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父とは…父の日とは!?

全く公平な環境なんてないのだと理解していても、辛いものはつらいし泣きたくも怒りたくもなるのは仕方ない。せめて人様には不快感をなるべく与えないように気を付けて生きている。ただそれだけが唯一今できることで、地道に努力していくしかないのだけども…。幼い頃に母から「Yちゃんの近くにいるとちょっと嫌そうな顔してるわよ」と言われたことがある。当時はそうなんだ…と思ったし、実際Yちゃんのことは苦手だった。なぜならYちゃんは目の不自由な同級児童をわざわざ鶏糞の落ちている場所に座らせて笑い者にするような子だからで、その性格は中学に入る頃にはYちゃんがクラスの皆から無視されるという結果が待っていたので、わたしだけが嫌だなあと思っていた訳でないと確信に至った…。問題はYちゃんではなく、普段から自分自身の家族を物としか考えていないような母親が私の表情に注目したことなのだが、ただ単に私と母とYちゃんの母の職場が同じなだけなのだ。つまり家庭で何もかもを理不尽でも我慢しているのに保育園でも我慢しろということで、決して子のためではなく自分自身が社内で楽に生きるためだけの理由で。わたしは母親に歯磨きの仕方すら教えて貰ってはいない。物理的にも精神的にも役に立つことは何一つとして得られなかった。その暴力の意味がわからなかったという記事にも付け足すエピソードがあり、言葉もままならない年齢の幼児であるわたしの頬が歪に腫れるほど拳で殴り続けた父の話の続きになるのだれど、その暴力後に母親の口からでた言葉は「お父さん、呼ぶからね。いうことをきかないと」だった。恐ろしい母親だなと思う。殺したいくらい嫌いであるにも関わらず、その反対に自分を殺して我慢する園児時代を送っていたので、銃社会なら撃ち殺せたのになあ…。なんて物騒なことを本気で思ったりしていた。勿論、思っているだけだけども。この思考が恐ろしいと感じるなら、精神的に幸せな幼少時代をおくることができた人なのかもしれません。実際のところ幸せな(ひとなみな)家庭生活をおくれた方の気持ちは理解することも味わうこともできなかったのでよくわからないのだけれど。子供の表情にまでダメ出しをしながら、母親は近所間のトラブルメイカーという矛盾。矛盾していて、理不尽で、5歳にして生きる気力なんて殆ど失っていた。だから前回の記事でお見合いが憎いと書いたのだ。それさえなければ確実に父も母も結婚できないタイプの人間なのだから。一度だけ父の実家に遊びに行ったことがある。父の実家は農家なので田舎だ。田舎の夏と言えば虫……悲しいかなこの思いでしかない。恐ろしいとゴマだらかみきり虫が胸元に張りついたのでギャン泣きで「とっでぇえ~」と叫んでも、人の表情や気持ちのわからない父には無だった。記憶はそこで途切れている。人付き合いの難しい母なこともあって、2度と父の田舎には行くことはなかった。そういえば父の泣いたところもみたことがない。冷蔵庫に入れた物も勝手に食べるのは自我の境界が曖昧だからなのだろうかとも考えることもあったけど、自分のものに手をつけられると怒るので意味不明だ。自閉症スペクトラムが意味不明な人と言われるのも納得できる。スペクトラムなので人それぞれなのだろうけど…。療育で乗り切れる障害なのかそうではないのかも、たぶん人それぞれなんだろうなあ。とにかくもうわたしは、怒りやらあきらめやらで笑うことは殆どなくなっていた。小学生の時に、クラスのムードメーカーやら、クラスいち運動神経がいい人とかのアンケートに、どえらい迷惑な項目があった…笑顔が無い人という項目だ。該当者はわたししかいない。絶望と失望しかない上に毎日嫌なことしかないのに笑うのは無理なんだけどな…。皆はいいよね、わたしの知らないことを沢山知っているだろうしさ…ずっしりしっかりどっしりネガティブ思考が育っていく日々だった。姉は「父親はまだ理解できるけど、母親はわからない」と言う。わたしから見ると姉は若干父親の地を濃く引いているようだ。幼い頃は、随所にそれを感じたけれど決定的に父と違うのは、姉は泣きも笑いもできるし笑いのツボもあるし正常な感覚・感情の持ち主だということ。少しだけ情感に鈍いけど…若干ASDっ気があっても、それだけなら案外上手く生きていけるのかもしれないと姉を見ていると感じる。本人いわくやはり幼少期には絶望しかなかったそうだけど。そして母親は「上の子と下の子は別に育てるの、下の子は自由に」などと言っていたが自由とネグレクトを履き違えている。自由というわりに、ある日帰宅したわたしの目の前には、わたしの個人的な手帳をビリビリ破いている母親が居たりする。毒親にありがちなことだと毒親漫画で知った。とにかく頭がおかしいのだ。頭が可笑しいのは、自覚がなければなおらないし、自覚があっても治せるかどうかは知らない…。少々LD持ちのわたしだっておかしいのだろう。今考えると小学低学年の授業アナログ時計の読み方だけは難しく思ったのもそのせいだと分かる。授業時間内に読めるようになったけれど、もしかしたら広範囲のLD持ちの子は頭が弱い人だと勘違いされるのかもしれない…弱いっちゃ弱いけど、それでも弁護士になった人もいるので努力と環境でどうにかなる方はどうにかなる。なので環境は本当に大事だ。環境と性格に培われたネガティブ思考の払拭に励んでいる日々なのだけど、少しだけ前向きな気持ちになれたのも家族外の出会いのおかげなので、出会った方に感謝する気持ちを忘れないように生きていきたいなあと思う。おやすみなさい。                                                                         もしかしたら最初で最後になるかもしれない父の日のプレゼントを実家へ送った。いろいろなことがあったけれど、父の脳がおかしいのは治しようがないことだから退職までの労働を(わたしの分際で申し訳無いのですが)ねぎらわせてもらえればと……思って送ったけど、父と母からすればそれはそれで不気味な気持ちになるに違いないと今気がつきました。あーあ、ローソンの発酵バターメロンパンでま食べて元気になろう。


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