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此君の下の幻想

山にも過去がある。
近所の、高くもなければ有名でも無い、なんの変哲もない山だ。
名前も緑の山と書いて緑山。特に変わった様子もない。
ただ、この山には秘密がある。
僅かな人しかそのことを知らない。
山の麓には住宅があり、少し奥へ行けば鬱蒼とした木々がある山だ。それなりに見えるところは手入れされているけれど、奥の方は放置に近く、全体が竹林になりかけている。
山の東側には中学校があり、我が子達も通った。
山の頂上へ向かう途中、東へ向かう竹林の細い道は中学校までの通学路で、鬱蒼とした竹がしなって空を隠してしまう心細い道を、子どもたちが通っていく。


ランニングついでにその道を通ってみると、遠くの喧騒さえ遮られ竹林のざわざわとした音だけが幽かにする。異世界への鳥羽口のような道は、不可思議を絵にしたようだ。
日暮れ時に、ここを通って帰る子達はさぞや心細いことだろう。南側の町内から通うとなるとここの細い道しかないのだから仕方ない。長女に通学当時「あの細い道、暗くて変な人出そうじゃない?大丈夫?」と聞いてみると娘は「案外いつでも誰かいて、みんな通るし、慣れてるから」との返事、昼間でも暗い道、それでも近い方が彼等にとって、その方が便利なのだろう。明るい道はだいぶ遠回りだ。


通学路を右にみて通り過ぎカーブになった坂を何度か曲がり上ると、頂上に戦没者の慰霊塔が建てられている。カーブの真ん中には階段が通っており公園につながる。公園には僅かな遊具も整えられている。休日には親子連れがぼちぼち遊びにやってくる。憩い、とまではいかないけれど、天気のいい日には気持ちのいい場所だ。

思うところがあって、町の歴史を調べたことがあった。昔は市内の中心地から町内に入るのにこの山の峠を越える道が主だった。人通りも限られたこの地は、耕作に向かない地だったために定着者がおらず、入植しても逃亡者が続出し、長く田畑が上手くいかなかった。山の南側に、池を苦労して作ったものの近隣の田畑ばかり恩恵に預かり、不満が逃亡に繋がった。やっと定住することが出来たのは近くの島からの移住者で、元はたったの24名だった。彼等の苦心の末に田畑も増えた。子孫は現在でも地主となっている。
不毛の地であったために、古くは藩の騎馬場などで主に活用されていた。のちのち、歩兵連隊練兵場となったのも江戸時代のそうした活用のためであったのだろう。
結果、田畑より兵隊目当ての商売で発展した。
我が祖父も、それ目当てで当地にやってきた。
戦前の世代は、現在の何丁目などの区分より「練兵場のところ」などと説明するので経緯を全く知らない世代には通じない。名残として電信柱に電力会社の管理区分が古いままで未だかけられ、そのプレートには練兵場の文字がある。


それも注意深く見ていなければわからない。
興味があって調べ始めたことで、それが無ければ母の説明があろうと流していた話だと思う。聞かされていたからこそ名残りを探すため、足を運んだのだから。
ランニングが趣味になってから、町のなりたちを知っていたために、こうした痕跡を辿りながら走ることをたまにやるようになった。池の周囲もよく走るルートだ。


田畑のために苦心して作られた池は、昭和の終わりごろまで僅かにのこった田畑のために利用されてきた。
高速が通ることになり、池は半分潰されてしまった。はじめは整備にも意気込みがあったのだろう、枝垂れ桜が植えられていた。いまでは池も桜も手入れされておらず、桜と椿が思い思いに枝を伸ばしている。池も桜も野放しの状態で一生懸命に関わろうとする人が居ないとこうなるのか、という風情の池となった。花も人の手が必要なのだ。
今では残された田畑も住宅となり水の利用もなく、寂しい池だ。
この池からみて北側にある山が東に中学校、頂上に慰霊塔を持つ件の山だ。
慰霊の為の桜が咲く3月、山は美しい。
ランニングで懐かしくなって公園まで長い階段を数えながら上がってみた。たしか百段と少しあったと記憶していたが正しく、117段だった。
階段を数えながら登るなんて、何年ぶりだろう。従兄弟たちとよくグリコをしてこの階段を登ったものだ。

カーブした道路は頂上の駐車場までつづき、桜はそのカーブに沿って植えられ、昔は夜桜見物できるように提灯が灯された。
反対側の山の頂上に住んでいるので遠くから桜と提灯の灯りが、春の夜とても美しく浮かび上がる。夜景の美しさに誘われて、ある夜、足を運んでみたことがある。風が強い日で、夜桜どころではなく、誰1人居なかったので予想以上にただ寂しく、早々に立ち去った。


遠くからぼんやりと眺めるのが良い事もあるのだ。
桜が植えられた西側、竹林となりつつある東側、山はなんの変哲もない山だけれど、この山には人知れず埋まっているものがある。
桜の下にあるものは小説のように屍体、なのかもしれないが、竹の下にあるものとは、何であったならそれらしいのだろう。
埋まっているもの、それは銃弾だ。
秘密などと大袈裟に言ったけれど、種明かしをすればなんていうことはない。公開されているのだから秘密では無いのだけれど、意外なものであるのは間違いない。
山の南側の山肌は、不毛の地だったために、江戸時代は藩から騎馬場として活用され、更に鉄砲の打ちっぱなし場としても使用されていた。
山全体が「的」だったのだ。
こんな雑なことがあるのだろうか、山を目掛けて撃て、とやるのだ。
始めにその事を知ったとき、雑な扱いなのだ、と少し不快になった。なんの収穫もない場所は鉄砲の的、くらいの活用でしかないのか。
そんな機会も、今はそうないのだろうけれど、家の建設や道路拡張などで掘りかえすと未だに弾丸が出てくるそうだ。
経緯を知らないと驚くだろう。何度か騒ぎになったようだ。
銃を装備し練習をしていた、平和な時代と言えど備えをしていたのだとわかる。遠く尼子の時代には陣を張って敵と対峙したこともある地だったわけで、銃の撃ちっぱなし場であり、騎馬場でもあり、明治以降は練兵場、ある意味教育機関であったことは皮肉なことだ。現在、中学生が行き来する山であるという姿との落差を思うと不思議なものである。
そして、そのことを殆どの人が知らない。
こんなことは、余程興味があって調べるか、先人から聞かされていた、などがなければ、何の変哲もない山の記憶など誰も知らない。たまたまではあるけれど私は調べて知ってしまった。
山の過去と変遷を。
移ろうものに心を寄せることはあるのかもしれないが誰も知らないで失われていくことはそれはそれでよいのだろう。知らなければないのも同じだ。
それ以来、この斜面を見る度、また、なにかの折に思い出すとき「この山は鉄砲の弾がたくさん埋まっているんだ、そして、そのことを誰も知らないのだ」と考える。
誰も知らないというのはある種の優越感を喚起する。私のように知る人ががいなくなってしまえば失われてしまう記憶なのだ。
ここに記して全く無関係な人がそれを知る、それもまた一興だ。想像してみて欲しい。遠くの知らない山肌に埋まっている冷たく、小さな弾丸を。
桜の満開の山、竹の軋む幽かな音がする山には銃弾が埋まっている。記憶の片隅に、ある小さな歴史が横たわっている。
忘れ去られるものならばそれでまで。
桜の時期には、山の風情を眺めながら、そんなことを考えたりするのだ。

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