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美輪明宏編 アンリマユ誕生秘話2

私には小学校4年生から今だに関係が続いてる男友達が居る。

子供の頃から私はクラスの中で特異な存在だった。
特別いじめられることはなかったが、いつも4、5人の友達と一緒にいて、彼らには「兄貴」と慕われていた。私たちの小さな集団は、時にはクラス全体と対峙することもあった。

クラスの行事がある度、私の派閥はクラスの他の生徒たちと対立し、緊張感が漂っていた。そんな時も、彼はいつも私のそばにいた。私たちは共に行動し、何かと話題の中心になっていた。彼との友情は、時の流れと共に深まり、今に至るまで続いている。


そんな彼からの誘いで私達は美輪明宏のライブを観に行った。

私は美輪さんの事をよく知らず、霊能者で昔のキャバレーで歌いようなジャズ音楽を歌ってる人だと言う認識程度だった。

美輪さんのライブは歌と言うよりは物語の要素が強く、ディズニー映画の途中で流れる音楽劇みたいなステージに感じた。


私は子供の頃から急に歌い出すディズニーの映画構成が嫌いで、歌が始まると舌打ちをしてトイレに行くようなタイプだった。

なぜ物語への没入感を削ぐように不自然に登場人物が歌って踊り出すのか意味が分からず、そう言う演出そのものが嫌いだった。

それに加え、妹や母親が映画の歌に合わせて歌いだす様子も、私の苛立ちを増すばかりだった。彼女たちの合唱は、鳥の雛が一斉に鳴き始めるようなもので、私にはただ不快に感じられた。


美輪明宏のステージは、私の予想を遥かに超えた。私の好みとは異なるものの、中には驚くほど激しい楽曲もあり、いつの間には心を奪われ、思わず楽しんでしまった。

ステージが終盤に差し掛かると、美輪さんは静かに観客に向かって言った。「この歌は悲劇ではなく、喜劇です。」そう断言した後、美輪さんは「ボンボアージュ」という曲を歌い始めた。

歌詞、表情、指先から全身に至るまでの些細な動きの全てを使い伝えて来る。

音楽と言うよりは戯曲的に演劇の要素が織り交ぜられたそのパフォーマンスは、深い物語を伝えていた。

内容は、愛する男のために、多くの男たちに身を委ねながら金を稼ぎ、愛する人を支え続ける娼婦の女性の話だった。

しかし、その曲は、思わず心が痛むような結末を迎えた。

身を粉にして愛し、支え続けた男は、最終的には若い女性と駆け落ちしてしまう。年老いた娼婦は、彼らを涙を流しながら見送るしかなかった。

それは、聞く者すべてに深い悲しみを感じさせる、絶望的な展開の悲劇だった。


会場は拍手喝采で満たされ、観客たちは一斉に立ち上がり、ステージに向かって熱狂的なエールを送った。私はその光景に呆然としていた。どう見ても深い悲劇の物語が、喜劇として語られ、その終わりには華やかなフィナーレが迎えられた。

私の周りで歓喜の声を上げる観客たちを見て、私はただ混乱し、理解に苦しんだ。それはまるで、残虐なスプラッタシーンを観て喜ぶ人々を見るような違和感だった。

どうして彼らは、この痛ましい結末を喜んで受け入れるのだろうか?私の心は疑問でいっぱいになり、感情の混乱を抱えながら、会場を後にした。


私は、時折りその時の事を思い出しては、此れは美輪明宏からの宿題なのだろうと漠然と感じてた。

自分がどれだけ不幸になっても、誰かを幸せに出来たから良いとか、そんな漠然とした綺麗事の類なのだろうと予測はしてたが、自分がそう思える事はないだろうなと思ったし、そんな風に思う人生を歩みたく無いと思った。

普通に愛する人と結ばれたいし、悲劇を自分は歩みたくない。

確かに、その娼婦は立派であり、神に近い精神性を持った女性かもしれない。だが、私はそんな精神を知りたいとは思わなかった。いつか理解できる日が来るのだろうか?そんな日が来るのは嫌だと思いつつも、美輪明宏が語る愛を自分は知らないという、どこか悔しさのような感情を抱えながら、その後10年を生きていた。





私は、多くの魑魅魍魎を配下に加え、その悪魔的な力で敵を次々と打ち倒していった。警察であろうと、反社会勢力であろうと、私に命令し、従わせようとする者たちとは徹底的に戦った。

私の信念は鉄のように固く、もしも力で私を屈服させようとする者がいれば、いつか必ずその報復をすると強い意志を持っていた。

この信念は、現実の世界でも夢の世界でも、私を無敵の存在にしていた。

私の名は広く知れ渡っていた。家に警察官が世間話をしに訪ねてくることも何度かあるほどだった。

たまたま見回って居ただけだとか、近隣住民の人と定期的に話をしてるだけだと偶然を装い監視する警察に対して不快感を募らせてた。


それでも私は、300年耐えて倒幕を果たした長州の血を引く者として常に牙を研いでいた。彼らがどれだけ私を監視し、押さえつけようとしても、私が怒れば何十年経っても必ず報復する。虎視眈々と日本最大の暴力組織に打ち勝つ計画を練りながら、今の社会全体に怨念を膨らませ続けていた。





そんな時に、ドス黒い赤い空が覆う荒れ果てた崖の上で、軍服を来た将校達が髑髏の兵隊1000人を連れて私の前に現れた。

私が引き連れてた100人程度の悪霊達は喜びすぐに彼等の元へと降って行った。

私の元には、かつて自殺した友人など深く私を好いてくれてる悪霊6人程度になってしまった。


残された悪霊達はガクガクと震え私の足元に隠れるようにして様子を伺って居る。私は負けるかもしれないと思いながらも屈するつもりは無かった。「私を従えたいなら私に勝ってみせろ」と将校に伝え決闘を始めようかと言う時だった。

突然金色の光が差し込み白く輝く西洋風とも東洋風とも見える甲冑を着た美輪明宏が白馬に乗って現れた。背後には6体程度の金色な巨大な仏像が聳えて居る。

美輪さん自身も、自分達の二倍近くは有ろうかと言う巨大さだったが後ろの像は更にでかかった。

夢の中の美輪さんは二十代のような若い姿で、金色の髪の毛が眩しく輝いてた。


私は驚いて「何しに来たんですか?」と尋ねた。その時に聞こえて来た言葉が「ここで彼等と縁を切るべき」と言う言葉だった。

美輪さんの眼を見つめ、私は理解した。この将校達は、かつて226事件に関与し、美輪さんが大切に思う人々の命を奪う原因となった思念体だったのだ。美輪さんは、長い間彼らと見えない戦いを繰り広げていたのだろうか。


一種の美輪派と将校率いる革命派の戦いに舞台が展開して、私の事を助けに来てくれたのだと分かった。

でも、私は助けを求めては居なかったし、何より仏が嫌いだった。

人の道を外れたら地獄に堕とすなど何だと脅し付け、人の生きる道を恐怖で押し付けて来る仏教そのものが気に入らなかった。


私は美輪さんに彼等とは私が直で話すから邪魔しないでくれと伝えると美輪さんは一瞬哀しそうな表情を見せた。

そして、美輪さんが睨みを効かせてる三すくみの状態で、将校軍1000対私の一騎打ちが始まった。





後で知ったのだが裁判官だった私の祖父は、かつて日本赤軍が絡む事件を任された事があったそうだ。

この将校率いる革命思想の思念体は、私に流れる血の因果が引き寄せたものだと感じた。

私は肌感で、この瞬間の選択で自分の人生が決まると感じた。


私の心には常に、許せない怒りと人生への悲観が渦巻いていた。血を伴う革命の必要性を、私自身が一番身にしみて感じていた。

維新志士が行ったように、血を伴う革命が必要な時期に差し掛かってると私も痛い程感じていた。長州は勝った事により正義となり革命は成功した。

歴史的な事は何も知らないが、将校達の信念はそれと同じものに感じられた。この国を思い愁い生まれ変わらせたいと言う強い思いが、私に強い共感を与えた。

長州と将校達の違いは勝ったか負けたかだけの違いで、何ら卑下されるようなものでは無いと感じた。


遠い未来には、300年徳川幕府に耐えて国を変えた長州のように、将校たちの行った革命も尊い犠牲として評価される日が来るだろうと感じた。

しかし、その時はまだ来ていない。今、行動を起こしても失敗するだろう。革命は、多くの人々の共通した願いと時代の大きなうねりが合わさったときにのみ成功する。私が皆の思いを背負い、先頭に立って戦うことは、時代的に合っていないと感じ、彼らに「自分は力になれない」と伝えた。


別に失敗すると分かっていても戦いに身を置く生き方も悪く無いと思った。しかし、ステージで美輪さんが私に投げ掛けた愛のピースが埋まって無かった。

そのパズルを解かないまま絞首台で処刑されるのは嫌だと感じた。

生きる目標と言うほど、大層なものでは無いけど、自分が知らない感情や愛が、まだ残っていると思うと、それを解明してから命を賭けるような大きな博打を打ちたいと思った。


それに、今の日本は、なんだかんだで恵まれてる。まだ革命を起こそうと言う人々の方が少ない。

しかし、圧政による経済損失と天変地異が重なり人々の生活が苦しくなった時に、きっとあなた達の力を必要とする人が大勢現れるはずだ。その時まで待ってくれと将校に伝えた。


“富士山の噴火と共に血は流され革命が成される。”


その時まで、私は身を犠牲にして貴方達の為に尽力する程の事は出来ないが、少しでも力になれるように、自分が出来る範囲で頑張ると伝えた。


そして将校率いる1000の軍隊が私の影の中にズルズルと入って行った。

この瞬間に私は、美輪明宏に勝てると感じた。今此処で、やれば仏に勝ち私こそが神になれると感じた。

その力を得ただけで満足だったし、別に仏に恨みがある訳では無い。何なら美輪さんには個人的に感謝してるし、有難いとすら感じて居た。

しかし、向こうが自分達の思想に私達を降らせようと言うなら、命尽きるまで反抗し戦うだけだ。


すると、光は天に還り立ち去った。私は嬉しくて堪らなかった。この思念と言う領域で自分は最強になれたのだ。これが夢幻で自分の心の中の世界の話でも、自分が心のそこから己を誇れるのは何と素晴らしい事かと晴れやかな気持ちだった。

例え荒れ果てた真っ暗な荒野に、気持ちの悪い魑魅魍魎達と取り残さでても、自由があって縛られない開放感がある。

私達は万歳万歳と手を挙げ喜びを分かち合った。

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