ある男の手記

【こちらはYoutubeで公開した動画(https://youtu.be/mwq9tHGINbI)を補完するものです。そちらをご視聴の上、ご覧ください】

20✖✖年5月16日

やった、ついにやった!ケンジを殺した!

ケンジは『俺』の親友だった。"唯一の"と言ってもよかった。
ケンジだけは俺を裏切らないと思ってた。
だがアイツは裏切った!だから殺した!

アイツが夜逃げしてから俺の生活は激変した。クソ親父はいつのまにか蒸発した。母さんは過労死した。妹は夜の街に――
全部俺のせいだ。違う!アイツのせいだ!だから殺した!

それから俺は全てを捨てた。家、戸籍、名前――
邪魔になるものは全てだ。それからの俺の人生はアイツを殺す為だけにあった。
使えるものは全て使った。犯罪にも手を染めた。
情報を得るために金が必要だったからだ。
幸い俺には才能があったようだ。いいや、そんなことはどうでもいい。
そうして今日、とうとうケンジを殺した!長かった!やっと殺せた!
―のに。

もっと嬉しいもんだと思ってた。全細胞が踊るような―
いや、実際嬉しかった。こんなにテンションが上がったことは無いと思った。これが"生きてる"ってことだと。だが―
歓喜の声はすぐに止んだ。止んじまった。
なんでだ。全てを捨ててまで待ち望んだ事だったのに。
俺の全てだったのに―。
何故俺は泣いているんだ。なんでこんなに深く悲しんでいる。
分からない。分からないが―

今の俺に何も残ってないことだけは分かった。

20✖✖年5月17日

最悪だ。寝て起きても気分は最悪なままだった。
俺は薄々気付き始めている。いや、昨日から気付いてはいた―
全てを捨てて、やっと掴んだものは『無』だった。
母さんや妹に「仇は取ったよ」と声をかけるような、センチメンタルな気分にもならない。
全てを捨てた時にそういった感情も無くしてしまったのかもしれない。

いつの間にか手段が目的になっていたのだ。いつからなのかは分からない。
ただ俺は母さんや妹の為だと思いながら―
『復讐しようとしている自分』に酔っているだけだったのだ。
悲劇の主人公だと思っていたのだ。

最悪だ。

地獄を脱したと思った先にあったのは更なる地獄だった。
もう嫌だ。なんで俺が、俺だけが―
違う。クソが。すぐ悲劇の主人公になっちまう。
何の反省もしていない。愚かだ。
いや、そもそも―
殺しにまで手を染めた俺が"反省"なんてしていいのか。
早く俺も死ぬべきなんじゃないか。

俺はこれからどうしたらいい。
こんなことなら昨日隠蔽工作なんてするんじゃなかった。
その場で捕まれば良かったのだ。あるいはそのまま死ねば―
結局の所、我が身は可愛い、ということか。
悉くクズだ。どうしたら―
クソ親父も探して殺そうかと考えたがすぐに思考を放棄した。
同じだからだ。また苦労して殺しても待ってるのは『無』。
八方塞がりじゃないか。

俺が生きてる意味は―
生きてる意味は何なんだ。

20✖✖年5月20日

クソみたいに路頭を歩いていた俺の前に、デカい黒塗りの車が停まった。
最初はケンジ関係か金を得るために属してた『組織』の奴らかと思ったがそうではないみたいだった。
車から、黒服の男が数人、飛びぬけて高級そうなスーツを着たオッサンが1人降りてきた。
そして、高級そうなスーツを着たオッサンが『なんたら協会』とかいう名刺を渡してきた。
何協会と言っただろうか―いや、そんな事はどうだっていい。
何故なら、そのあとの言葉が衝撃的過ぎたからだ。

オッサンは、何か知らんが、俺に『拳銃』と、『3分半だけテレビ電波をジャックする権利』とやらを与える、とのたまった。
拳銃は分かる。いや意図は全然分からないが置いておくとして―
テレビをジャックする権利だと?まるで分からない。何が目的だ。
と言うか誰なんだ?何故そんな権限がある?
そして何故俺のことを知っている?
「最高責任者には話を付けとくから乱入は心配するな」だと?
深淵を覗いちまった気分だ。

いや、それも今は考えないことにする。
俺がこれでどうするかだ。
どう使うかは自由だと言われたが、俺にはもうしたいことなんて――

いや…一つだけ、あった。

否、出来た。
『無』という地獄を味わって強く思った。俺は――

俺みたいになっちまう人間を、もう見たくない。

20✖✖年5月21日

駄目だ、どうしたらいいか分からない。
とりあえず一旦整理してみることにする。

まず最初に考えたのは拳銃で国会中継に乗り込もう、というものだ。3分半ジャックするなんてより手っ取り早いと考えた。上手くやれる自信もあった。
だがすぐに思考を放棄した。国会を占拠するような狂人の話など、誰が耳を貸すだろうか。論外だ。
テロ行為も同じ理由で却下だ。そもそも単独ではやれることに限りがある。
何より俺自身がもう血生臭いのは嫌だった。

次に考えたのは正攻法(か分からないが)で、3分半のジャックで「復讐をして残ったものは無だった」と熱弁する、というものだ。
だが、これも効果は薄いだろう、と思い至った。
たった今、追い詰められている人間には響くかもしれないが、そうでない人間には届かない。1週間もしたら忘れてしまうだろう。

どうしたら人にダイレクトに訴えかけられ、記憶に残ってもらえるのだろう。
考えなくては。リミットは無いが、いつ高級スーツのオッサンの気が変わるとも知れないのだ。

考えなくては――

俺がこの世に残せるものを。

20✖✖年5月24日

テレビドラマをボーっと眺めていたら思い至った。
ドラマや映画―いや、ここでは広義に捉えて『エンターテイメント』とする。
エンターテイメントは、人の記憶に残りやすいんじゃないか?

事実、学校のクソみたいな授業なんかこれっぽっちも覚えちゃいないが、小さいころにやったゲーム、観た映画、好きだったバラエティ番組のことなら今でも思い出せる。

良質なエンターテイメントは長く人の記憶に残るのだ。

道が拓けた、と思った。

20✖✖年6月1日

それにたどり着いてからの俺の行動は迅速だった。
3分半で何ができるか。ドラマなどの映像作品を流すには尺が足りない。
ストーリーを考えるセンスもない。
そうやって行き着いたのが『バラエティ番組』だ。
俺が伝えたいことをバラエティで表現するのは難しいが―
何だってやってやる。

高級スーツのオッサンに連絡したら二つ返事で「協力する」と言われた。
スタジオや人員、放送日時など、すぐに押さえてくれたようだ。
このオッサンに関してはもう何も突っ込むまい。感謝だけしておこう。

人員を揃えてもらっておいて悪いが、出演者は俺だけだ。
自分以外の手が加わるのを嫌ってだが、3分半にこれ以上余計な情報を入れたくない、と言うのもある。
精一杯、道化を演じて見せよう。
演技なんかしたことなかったが、裏切られた時、殺した時の心情なら昨日のことのように思い出せる。
俺の『リアル』を再現すればよいのだ。

面白おかしく、だけど不気味で歪で―
そんな番組になったら良い。

いつの間にか、俺は番組を考えるのが『楽しい』と感じていた。

『無』だった俺の人生が彩られていくような、そんな心地だった。

20✖✖年6月14日

遂に今日が放映日だ。
あくまでジャックという形なので(どうしても体裁的にそうするしかないらしい)、番組表には乗っていないが、あのオッサンが今更嘘を言うとも考えづらい為、予定通りに流れるのだろう。

結局、本番で噛んでしまうことや感情が高ぶってしまうことを嫌って、収録したものを流すことにした。
オッサンからは「電波ジャックと言えば生だろう、エモくないじゃないか」
などと言われたが知らん。
俺は失敗するわけにはいかないのだ。

あと、完成したディスクを渡すときにオッサンに礼を言ったら
「べっ別にお前の為に協力したんじゃないわ!」
とか言っていた。需要ないぞオッサン。
礼を言われ慣れてないのかもしれない。不覚にも笑ってしまった。

さて。
番組が放送されたらフィナーレだ。
この渡された拳銃で俺の頭を撃ち抜けば俺の『エンターテイメント』は完成する。
テレビが報道してくれるかは分からないが、それはオッサンが何とかしてくれるだろう。
折角捨てていた名前を引っ張り出してまで実名で出演したのだ。
俺の意思は汲んでくれよう。

って何で俺は出会って間もない怪しいオッサンをこんなに信頼してるんだ?
全てを捨てた時、誰も信じないと決めたのに。

もう失うものは無いと思っていたが、どうやら『猜疑心』すら失ってしまったらしい。嘆かわしい。
だが――

悪くない気分だ。

向こうに行ったらケンジに会いに行こう。
ケンジも俺に殺されてる訳だし、分かりあうには途方もない時間が掛かるかも知れない。
知れないが、なんとかなるんじゃないかと思っている。

だって俺たちは元々親友なのだ。ケンジがどう思ってようが、親友なものは親友だ。

今なら、素直な気持ちでそう思える。会うのが楽しみだ。

それじゃあ――

俺が居なくなった後の世界が、少しでも良くなりますように。


『僕』から『俺』に向けて

これは、ここではないどこかの世界線の、僕―
いや、『俺』が全てを失ってから、また失うまでの手記だ。

『俺』はとても愚かだ。救いようがない。
復讐が全て悪だとは僕も思わないが、やりようは他にいくらでもあったのだ。ましてや結局自死を選ぶなど。何を考えているのか。

だが僕は今回、僕らの世界線と違う『俺』の話を拾い上げることにした。
手記をテキストに書き起こすなんて面倒なこともして。
何故こんなことをしているのか、僕にも分からない。
同情なのか、戒めなのか、共感なのか、使命感なのか、弔いなのか―
或いは、その全てかもしれない。

ただ1つ思うのは、全く違う人生を歩んできた僕たちだが、結局『エンターテイメント』にたどり着くのだな、ということ。
この言葉はあまり好きじゃないが、これも『運命』なのかもしれない。

これより先、僕は『俺』を振り返らない。だが、願わくば―

『俺』の分まで生きて、人の記憶に残るようなエンターテイナーになりたい。

そう思った。

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