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社長はじめて物語

今日、10/20は Allrightの代表になってちょうど1年。
せっかくなのでこの1年のことを振り返りつつ自分自身の変化について考察してみようと思う。

Allrightが法人化したのは2010年の1月。決算が8月なので、今は10期目に入ったところ。グラフィックデザインを軸にしていて、活版印刷の工房があり、そして昨年には音楽レーベルを立ち上げた。

設立当初は弟の唯さんが代表取締役を務め私は取締役。数字や事務的なことは不得意じゃないのと3年フリーで仕事をしていたので自然と経理・総務など含め仕組みづくりや全体のマネジメント的な役割を担って来た。

代表交代は立候補

私たち姉弟は、乙女座・O型・顔も類似と非常に近しいDNAを持っているものの、大きく違うのが唯さんは「推薦型」で私は「立候補型」。他の言い方をすると「告白されるタイプ」と「告白するタイプ」。或いは「待ち」と「攻め」。

会社というのは、トップの質がものすごく影響するものだ。だから唯さんが代表の時は相手から告白をしてもらえるような、準備して道筋を作って待っているような、仕事おいてもそんな流れがあった。

多分、私はそこに攻めのパワーを入れたくなったんだと思う。色々変化も重なって、ある日、あ、私が代表をやってみると面白いかもしれない。と突然思ったのだ。まず唯さんに話し、そしてAllrightのみんなにも話したのが昨年の8月。話した後に急に怖くなって、やっぱりやめようかと思ったりもしたけど、この変化がどうしても必要な気がして、この頃丁度準備をしていた「髙田唯展 遊泳グラフィック」の展示が終わる10/19まで唯さんには代表を務めてもらい、10/20からは私が交代という段取りで手続きを進めることになった。


最初の仕事

代表になると決めた後すぐに最初の試練がやってきた。それはまるで代表になる気が本当にあるのかどうかを試されるような出来事。その頃長期の仕事が重なっていて、現金ショートが予想される事態になっていた。売り上げの見込みはあったので融資を受けることにし、手続きを進めていた。

しかし、代表交代手続きの時期と融資を受けたいタイミングと現金がショートする瞬間が絶妙に重なってしまった。

私が代表になる手続きがもしも難航すると現金はショート。唯さんが代表のままであれば恐らく問題なし。

まさかの代表になると決めてから早速大きな決断を迫られる事態に。

私はこの事実を、お気楽にデパ地下でお弁当を選んでいた時に母(経理補佐)からの焦った電話で知ったのだった。

一旦電話を切り、考えた。

唯さんの個展が終わる10/19まで彼に代表でいてもらって10/20に代表になる覚悟は固まっていた。唯さんだってそのつもりで気持ちを整理しているだろう。法人化すると決め誰が代表をやるかという話をした時に、この姉ではアカンな…と20代の若さで静かに引き受けてくれた彼にこんな形でもうちょっと続投してくれとは言いたくなかった。それに私の性格だから、ここで引いたらずるずると先延ばしになってしまう気がするし10/20は暦的にもすごくいい日だった(ゲン担ぎ大事)。

改めて覚悟を決め、再び母に電話。のり弁をにぎりしめ、代表交代の手続きをします、と告げた。

その後はとにかく最速で動いた。代表交代手続きが10/20に受理されるよう何度も法務局に通い、書類の確認をしてもらった。無事受理され、融資を検討してくれた信用金庫の担当者も素早く動いてくれ、なんとか現金はショートせずに済んだのだった。

代表になって初めて一人で決断したことは、借金。契約書には当たり前だけと自分の名前を書き印鑑を押す。正直震えた。

前回のnoteでお金のことを少し書いたけど、代表になることで私はお金のことをきちんと学ぶ機会をもらったんだと思っている。

次々と迫られる決断

その後も間を空けず次々と色んなことが重なった。夏から準備をし始めていた音楽レーベルの立ち上げと12月に予定していたお披露目イベントの段取り。そして前述した唯さんの個展は、今後大きなチャンスにして行きたかったので、まずはスタッフの仕事環境を整えようと引越しを決行。年末には場所を決め、年明けから準備を進め、スタッフの要望で最新のMacも入れ、引越した矢先そのスタッフが急に辞めた。1人減って相当忙しかったのと、やっぱりショックだったのとで、このへんの1ヶ月のことはあまり記憶にない。

人を雇うことのリスクを今一度考えるとともに、そもそもAllrightをどういう組織にして行きたいのか、今いてくれるスタッフとどういう関係を望むのか。そのために何をやめて、何を選ぶのか。考えて来たようで実は表面的だった部分がどんどん明らかになっていく。なんで代表になるって言っちゃったんだろう、私が代表になるなんて言わなければこんなことにならなかったのかなと何回も思った。けれど今さら逃げるわけにもいかなくてひたすら向き合う日々。今年の春はとてもきつい時間を過ごした。このころTwitterで「胆力」「胆力」言ってたのはこのせい。

そして少しずつ傷が癒え、定期のアルバイトさんも見つかり、新しい事務所にも慣れたころに、髙田唯上海展の話が舞い込んできたのだった。

上海がもたらしたもの

最初、上海には行かないつもりだった。レーベルを立ち上げ新しい事業としてそれなりに投資もしていたし、引越もし、海外個展での出費もあって、一人分の航空券だってケチりたい気分だったし、気持ちもまだ全然余裕がなかった。しかし上海の求心力はものすごかったし、行きたい気持ちに逆らえなかった。

結果、私はビジネスの面白さを知って帰ってくることになる。コミュニケーションが十分ではない中での色んな交渉や、折り合いのつかないことをどう飲み込むか、どう主張するのか。今言わないとあとで面倒なことになる気がして、とことん細かいことまで確認するがためにとにかく長引く会議。体も脳も、ものすごく疲弊していたのだけど、反面心だけはとても興奮していた。ヘトヘトなのに楽しくて途中で顔がにやけて来た。この気持ちが何なのか形容しにくいけど、とにかく今まではどちらかと言うとネガティブに捉えていた「ビジネス」が、実はとてもクリエイティブなものだと分かったからだと思う。

上海から帰ってからは、以前よりもずっと交渉のタイミングや事前に考えること整理しておくべきことがわかるようになった。何より、正直に自分の会社の状況を伝え、お願いすることができるようになった。

代表になると決めてから1年。決めると動く、は本当で、2年目の挑戦は今日から始まったばかり。またボチボチ、経営のことも書いていきたいと思っている。

#ビジネス #経営




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