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向日葵


いつからか、ひまわりは、背丈が低くて畑一面に群生するビジュアルのものを指すようになった。改良されて花束にも使われるように。
むかしはせいぜい並んで10本くらい植えられるか、1、2本突っ立っている、といった風情でぽつんと植えられることが多かった。
ひまわりはバカ高くて突っ立っている、そんな感じの方が合う気がするのは少数派なのだろう。
この夏久しぶりに突っ立っているひまわりをみた。
背の高い、ひまわりが2本、文字通り突っ立っている。
他ならぬ我が家のまん前の畑に、そのひまわりは植えられていた。
その畑の主は山のてっぺんにある我が家から見下ろせる下の住宅街にある大きなお家のおじいさんだ。
なぜ畑が家より高い位置にあるのか、その土地から家が丸見えになることを防ぐためにその土地を購入されたのだ。
昔の土地の買い方とは豪気なものだ。
見下ろされる覗かれるのを防ぐために上の土地を買う。むかしはよくあったようだ。
景観の為に前の土地を買う、隣の土地を買う、そんなことはよくあることだったのだ。
塀の隙間から垣間見えるお庭は広大で手入れがされている。その畑に上がるには急な勾配の階段を庭の造形の一部として作りこんであって、お宅からの眺めは素晴らしいものだろうと想像出来る。
むかしは畑ではなくて何の手入れもされていない土地だった。「ここはなぜポツンと何も無いのだろう」と不思議だったが、母に尋ねると「階下のおうちが家を覗かれない為に購入されたのよ気難しい方だから嫌だったんじゃない」と聞かされた。
それ以来、気難しい、という言葉だけが頭に残り、
定年退職されて、空き地が畑になっていき全く顔を合わせることがなかったおじいさんと顔を合わせる機会が増えた時、失礼のないよう慎重だったことを思い出す。もう何十年も前のことだ。
畑も年々上手になられていくのがよくわかった。夏はきゅうり、トマト、なす。冬は大根と、楽しんで畑をされている。
気軽に挨拶をするので受けが良かったのか評判より当たりがよくおじいさんは収穫物を「持って行って」と渡してくれるようになり、私の方は珈琲を持っていったりと交流するようになった。子ども達は「きゅうりのおじさん」と呼んで親しんだ。

ウォーキングは夜中にやっていたのでおじいさんと会うことはなかったが、ランニングは夕方だったので、おじいさんと鉢合わせる事も多くなってきた。「あんた、走れますか?偉いですね」との言葉、「ええ、身体動かすのが好きなんです」
「ええことされますね」会話してから走り出す、ということも増えて来た。
ある時、おじいさんが姿を見せなくなり酷く心細くなっていった。
ご高齢なのはわかっているし、お加減でも悪いのだろうか。
そんなことが何度かあって、その度に心配していたのだが単に畑のお休みだったり、本当にお加減が悪くてだったりそれでも畑の時期には元気に出ておられた。
最近は「あんた、同じところにお勤めかね」という質問を何年かずっと受けることが多くなっていった。その度に「ええ、おかげさまでずっと務めております。暑いですからお休みされてくださいね」と返事するようになってきた。
「90になりました」と何度も挨拶される度、あの急勾配の階段、大丈夫だろうか、暑いけれど水分は採っているのかと心配が増えて来た。
ある時、いつものランニングコース、家の周りをおじいさんが歩いておられるのに遭遇した。「こんにちは、ウォーキングですか?」
と声をかけると
「ここの周りを2周するとちょうどいいわ」
「私もここをぐるぐる回るんですよ。ちょうどいい運動ですね」
と図らずも同じコースを歩く仲間となった。健康に気を配っておられるのは姿勢からも分かる。身体とは正直なものだ。
おじいさんを心配してか最近はお孫さんとひ孫さんが畑におられることも多くなった。今年の畑はいつもより野菜の種類が多い。お手伝いがあるからかな、と想像している。
ひまわりはそんなことで植えられることとなったのだろう。
ひ孫さんが喜ぶのかどうかは分からないけれど。
突っ立っているひまわりはポツンと2本だけ畑に孤高にしている。なにがあってもひまわりは陽に向かって咲いている。
たくさんあろうがポツンとしていようが、どんなひまわりもただ咲くだけだ。

夕方、走り支度をして準備運動などしているとひまわりが視界に入ってくる。
少し、笑顔になる。
そして、走り出す。
夏の間、咲いているわずかの間、孤高のひまわりに励まされる。
ただ立って咲いている。それがいいのだ。

去年も今年も落ち着かない夏で、変わらないことがどれだけ大事だったのか思いしった。
願わくば来年も突っ立っているひまわりにあえますよう。

#PLANETSCLUB  #ランニング部
#向日葵  #夏

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