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ぱっとみ真面目な中間管理職の私が、芸人に憧れて芸人を諦めるまでの10年間(10)

今年ディズニーランドと一緒に40歳アニバーサリーを迎える、見た目も平凡、人生も平凡、中間管理職が天職の私が、18歳から28歳まで芸人になりたくてくすぶっていた話。そして、きっぱりあきらめた話。

そしてエンジニアになった

会社員になり、エンジニアとして数年たち仕事の感覚がわかるようになってきた私は、なんだか日々に物足りなさを感じていました。
いわゆる「ユーザ系子会社」と呼ばれるシステム会社からスピンオフした会社でしたが、社風はアットホームでした。
そこにはたまたま、昔芸人を目指したことがある先輩がいて、たまたま私と気が合い、たまたま私の上司でした。(100人以上いる会社でしたがそんな人は1人しかいなかった。)
だから会社帰りに居酒屋で大喜利をしたりして、細々と楽しんでいました。
(ツボが全くあわないので、毎回さほど盛り上がりはしなかったけど。)

この先も私はエンジニアをやっていくだろうか。もともと理系でもないし、勉強家でもないし、これといった特技もない。何歳までやっていけるのだろうか。

変な人になりたかった

この時私はまだ、「変な人だと思われたい」という感情を持っていました。
これは小さいころからずっと思っていて、「変な人になりたい」と周囲にもずっと言っていました。
私にとって最上級のお笑いは「多くの人が気づいていない新しい視点を世の中にぶっ込むもの」だったからです。
驚いて、思考が停止し、笑ってしまう。そして、自分がその日からその視点を受け入れたことに後から気づかされて、再度驚いてしまうもの。
日常に小さな爆発を起こせる、「代り映えのない日常を生き返らせるもの」。
それができる人を「変な人」と表現していました。

くだらない、と言われるとうれしくて、
面白くない、といわれるのがどんな言葉よりも嫌いだった。

いつもあまり人生の計画を立てず、その時を楽しく、全力でやっていくことをモットーにしていましたが、
もう一度、ふと自分の行く先を、腰を据えて考えてみることにしました。

すると私は気づいてしまった。
私の中で、「芸人になりたい」という火が、消えていなかったことに。

もう一度、小さな火

もしかしたらこの頃には、仕事の中で少し自己肯定感が回復していたのかもしれないです。
だから、このままあきらめていいのかと強く感じてしまった。
だから私は「お笑いの世界で働く」という視点に考えを変えて、もう一度だけ、お笑いに向き合うことにしました。

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