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あなたの思い出の曲は?ー恋はみずいろ

私が大好きなクリエイターのみこさん

みこさんは、「耳コピ」と言って
楽譜を見てピアノを弾くのではなく、
曲を耳で聞いて、ご自身で楽譜にされて
ピアノを弾くことに挑戦されています。
他のクリエイターさんたちと
コラボもされています。

そんなみこさんから、
「butterさんの思い出の曲は?」
と聞いていただきました。

うーん…思い出の曲はたくさんあるけれど、
やっぱりピアノで聞きたいのは
「恋はみずいろ」という曲
みこさんに曲名とYoutubeのリンクを
お伝えさせていただきました。

そしたら…
早速弾いてくださったー-😢
感無量。

この曲を弾いてくださったこと、
練習にきっとたくさんの時間を
費やしてくださったこと、
イロイロなものがこみあげてきて
涙腺崩壊でした😢
(あと、「お友達」と書いてくださったことも
サイコーに嬉しかったです。)

実は私にとってこの曲は、
私の父の曲なのです!

💙父と私

私が9歳の時、
父親が亡くなりました。

もう30年近く経つので、
今では悲しくて惨めな気持ちになる、
ということはありません。

父について覚えていることは…

例えば、
私と姉のことを何より大切にしていたこと。
母親が私たちに洗濯物を干させようとして
父親がキレたことがあるほどでした
(洗濯物干しは免れました笑)。

外国へ出張へ行っては、
いろんなお土産を買ってきてくれたこと。
それが私にとっては父の帰国より
嬉しかったこと(いやなガキやで)。

庭の木で怪我をしていたひな鳥を
助けて世話をしたこと
(ぴぃちゃんと名付けました🐣
なんてひねりのない)。

スキーが上手で、
私たちに教えてくれたこと。

父親は手塚治虫の漫画が好きで、
たくさんコレクションがあったんです。
父は絵を描くのが上手でした。
私が夏休みの課題で描いた絵を見て
「下手すぎてどうしようもない」
と呆れられたこともありました。

私の今描いているイラストをみたら、
「この顔の大きさに、
この目と口の大きさはありえない」とか
言われそう笑。

亡くなる直前、
父が病院から家に帰ってきた時。
私が父の看病をしていた母親に
まとわりついて遊んでいたら、
父に「うるさい!どっか行け!」と
ひどく怒られたこと。

そして、これからご紹介する、
2つの思い出の曲。

💙父を思い出させてくれる曲たち

父が好きだった、
「恋はみずいろ L'amour Est Bleu」は、
もともとポップソングだった?ようで
それをフランス人の作曲家・ピアニストの
ポール・モーリアがアレンジしたそう
(と私は理解してますが、
誤っているかもしれません)。

私は父がこの曲を好きだったなんて
彼の生前は知りませんでした。

父は、地元ではちょっとしたすごい人で
死後、追悼のセレモニーが行われました。

その時、この父の思い出の曲を
姉が舞台でピアノ演奏しました。

その時の姉のピアノ演奏が素晴らしくて、
大好きで、
「恋はみずいろ」が
私にとってはかけがえのない、
父を思い出させてくれる曲の1つなのです。

他の楽器と演奏されている
バージョンよりも、
ピアノだけで演奏されている方が
私にはしっくりくるのです
(でもYoutubeでピアノVerは
見つけられないのです)。

余談なんですが。
もう1つ、父を思い出す曲があります。
それは、
ハリー・ベラフォンテのバナナボートの曲

ハリー・ベラフォンテのCDが家にあって
これも父が亡くなってから、姉とよく聞きました。
今でも姉はそのCDを持っています。

この曲は、
「昔聞いた共通の思い出の曲」が全くない
私と夫をつなぐ唯一の曲です。
夫は「ビートルジュース」という映画で
この曲を知ったそうですが、
私はその映画も見たことがなかったので、
父が好きでなければ、
曲の存在すら知りませんでした。

父の思い出の曲たちは、
私たちの披露宴でも流しました。

💙みこさん、ありがとう

父が死んで、お通夜やお葬式が終わってから
久しぶりに小学校に登校した際、
同級生に「お前、線香臭い」
と言われたことがあります。
線香臭いーーグサリと心に刺さりました。

それから、中学受験を受けて、
みんなが行く学校とは別の学校に進学し、
片親しかいないことを秘密にするようにしました。
父の死を恥ずかしく思ったのです。

「お父さんが生きてたらねぇ」
母はよくこのフレーズを使います。
「お父さんが生きていたら、
アンタ留学なんてできなかったよ」
「アンタは大阪で下宿なんてできなかったよ」

そう言うことで私たちを納得させるように。
それで母自身も、
私たちが進んでいる道が正しいと思えるように。

母の洗脳の甲斐あって笑、
私も正直そうやって思います。
「箱入り娘」(死語)として
育っていたかもしれません。
父がいたら、
留学もせず、中東で働くこともなく、
フランス人と結婚することもなく、
ずっと親のすねをかじり続けていたかも
しれません(その可能性めっちゃ高い)。

そうしたら
noteを書くこともなかったかも。

昔は隠したい一心だった父の死も、
今の私を作った、大きな要因の1つです。
そしてnoteで
こんなに素敵な人たちと出会うことができて、
父への想いを堂々と
語ることができるようにもなりました。
父も、こんな私を
遠くから見守ってくれていると思います。

この記事を
みこさんへのアンサー記事(なんかゴロ悪い)
と勝手に!させていただきます。

みこさん、
本当に本当にありがとうございました🎹🎹
みこさんの考え方や、
新しいことにチャレンジされているお姿に、
いつも刺激をいただいております。

耳コピ、これからも頑張ってください!
私はピアノが弾けませんので、
独学でオリジナルの楽譜も作成されて、
耳に頼って正確に曲を再現できるなんて、
素晴らしい才能&
日々の練習の賜物だと思います。
これからも、応援しています♪

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