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もっとも個人的なこと

2月頭に新居に引っ越した。

転職して仕事を変えたら自宅で作業をすることも増え、出張から帰ると書類の整理もままならぬまま次の出張、ということも体験して、私にとって最大の癒し空間である家が徐々に荒れていった。ストレス発散のために家事をしようにも社名の入ったファイルが目につき不完全燃焼、デスクを置くスペースもない環境では、とても身を入れて仕事をすることもできなかった。

衣食住とタスクが混然とするワンルームの景色に、耐えられなくなったのである。

以前この家に引っ越すときもそうであったように、人生の選択に、家が、合わなくなった。

普段からなかなか重い腰を上げないくせに、「やる」と本気で決めたことに関してはさっさと決断することもたまにある(何年かに一回くらい)。今回の引っ越しもそれで、年末に引っ越しを決意し不動産屋に行き、その日のうちに申し込み書を書き、年明けには引っ越し手配に奔走した。

新天地に選んだ街は、本当に縁もゆかりもない土地だった。下見に来るまで駅に降りたこともない。

ただ、隣駅に姉夫婦が最近引っ越したこともあり、天変地異が起きた時に助けてくれる人がそばにいる安心感もあって、さほど抵抗感はなかった。

なによりとても、暮らしやすそうな街だ、と思ったのだった。

引っ越し当日妹に手伝ってもらいながら、自分でも驚くスピードで家を整え、翌週には久しい友達を招いて宅飲みディナーなんぞ催したりした(楽しかった)。

そのうちの一人の友人に、「maiya、文章書きな。noteでもやんなよ。それだけ今日は言おうと思ってた。」と言われた。

思えば彼女は、かつて出版社からの転職をぼんやり視野に入れている私を見計らったように、自分の会社見学に呼んでくれたこともあったのだった。実際にはタイミングが合わず状況も変わりその話は現実にはならなかったが、彼女が声をかけてくれたポジションは「採用広報」だったのを覚えている。「maiya、ブログ読んでて思うんだけど、文章書いたほうがいいと思うんだよね。しかもエモが入ったやつ。採用広報はエモを入れていいから、maiyaに向いてるんじゃないかなって思ったの。」と言われたのも、忘れられない。人事分野に興味を移し始めている私を違う側面から支えてくれた言葉だった。

数年前から、ブログで細々と自分の考えをまとめたりはしていた。考えていることも一度言葉として外に出してやらないと、もう自分の中で抱えきれない、ということを自覚し始めた時期にも重なったからだと思う。

でも、適応障害になった体験をつづった記事を最後に、それも更新できなくなっていた。書きたいネタはスマホのメモに単語だけでも記し、あ、なんかそろそろ書けるかも、という状態と、やっぱり無理、を繰り返しながらもう1年以上何も書いていない。

少し気張りすぎていたのかな、という気もする。

復職したり、そこでまた色々なことがあって転職したり、新しい職場でも色々なことを思ったり考えたりして、やっと1年を過ぎた。

これまでに書いたことをまた振り返ったりしながら、ゆるやかに、思ったことを書けるようになるといい。

そういえば、アカデミー賞を受賞した「パラサイト」のポン・ジュノ監督が、スピーチで引用したのはマーティン・スコセッシの言葉で、流れるニュースから私もそれをしばしば目にした。それが強く印象に残ったのは、私が言えることも書けることも、結局私自身が考えてきたことだけだな、と思い始めていたからなのだろう。大きすぎず小さすぎず、感じ考えていることを正確に伝えていけるようになれたらいいな、と望んでいたことをまた思い出すきっかけでもあった。

少しずつ、形式とか文章のうまさとかに囚われず、私もそうしたことを恐れずにアウトプットできるようになれればと願っている。

「もっとも個人的なことが、もっともクリエイティブだ」、と。



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