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【エッセイ】お金を払うということ

安ければ安いほどいいと思っていた時がある。というよりは今も思っている。

収入もそれほど多くなく、なけなしのお金で物を買い、趣味程度に投資をしている。

最近でこそ、新NISAをメディアが大々的に報じたことで、それほど抵抗なく話すことができるようになったものの、やはりまだ「投資は危ない」や「投資はギャンブルだ」のような言説を見かけるし、周りの人たちにお金関係の話をすれば、「胡散臭い奴だ」と相手が引いていく様子がよくわかる。

お金について考えることを避けてきたことが、今の国民総貧困時代を作り上げているというのに。

本が好きだ。
本を書く人はもちろん
本を作る人も、売る人も好きだ。

だから本を買う時はなるべく新品を買う。
新人作家の作品はなおさらで、購入したものを人に配ったりもする。

個人の微々たるお金でどうこうなる話ではないが、個人の微々たるお金が動かなければ何も変わらない。

誰かの支出は誰かの収入になる。
私の支出は著者の元に入り、出版社の元に入り、書店の元に入る。
装丁家の元にも入るかもしれない。

この一冊の本に何人の人たちが関わっているだろうか。
私はその価値にお金を払いたい。

友達が商売を始めた時に、関西人はよく「友達やねんからまけてや」と言う。
本当に大切に思う友達なら、多く払ってやれと思う。

安く売ったり、安く買ったりすること、もしくは無料で配ることは、基本的にはそれを生み出した自分自身やその作品、商品を安く見積もっているということになる。
それは、自分にも相手にも失礼なことだと思う。

買いたいものを買いたいだけ買えるような裕福な暮らしはしていないけど、
自分が愛するものにくらい、お金を払えなくてどうする。
これから自分の作品を購入してもらう場面が来た時に、
「私の小説を買ってください。ぜひ読んでみてください。私は買いませんけど」
と言うのは、あまりにも無責任な話である。

人に強制する気もないし、違う考え方を責める気もないけど、生み出した価値にはお金を払いたいと思っているし、そういう人が増えて欲しいと思う。


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