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へんてこの誇り~「違国日記」を読んで考えたこと

「あなたをね、一言で表すと、アブノーマル。」

開口一番、占い師にそう言われたことがある。学生時代の友人と新大久保でランチを食べた後、「占いに行きたい」と誰かが言い、適当にスマホで検索して入った店だった。あれ何年前だろう。3年くらい前? 忘れたけど。

古びた雑居ビルの小さなエレベーターで上階にあがり、カフェのような店内に入って飲み物を注文すると、しばらく経って個別ブースに案内される。客は私たちのほかにも何組かいるようだ。ドリンクも内装もこだわりがなく平凡で、安っぽい感じが全面に漂う。案内されたブースでしばらく待っていると、大柄の男性がやってきて、プランを説明して何が知りたいのかそれぞれに尋ね、聞き出した生年月日に基づいて小さな冊子をペラペラとめくる。机に広げたA4くらいの白い紙に何やらよくわからない数字や表、記号を色々と書き出して、その結果を伝える。彼は私に対して冒頭の台詞を告げたあと、「日本語でいうと、”普通じゃない”」、と訛った日本語で付け足した。私はぼんやり、彼の右手そばに置かれた、吸い殻でいっぱいの灰皿とコーヒーを眺めていた。

四柱推命って統計学でしょ? どんなロジックで算出してるの? 信憑性たるやいかに? と穿った姿勢で冗談半分に聴いていたから、その後何を言われたのかはほとんど、というか全く覚えていない。「アブノーマル」。これだけが強く残った。

そんなこと、改めてわざわざ言われなくても、本当はずいぶん昔から知っていたような気がする。

他の子が気にならないことが気になる。自分の気持ちを正直に話して周囲の大人をぎょっとさせる。みんなが疑問に思わず軽々とこなしていることに、いちいち違和感を覚える。学校のスケジュールや制度がつらい。先生の言っていることはきれいごとにしか思えないし、そんなに頭がいいとも感じない。他人と仲良くするのにものすごく神経を使う。当たり障りのないことを言ってなんとかやり過ごそう。でもこんなに疲れるなら、必要最低限、いやむしろもう一人でいいや。
高校生活や勉強は楽しかったから大学に進学するも、受験競争を勝ち抜いた強者かのように驕る周囲の環境にどうしてもなじめず、入学して半年で「服飾の専門学校に行きたい」と母に言ったら、長女を動員して訥々と説教されたこともある。リクルートスーツは、喪服です。私の感性はお亡くなりになりました。
自分が普通じゃないことを知っているから、”普通の”恋人をつくって世間一般の学生たちの輪に潜りこもうとした。彼はたぶん、私が本当はどういう人間か知るよしもなかったろう。私自身、彼の理解が及ばないことを知ればこそ、全てを曝しなどしなかったのだから。「私の一体どこが好きなわけ?」と禁句質問をしてみたら、「顔」と答えた人だった。それでも、無理やり一緒にいることで”普通になれる”と思っていた。
私は、他人とものの捉え方が違うという性質により自分が独りであることと、なんとか折り合いを付けたかったのだと思う。おそらくは間違った方法で。

最近、職場の先輩に薦められて読んだ漫画に、「違国日記」というものがある。自分が周りと違うという事実に幼少期から気付き、そのことから逃げず自らの生き方を追求するのち、作家という人生を選んだ孤高の女性だ。不慮の事故で突然両親を失った姪が、身勝手な大人たちに蔑ろにされている光景に怒りを禁じ得ず、彼女を対等な人間として引き取ることを宣言する。一人の時間が必要で、他人とうまく付き合うことのできない不器用さを後回しにしたまま。彼女と姪、学友たち、姉と母、元恋人や弁護士など、関係者との日々を描く中で、自分が自分と向き合うことのそれぞれの葛藤を真摯に表した作品だ。

「あなたの感じ方はあなただけのもので 誰にも責める権利はない」
「あなたが誰を好きになってもならなくってもそれは罪ではないという話」
「わたしには 人に助けてもらう価値がないと思ってしまう」
「書くのはとても孤独な作業だからさ」

主人公や様々な登場人物が発する言葉の一つひとつが、長い間ずっと誰かに言ってもらいたかった救いのように核心を突くから、休日に一人ぼろぼろ泣いた。

でももしかしたら、その中で一番刺されたのは、彼女の姉のモノローグの一文かもしれない。

「こんなこともできないの?」と妹を通して自分を責め続けた姉。彼女はまるで”普通になるために”自分を厳しく律する看守のようだ。絶え間ない努力にも関わらず、思い通りにならなかったその人生の虚しさをただただ抱える。広がる現実世界が少し浮き、自分の孤独と向き合う強さを妹に見出しながら、「わたしの妹 あなたはどうやって ひとと違う自分に 耐えて生きているのだろう」、と。

そして知る。結局、普通じゃないことの生きづらさに耐える力が、私にはとことん足りなかったのだな。

舞台女優に向いてそう、ピースボートに乗るのもいいんじゃない、と多様な人生に寛容なふりをするから、生きやすい場所を選ぼうとしたら、どうもそれは望んでいないようだった。そのレールからは降りるなと暗示し、私の能力を活かさないことは社会の損失だなどと宣う。頼むから娘が一人死んだものと思ってくれ、と言ったのに。母と娘って、つくづくめんどくさい関係だな。でも、本当に自由に生きたいのなら、親との縁を切ることも覚悟の上で、それを選べば良かったのだ。この人を傷つけるという罪に甘んじて罰を受け、私が私の孤独を抱えれば良かっただけの話だ。

私の母は本をよく読む人で、かつての実家には膨大な蔵書があった。改築の際にそのほとんどを捨てたようだけど。彼女は文章がとても上手で、もともと書き手となることを志していたようだ。その夢の名残か、30代から子育ての傍ら年に何回か個人通信を書いていた。母は語彙も圧倒的に豊富で、私は彼女によく自分の考えを先回りして表現されていたように思う。私は今でも時々、自分の文章の中に母の面影を見つけると、とっさに消去し練り直すことがある。違う、これは、お母さんが考えていたこと。私の本当の気持ちは? 嘘偽りなく自分の心と向き合うことは、どうしてこんなにしんどいのか。

母と同じ土俵で争いたくない私は、ほとんど読書をしない子どもだったが、15歳くらいから本を読むことの楽しみを知り始めたように思う。

そのきっかけは、恐らくいしいしんじという作家の『麦ふみクーツェ』という作品である。独特の世界観で、こんな文章もあるのか、と柔らかい感受性で感動したのをかすかに記憶している。当時のメモとして書き写されていたのは、こんな言葉だ。

「へんてこで、よわいやつはさ。けっきょくんとこ、ひとりなんだ/
ひとりで生きてくためにはさ、へんてこは、それぞれじぶんのわざをみがかなきゃなんない/そのわざのせいで、よけいめだっちゃって、いっそうひどいめにあうかもしんないよ。でもさ、それがわかっててもさ、へんてこは、わざをさ、みがかないわけにいかないんだよ。なあ、なんでだか、ねこ、おまえわかるか」

「それは/それがつまり、へんてこさに誇りをもっていられる、たったひとつの方法だから」

アブノーマル? ええ結構ですとも。それで一体なにが悪い? なんにも知らないくせに。

私は私の孤独を理解するため、「書く」という技を磨かなければならないのだ、と最近静かに受け入れ始めている。


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