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私は私と別れられない

女というのはどうにも面倒だ。

月の少なくとも半分は心も身体もゆらぐ。私の身体はその調整があまり上手ではないようで、常にホルモンバランスのご機嫌をうかがいながら生きている。いくつかの婦人科で検査をしても決まって「大きな異常はありません」と言われるからどうやら器質的な問題はない。不謹慎だけど、いっそのことあなたはこういう病気ですと言われた方が楽なんじゃないかと何度も思う。

それでも体調は悪いし薬を飲んでいないと月のものもまともにやって来ない。何もなくても身体じゅうが痛くなる日や猫の毛が逆立つみたいに神経がぴりぴりして仕方ない日がある。ほんとうに調子がいい日が月に3日もあればいい方だ。

年に何回か、この面倒な心と身体を投げ捨ててしまいたい日がある。

今年は覚えている限りで3回。会社で発生したトラブルを1人で対応した日、会社を辞めようと本気で考え始めた日、あと今日。そういう日は、だいたいいつも「どうして私はこんなことも上手くやれないんだろう」とままならない心と身体に辟易している。投げ捨ててしまいたいけれど死にたいわけじゃない。でも、何か変わろうともがくほどにはがんばりたくない。世の中に溢れる綺麗ごとに全部蓋をして、見ないふりをする。

6月に会社を辞めたとき、私は私に真面目に働いて生きるのをサボることを許した。そのつもりだったのに、そのサボりがひたひたと私を追い詰める。真綿で首を絞めるように静かに窒息しているみたいだ。

気付けば身動きが取れなくなっていた。ぼんやり転職情報サイトを見ながら、1年半前、一度はぽっきり折れた心とこの面倒な自分を抱えて週5日会社に通うことはもう無理かもしれないと思う。そんなのただの甘えだよと言われても仕方ない。この時代、仕事にもいろいろな形があるからどうにかはなるだろうし、どうにかするだろう。それでも一歩を踏み出そうとするのがこんなに苦しいことだったか。

いまの私は夫がいてご飯を食べられる。暖かい家の中で過ごせる。ままならなくても動ける身体がある。少しは自分の貯金もあるからたまには贅沢だってできる。じゅうぶんな幸せを手にしながら、愚かしいと思いながら、自分で自分の首を絞める。

この間『生きてるだけで、愛』という映画を見ていたらうつ病で過眠症の主人公・寧子(趣里)が彼氏の津奈木(菅田将暉)に「いいなあ、津奈木はわたしと別れられて。わたしはわたしと別れられないんだよ」みたいな台詞を言うシーンがあって「うわあ、それ……」と絶句しながら遠い目をした。どんなに面倒でも、ままならなくてやるせなくても、生きている限り私は私から逃げられない。

まったく、面倒だなと思いながら生きている。

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