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やばい、まじやばい! やばいと思って跳んだら、とんでもなく跳んじまったぜ

やばい、まじやばいって! 
何がやばいって、走り幅跳びだよ。
助走でこりゃダメだと思って跳んだら、それがもうとんでもなく跳んじまった。

世界陸上の3日目。
場所はアゼルバイジャンの首都バクーのオリンピック・スタジアム。
アゼルバイジャンってオリンピックやったことないのに、なんでオリンピックスタジアムがあるのかって? 知らね-よ。そんな事。

とにかくとんでもなくカネをかけて作った超近代的な屋根付きスタジアムがあるんだよ。バクーに。
そこで俺は男子走り幅跳びの予選に出ていた。

俺はこう見えても日本の幅跳び界では一応トップアスリートだ。
なにせ、自己最高は8メートル22だからな。

まあ、そうは言っても、だいたい7メートル70から8メートルあたりが俺の真の実力値なんだが・・・。
日本選手権なら、優勝はまず無理だけど、決勝には進出できて、運さえ良ければ6位入賞ぐらいにはなるレベルだ。

今年の春の地元の鳥取県実業団大会で、どういう拍子か8メートル22というとんでもない記録が出ちゃったんだよね。
みんな驚いてたけど、跳んだ俺が一番驚いた。
おかげで記録の上では日本のトップアスリートの仲間入りした・・・というわけ。

でも、そのまぐれのレベルですら、世界選手権レベルとなると、運が良ければ予選通過、すごく運が良ければ入賞圏内に手が届くという感じなんだよな。
世界はレベチなんだよ。

日本選手権で3位にすら入ったことがない俺が世界陸上の日本代表に選ばれたのは、単に運が良かったから。
世界陸上の常連の日本記録保持者の田中(自己最高8メートル40)が怪我で離脱、もう一人の有力者の吉岡(自己最高8メートル32)がドーピングで無期限出場停止になったことで、俺の他に世界陸上の参加標準記録(8メートル20)を満たしたやつがいなかったんだよ。

日本選手権で”顕著な”実績のない選手を世界陸上に出すなんて前例が無いって、陸連内ではだいぶもめたらしい。
”顕著”って主観的な基準はいったい何なんだろうな。
けど、スポンサー(なぜか世界陸上のスポンサーは日本企業だらけなんだよ)の手前、標準記録を出している選手がいるのに出さないわけにもいかなかったようだ。

そんな裏側が見え見えなのに、陸連の偉いさんは「特例として行かせてやることになった」とか恩着せがましくぬかすもんだから、一瞬本気で辞退しようかと思ったよ。

でも、こんなチャンスなかなか無いから、出ることにしたけどね。

で、予選だ。
世界の桧舞台に立てば、アドレナリンがどばどば出て、ひょっとしたらまた8メートル台の大ジャンプが出せるかもと実はちょっと期待してたんだが・・・ そんな事はなかった。

1回目はなんとまさかの6メートル76。
で、2回目は7メートルぎり超えたけど、足が踏切板を少しはみ出しちゃってファール。
めちゃ調子が悪い。
他の選手は軽く流した感じで7メートル90とか8メートル跳んでるんだぜ。
もう、超だんとつでビリ。

1回目6メートル台なんていうインターハイレベルの低記録を出した時は、スタジアム中がどよめいたよ。
なんか東アジアの方から素人さんが出て来ちゃってますやん・・・みたいな反応。

なので、2回目の跳躍の時は、有力選手よりも俺の方が注目度が高かった。
で、またもや(世界陸上にしては)異常な低記録なうえ、ファールにもなっちゃったから、スタジアム中ため息。
そして、試技を終えた俺の健闘を称える温かい拍手がスタジアムのあちこちから起こる始末。
俺がレベル違いの大会に出されちゃった健気に頑張る選手に見えたんだろうな。

拍手をする観客達に向かって俺は両手を大きく横に振りまくって、違う、違うんだー! 俺はそんな頑張る姿に拍手をもらうようなレベルの低いアスリートじゃないんだーーー!ってアピールしたよ。
そしたら、それを温かい応援に感謝してるって勘違いされちゃって、スタジアムの拍手がますます大きくなりやがった。バカヤロー!

予選は3回しか飛べないからな。
またファールなんかしたら即失格で、歴史的な低記録での予選落ちが確定だし、またもや観客から盛大に生温かい拍手を受けてしまうことは確実だった。
せめて7メートルの中盤ぐらいを出して、俺は何かの間違いで出て来ちゃった選手じゃないことぐらいは証明しておきたいじゃん。
陸連の偉いさんからどんな嫌味を言われるかわからんし。
なので、8メートル台を出そうとかスケベな事は考えず、ファールにだけはならないことに気をつけて、いつも通りに跳ぶことにした。

で、助走を始めたらなんかおかしいんだよ。身体が妙に軽いんだよ。
あーーーーっ、これダメな時の助走じゃんって思ったよ。
でも助走始めちゃったからもう遅い。
やばい、まじやばい、やばすぎるーーー・・・って思いながら走った。

そしたら、踏切板までの歩数もぐちゃぐちゃになっちゃって、踏切板の二歩手前で利き足の右足が来ちゃったもんだから、仕方なく左足で地面を蹴ったよ。

身体が宙に浮いた瞬間、俺の身体からすっと重力が抜けた。
感覚的なものだからすごく表現が難しいんだけど、身体の重さが「無」になった感覚だった。

俺の身体は高さ約2.5メートルをキープしたまま、着地用の砂場を通り越して、あれよあれよという間にカメラマン達が陣取る取材席の手前のアンツーカーまでぶっ飛んで行った。

その間、俺には全てがスローモーションだった。

俺を見上げてポカンと口を開けている記録員のおっさん。
俺を小馬鹿にしていた選手たちの何人かは、唖然とした顔で空中の俺を見ていた。
同時並行でトラックでやってた5000メートルの女子選手達が、走りながら目を見開いて空中の俺を見ていた。
観客は、両手を挙げて笑っているやつ、俺を指差し何か叫んでいるやつ、俺を全然見てないやつ、いろいろいた。

アンツーカーってのは何の衝撃緩衝も入ってないからな。
尻から着地した俺は、着地と同時にもんどりうって数メートル転がって、そのまま取材席の鉄柵に頭から激突。

そこで時間が元に戻った。
額から出血した俺が柵を押しのけてなんとか立ち上がると、競技場は静寂に包まれていた。
スタジアム中が、見てはいけないものを見てしまった・・・そんな雰囲気だった。

異様な雰囲気の中で、審判団、記録員のおっさん、おばさん達がお互いに顔を見合わあせているし、他の選手は呆然と立ち尽くしてた。
顔面血だらけの俺は放置だ。誰も近寄って来ない。

場内の巨大ビジョンで、流血しながら突っ立ている俺と、俺の踏切り画像が繰り返し流されて、俺の左足は踏切板の10センチも手前で地面を離れていて、ファールじゃなかったことをしきりに映してた。

計測係のおやじが、用意していたメジャーじゃ全然計測できないって頭を抱えてた。
そりゃ砂場を通り越しちゃうような大ジャンプするとか想定外だよな。

そのうち場内の巨大ビジョンに、テスト導入したカメラとAIによる計測跳躍距離とかで、踏切板から俺の着地地点までが黄色い線で結ばれて、19メートル95と出たから、スタジアムが割れんばかりの大騒ぎになった。

三段跳びの世界記録が18メートル29だからな。それより跳んじまったということだ。

そこから審判団の協議が始まったよ。
10分ぐらい審判団がぐちゃぐちゃやってたら、今度はスーツを来たIAAF(世界陸上連盟)のおっさん達がやって来て、ルールブックを見ながら、口角泡を飛ばしてまたあれこれと議論が始まった。

で、ようやく連中が出した結論が、
「砂場の外に着地したので失格」だったわけよ。
馬鹿だろ。

確かにルールは、「踏切後、着地場所への最初の接触前に、助走路あるいは助走路外の地面あるいは着地場所の外側の部分に触れた場合」は失格となっている。
ルール上は、着地場=砂場に着地する前に、着地場=砂場の外側に触れたら失格だ。

俺が「砂場を通り越すジャンプしちゃったら、砂場にはどうやっても着地できないですやん」ってさんざん文句言ったけどダメ。
IAAF(世界陸上連盟)のおっさんは”ルールはルールだから”の一点張り。

ということで、俺はダントツのビリで予選敗退が決定した。
場内アナウンスが流れるとスタジアム中大ブーイングよ。
そりゃ、すごかったよ。

その後にやった決勝も表彰式もまったく盛り上がらなかった。
観客も選手ももうどうでもいいって雰囲気になってたからな。
決勝は野球で言えば消化試合みたいな感じになっちゃって、選手は誰もやる気なし。
なので予選より記録を伸ばした選手は誰もいなかった。

ザマーミロ!

でも一番気の毒だったのは、走り幅跳びの後に行われた三段跳び。
どの選手もやりたくないのが見え見えだった。
どんなに頑張っても、走り幅跳びの俺より跳べないんだからな。
そりゃ嫌だよな。

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