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着ると着付ける

幼い頃から着物が好きで、お正月の三が日は母にせがんで着物を着せてもらっていた。中学生の頃、学校から帰ると着物を着るようになった。もちろん、着付けは自分でする。
私の母は美容師だ。それも上級着付け師の免状をもつベテランだ。単なる自慢だが母の着付けは疲れない、着崩れない、動きを妨げない、技術は最高なのだ。その母に手ほどきを受けて着付けをおぼえた。綿の着物を普段着に下ろしてもらい、帯は簡単な蝶結びだ。台所仕事もたすき掛けをして炊事をする。一日を終えるまで着物だ。この時の生活のおかげで着物での日常動作は自然に染み付いていった。あれから年月は経って随分になるけれど着物を着れば、今でもしっくり来る。
節目節目には着付けをして、小紋などは自分で着る。結婚して子供が出来るとそこまで着物を着る機会もなくなって、最近は何年ぶりかで甥っ子の結婚式に着物で出席した。その時に着る着物は、母の着物の中でも粋な紫の色無地をねだった。
「もう貰っていいよね」どさくさに紛れに自分のものにしてしまった。姉とは背丈は合わないし、母の着物は基本的に自分のものだと思っている。母が誂えた無地の着物は緑、紫、朱色とある。それらの着物は晴れて私の箪笥に収められた。

娘は、去年大阪の大学を卒業した。一昨年の秋頃に多分何も考えていないだろうと、卒業式には何を着るのか確認してみた。私としては袴を着て欲しいのだが、娘は着物に思い入れが全くない。なんでもいいと言うに違いない。
「卒業式何を着るの?」
「えーなんでもいいよ、袴かな」。
思ったより抵抗なく袴と決まった。母に相談する。
私の大学の卒業式に着た袴もある筈だと思っていたが「何言ってんの、あんたの袴なんかとっくに売ったわね」とのこと。知らなかった。大事にしてくれていると勝手にストーリーを作りあげていたようだ。
思い出した、そうだった。私の成人式に母が誂えてくれた緋色の振袖は店のレンタル用の着物で、お客様が私の振袖を着て店先で記念写真を撮っているなど日常茶飯事だったのだ。着物代はそれでペイしたと、誇らしげに母は自慢していた。着物はさすがに売ってはいなかったが、その頃流行りの袴などあるわけがなかった「孫まで想定してる訳ないがね」それはそうだ。という訳で袴は現地でレンタル。着物は娘と背丈の合う姉の振袖ということになった。着物を着るのには慣れている、着付けも少し練習すれば大丈夫だとこの時は考えていた。
それはとてつもなく甘い考えだったことをこの時は知らない。
そろそろ練習せねば、と年明け母に言った。
「女物の袴ないから男物で練習だわ、あんた着付け大丈夫かね自分で着付けるようにはいかんよ」
「えっそんなに大変かな」
「そげん、自分が着るのとわけがちがうわね、すんなりいかんよ」
そこで、いきなり不安になる。
「え、じゃあ早く始めようよ」その日から私は仕事を終えると、すぐ店に寄る。母の着付け教室が始まった。

だいたいの家庭でも起こりうることだろうけれど、親子で何かを教えあうことになると口喧嘩になるのではないだろうか。お互い遠慮がないからぶつかり合うし古い人間である母は、やらせてみる、ということがない「そげじゃないわね、ここを」と言ったきり、そのまま全部やってしまう。それを何度言ってもやってしまうので、仕方ないからハイハイと聞いていた。ちっとも出来ないのである時「腰が細い人はこれで補整して、ここを押さえながらこれを持ってきて」と自分でまたやってしまいそうになるところで声をかけた。
「それはわかったけど、なぜそうするのか理由を教えてよ。理屈がわかればこっちもちゃんとできるよ」そう言うと、ハタと気がついたようで「ここで、先ず手で支えておいたら裾が落ちないでしょ、それをこちらの襟でおさえたらそのまま締める、ほら、これでここがキマるでしょ」
「ちゃんと締まって落ちない、なるほど。ほら、だから、ここをこう!じゃなくて理由教えてくれた方が覚えやすいよ」なぜそうなるのか、なぜそうするのか理由が分かれば理解は早い。
そこからは多少の口喧嘩はあれど順調に覚えた。肌襦袢から着物、振袖の始末の仕方や伊達帯まで。綺麗な脇の処理の仕方など細かい所までしっかりと教えてもらって、ついに帯まで出来るようになった。最大の難関は帯だ。力の入れ加減が分からず、締まらない。袴の下で見えないので、あまり高価な帯だと慣れない私では難しいという母の判断で、柔らかい安い帯を使う。その代わり滑りやすく緩みやすい。何度もやり直して、やりやすい方法を模索する。何日か仕事帰りに母の店に寄り、着付け用の人形、和装トルソーで自主練習を重ねた。
そうして、何とか帯を締められるようになり、やっと袴に取り掛かる。袴は手順を覚えればそこまで難しくはなかった。これを馴染むまで何度も繰り返す。自分で着るのは加減が分かる。人に着せるのは加減が難しいし、気遣いが必要になる。
「人形さんは動かないけど、力込めるとお客様は動くからね」ほんとうにその通りだ。締めかげんだって調節しないとならない。苦しかったら意味が無いのだ。やはり数をこなさないと。着付けも身に染みるには繰り返しだ。
3月本番まであと少し、というところで免許皆伝がでる「まァそこら辺の美容師より上手く出来てるわ」だそうだ。
さらに慣れようと本番用の着物で練習するが正絹の着物を汚してもいけないのでほどほどにした。
大阪に住む娘の所には卒業式の前々日に着く。本番の前日に本人で練習したかったので荷物は早めに送った。着付けてみると人形より細いので補正のタオルを何枚も挟んで腰周りを寸胴にする。やはり、ちょっと締めると動くのでやりにくい。それでも確認するところは全て確認し、なんとかちゃんと着付けられた。
次の日、心配性なので目覚ましよりも早く目が覚めた。娘を起こす。 本当にこういう時、本人というものは他人事で、焦る母を横目にのんびり紅茶を飲み化粧を始める娘、全く呑気なものである。やっと着付けを始めた。もし出来が悪くても最初からやり直すことが出来るくらいの余裕をもっていたはずだった。帯を始めたくらいのところで「お母さん、トイレ、行っていい」
「もう〜」
帰ってきて着崩れを直したところで。
「お母さん、もう1回」
「はァ?」
お腹の具合が悪くなったようで「全部脱ぐ!」となってしまい、この時点でもう間に合わないのは決定的になってしまった。
結局、慎重に着付けるつもりだったものが、慌てて後悔ばかり残る仕上がりとなってしまった。
本人はケロッとしたもので、泰然としている。
笑顔で手を振り誰も居ない校内を通って会場に向かう。感慨にふけることも、苦労を思い出すひまもなかった。手を振って、会場に向かう後ろ姿を見つめた。よかったのはゆっくりと桜の下で写真を撮れたことくらいだ。
一息ついて、案外早く帰宅してきた娘を迎えると、すっかり帯は緩んで袴も結び目が解けて酷い状態だった
「家の前まで帰ってきたとこで解けちゃった、大丈夫それまでもってたから」ケロッとして言う。
絶対、バタバタしていたに違いない。ああ、だからちゃんとやりたかったのに。
こうして、私の着付け体験は失敗なのか、上手くいったのか分からないまま、終わった。
その後、ここまでせっかく覚えたのに無駄にするのも勿体ないなと、母に着付けを本格的に習うと宣言した。
それから1年経つ。目標がないと進まないものだ。未だ肌襦袢の襟つけである。

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