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タイムラインは無秩序くらいでちょうどいい

Twitterのアカウントをひとつ消すことにした。好きな俳優を応援するだけの推し活専用アカウント。いまプロフィールを見たら2019年2月から使っていた。noteと連携してメインで使っているものよりもちょっとだけ古い。

そのアカウントでは、同じく俳優のファンの人たちやドラマやメディアの公式アカウントだけをフォローしていた。当然、タイムラインは俳優のことや作品のことで埋め尽くされてゆく。推し活というものに慣れていない私が情報収集するにはもってこいの場だった。私自身も主に作品の感想や行き場のない「推しが尊い」という叫びをただつぶやいたり、出演情報をリツイートしたりした。

インターネットを通じて全世界と繋がっているはずのタイムラインだけど、本当はとても狭い範囲のできごとしか目に入らないようにできている。200ほどのアカウントをフォローしていたけれど、アプリを開いたときに目に入る話題はいつも片手に収まるほどだ。場合によっては声が大きい人の意見や感想がタイムラインを一色に染め上げていく。

正直、そのおかげで気持ちの良くない思いもした。私のつぶやきが、意図しないかたちでタイムラインの色を変えてしまった。そもそもがちいさなアカウントなので、たいした広がりを見せたわけではない。それでもぴょこぴょことせわしなく届く見知らぬアカウントからのリツイート通知が怖い、とそのとき初めて思った。

「気持ちを代弁してくれてありがとう」とも「傷ついた」とも言われた。でもそのときの本音は、ただつぶやいて、ただタイムラインの荒波に押し流されてほしいだけだった。負の感情は驚くほど足が速くて仲間をつくるのがうまかった。

けれど、染まるのも一瞬なら忘れるのも速いのがタイムラインだ。そのとき私ができたのはモヤモヤしながらも「黙る」というだけ。忘れ去られるのをただひたすら待つ。案の定、久しぶりに開いたタイムラインでの話題は新しい出演作に移っていた。ほっとした。私も元に戻ろう、と思った。でもなんとなく、それ以前のようにはつぶやけなかった。

なんか、ちょっと疲れちゃったな。

思えば、ひとつの空間のなかでみんな揃って同じことをするのが好きではなかった。たとえば集合研修みたいに。「えらいひと」が参加する飲み会みたいに。場を掌握されるのが怖いのかもしれない。カフェとか電車とか公園とか、いろいろな人がガヤガヤと、それぞれ別々のことをしているほうが落ち着く。おそらくタイムラインもこれと一緒なのだ。

誰かは今日食べたお昼ご飯の話、また誰かは飼い猫の話。仕事の愚痴。政治への不満。昨日見たドラマの感想。子供の自慢。などなど。いろいろな人が、バラバラの方向を見ながら好き勝手におしゃべりしている。そんなタイムラインの方が私も好き勝手につぶやくことができる。私がほかの人の「眠い」というつぶやきにそれほど興味がないのと同じように、ほかの人も私の「お腹すいた」にそれほど興味がないのだから。

Twitterだけではないけれど、SNSのアルゴリズムに合わせているとタイムラインはどんどん一色に染まりやすくなっていく。似たような興味、似たような言葉、似たような話題。共感しやすい人たちがどんどん一堂に会するようになる。それはそれで便利だし、心地いい、こともある。

だけど私はあえてごちゃまぜのタイムラインをつくりたい。みんなが好き勝手に眠いだの疲れただのうまいもんが食いたいだのを垂れ流すだけの、にぎやかなタイムライン。和洋折衷もびっくりの、久しぶりに帰省した実家の食卓みたいな。ときどきは「え、これはあり」っていう食べ合わせが見つかるかもしれない。無秩序くらいでちょうどいい。

(でもほかの人の飼い猫の話と写真にはすごく興味があるのでどんどんアップしてほしい。)

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