄嗟にしたことなので、あまり深く考えてはいませんでした。ただ、その時に思い出していたのは、母のことでした。

認知症を発症する前、母のお手伝いをすると、母はポチ袋やお祝い袋にお札を入れて、私を労ってくれることがありました。年々小さく細くなっていく母に代わり、力仕事や根気のいる作業は私の仕事、と、私も役に立てることを誇らしく思って勤しみました。忙しくて滅多に実家に帰れない娘が一生懸命に掃除や、母の日舞の発表会のお手伝いをすることを、喜んでくれていたのだと思います。

ポチ袋を手渡す時、母はなぜかいつも「サンキュー」と英語で感謝を述べていました。なんとなく照れ臭かったのかもしれません。袋にはいつも、「母より」と書かれていました。その母の気持ちが嬉しく、今でもポチ袋はお札が入ったままの状態で大切にとってあります。


色々なシーンで受け取った母の気持ち


そんな母のことを思い出し、勝手ながら「ああ、これは母が私にお疲れ様、と渡してくれたんだな」と思い、いつも父と母を手伝っている妹の分もと、二つのポチ袋を取り置いたのでした。完璧にネコババなのですが、私は妙に心がぽかぽかと温かくなった気持ちでいました。

その後無事に部屋の掃除を終え、帰宅した妹と一緒にお台所の掃除や、お正月の準備に取り掛かりました。

そして年が明ける直前の深夜。
全ての準備を終えて、あとは寝るだけとなった時、私はこの二つのポチ袋を取り出し、ひとつを妹に手渡しました。驚いた彼女は目を丸くしながら、とても喜んでいました。

「お母さんからよ。」

そう伝えると、ますます目が大きくなり、どういうこと?と首を傾げました。

そこでこの経緯を伝えると、大きく見開いた目からみるみるうちに大粒の涙が溢れて、妹は顔を真っ赤にして泣き出しました。私もつられて泣きながら、「ネコババだけどね」と軽口を叩いて笑いました。


すると袋から出した一万円札を見つめていた妹が、「姉さん、ご苦労さんって書いてある!」と声を上げました。


まさか?
驚いて半信半疑ながら、私は妹の顔を見返しました。


「ほら、ここを見て。この数字が、5963ってなってる。」


そう言いながら、お札の番号を指差しました。
慌てて私も、袋からお札を出して広げてみました。新札連番だったために、そのお札にも確かに「5963」とありました。

「あ!見て、その先に。。。39、サンキューってなってる!」

妹の番号は「596397」私の番号は「596398」でした。

そこでピンときました。いつも、ポチ袋を手渡す時に母が言っていた、「サンキュー」という言葉。

「596398、ご苦労サンキューや!」

「596397、ご苦労サンキューな!」

ほぼ同時に、私たちは叫びました。


596398  ご苦労サンキューや


認知症を発症して以降、紙屑や発泡トレー、あらゆるゴミを集めては、あちこちに仕舞い込んでしまっていた母。元々物を捨てることを良しとしない人でしたが、認知症になってからはその傾向が強まり、少しでも私たちが処分しようとすると鬼のような形相で怒り出してしまうことがよくありました。そのため、年に数回、母が寝静まった深夜に私は妹と共謀し、家のあちこちに隠された沢山のゴミを発掘し、いくつもの大型のゴミ袋をぱんぱんにして、車に積み込む作戦を決行していました。みつかるとまた家に戻されてしまうので、捨てる直前まで、一旦車に隠しておく必要があったのです。
母がケアハウスに入居するまで、そうした攻防を何年も繰り返してきたために、この時の「ご苦労サンキューや!」というメッセージは心に響きました。


ただの偶然に過ぎません。それどころか、他人にはまるきりネコババの正当化に見える話です。


でも、「ご苦労さん」「サンキューや」を掛け合わせた数字は、時折ダジャレを口にしていた母らしいメッセージのように思えました。あの時、私たちが一番必要としていた母の気持ちを、お金というエネルギーに乗せて、私たちに手渡してくれた。。。そんなふうに感じながら、はにかみながら笑う昔の母を思い出していました。



こうして、嬉し涙で幕を閉じた昨年末でした💖


また、勝手な不思議話を記していこうと思います。
今日は、ここまで。

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