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「ドクターのおかげだよ」大阪エヴェッサを支える中里伸也に刻まれた言葉

舞洲に拠点を置くプロスポーツ3チーム、大阪エヴェッサ、オリックス・バファローズ、セレッソ大阪で働くクラブスタッフへのインタビュー特集企画「舞洲を支える人々」。クラブスタッフとなった経緯やチームへの思い、舞洲にまつわるお話などを伺います。

今回登場するのは、B.LEAGUE所属・大阪エヴェッサ メディカルチーム チーフドクターを務める 中里伸也(なかさと・しんや)さん。学生時代からチームドクターに就任するまで、ご自身も長年バスケをプレーされていました。そんな元バスケ選手であり、現在は医師として活躍する中里さんに、選手やコーチとコミュニケーションを取るうえで日頃から心掛けていることや、治療を支援したある選手との忘れられないエピソードについてお話いただきました。

大阪エヴェッサに最高水準のスポーツ医療を提供したい

ー中里さんご自身も、もともとバスケをされていたと伺いました。

中学生の頃からバスケを始め、大阪エヴェッサのチームドクターになるまで長年選手を続けていました。高校時代には少年の部で国体選考メンバーに選ばれたり、大学時代も和歌山県の社会人チームでプレーをして県大会で優勝したり。医師になってからも大阪の社会人リーグでバスケを続けていたので、振り返ると学業と仕事を除けば本当にバスケ一筋の人生ですね。

ー医師になった後も選手をされていたとは驚きました!そんな中里さんが大阪エヴェッサのチームドクターになった経緯を教えてください。

今から18年前、当時私が勤めていた病院にトレーナーの西村君がエヴェッサの選手を連れてきてくれたことが全ての始まりです。その選手の治療を通じて交流がスタートし、その後チームドクターになってほしいと直接オファーをいただきました。

チームドクターになってからは、大阪エヴェッサが日本一のチームになるために自分にできることは何だろうと考える日々。もちろん私にできることはメディカル面でのサポートなので、次第にチームに対して最高水準のスポーツ医療を提供したいと考えるようになり、2009年に「Nクリニック」を岸和田に開院しました。

クリニックには、治療に来た選手たちがリハビリがてらシュート練習や簡単なトレーニングができるように、パフォーマンスコートと呼ばれるバスケットコートを設置。ホームページをご覧いただければ分かると思いますが、建物の外壁にはエヴェッサカラーの赤と黒をアクセントに使っています。また、今年に入ってからは本町の駅直結ビルに分院も開院しました。

ーなぜ大阪市の中心部に分院を作られたのでしょうか?

全ての選手が治療を受けやすい環境を整えたかったからです。車を持っていない選手にとっては、岸和田まで少し距離がありますからね。今まではトレーナーが送迎していましたが、毎回となるとなかなか難しく……。若手選手や外国籍選手が1人で治療に来るのは、少し大変だったんです。

もちろん、診察や診断はトレーナーと一緒に話し合いながら行います。ただ、治療だけであれば近い方が選手にとっても通いやすいと思い、本町に分院を開院しました。エヴェッサの本拠地に近いことも大きなメリットです。他の患者さんにとっても利便性が高まったと思います。


チームドクターに求められる「攻め」と「守り」

ー選手やコーチ陣とコミュニケーションを取るうえで、意識されていることはありますか?

エヴェッサのチームドクターを15年以上務めてきたなかで、意識するようになったのは、コーチの人柄を見極めることですね。選手と同じくコーチも1〜2年契約なので、中には勝利至上主義に陥ってしまう人もいました。

そんな時こそ、選手の安全を第一に考えていました。無理やり試合に出場させて選手生命を絶たせるわけにはいきませんからね。選手とコーチは同じチームの仲間ではあるけれど、勝利という目標を前にしたときに、利害が一致しない場面って出てくるんです。そういう時は、試合に出場させないように強く主張するなど、選手を「守る」方向に動きます。

逆に、選手によっては「自分の体のことを考えて無理をしない」傾向があります。例えば、大事を取って試合への出場をためらうなど……。その時の選手の感情としては「この状況で今無理しても……」といったものなので、分からなくはないんです。

一方で、チームはどんな状況においても勝利を目指しているため、選手には極力試合に出場してほしいわけです。選手が自身の選手生命とチームの状況を天秤にかけるのは当然ですが、少しは無理をしてもらいたいと思うこともあります。

だからその時は、先ほどの「守る」とは反対のアプローチをします。選手にはハッパを掛けるし、チームには出場させるよう提案する。状況次第で「攻め」の対応が必要になりますね。

ー何はともあれ、早期復帰がいちばん大事ですね。

一方で、早く復帰させればそれでOKという話でもないのが難しいところです。試合への出場を許可した矢先に再発するケースもありますからね。

そうなった時に「復帰が早すぎたんじゃないか?」と目を向けられるこもあれば、慎重な対応をした時には「もっと早く復帰できるんじゃないの?」ということもある。

早いに越したことはないけれど、それ以上に選手の気持ちやヘッドコーチの意見を考慮し、トレーナーと協議していつ戻すのか、適切なタイミングを見極めるのがいちばん大切だと思っています。


「ドクターのおかげだよ」帰国前に選手が残した言葉

ーチームドクターとしてチームに関わってきたなかで、印象に残ってる選手はいますか?

印象に残っているのはリン・ワシントン選手ですね。彼は2007-08シーズン序盤に大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされました。完治は難しかったものの、試合に出場できる状態であればプレーオフに間に合うかもしれないと、日々のリハビリに励み、我々もさまざまな治療を行いました。

結果的にシーズン中の復帰が実現し、彼の活躍もありチームは優勝。彼自身もMVPを獲得しました。選手の努力はもちろんですが、メディカルチームが大きく関わったことで選手のパフォーマンスを引き出せたと思っています。

有明で行われた決勝戦を私も現地で観戦しましたが、感慨深いものがありました。後日談ですが、帰国前に彼からMVPのカップを譲り受けたんです。アメリカに持ち帰るには少し重かったようで(笑)。カップをもらったことも嬉しいですが、「復帰できたのはドクターのおかげだよ」と言ってくれたことが、それ以上に嬉しかったですね。そのシーズンの出来事は今も鮮明に覚えています。

ー舞洲でいちばん記憶に残っている試合を教えていただけますか?

Bリーグ1年目の宇都宮ブレックスとの試合ですね。本当に熱狂的な雰囲気でした。舞洲にたくさんの人が来てくれて、観客数もすごかったです。もちろん皆さんのお目当ては田臥(勇太)選手でしたが、日本人初のNBAプレーヤーが来るとなったら生で見てみたいですよね。今なら、渡邊(雄太)選手や八村(塁)選手が来てくれたら、またあの時のように盛り上がりそうです。

これは元バスケ選手としての意見ですが、観客の方々だけでなく選手も嬉しいと思うんです。満員のアリーナで憧れのスター選手とプレーできるって何物にも代えがたい体験ですから。宇都宮との試合の時も、エヴェッサの選手たち、幸せだろうなあって思いながら見てました。

ー最後に、来シーズンに向けての思いをお聞かせください。

怪我で本来の実力を発揮できない選手が少しでも減ってほしいと思いますし、もし選手が怪我をした際にはなるべく早く復帰できるように、できる限りのサポートをしたいです。これは来シーズンに限らず、これまでずっとそういう気持ちでやってきました。

あとはチームや選手に対して過度に感情移入しすぎないことですね。自分も長年バスケをやってきたので、怪我やアクシデントが起きたときの辛さが痛いほど分かるんです。寄り添うことは大事ですが、入り込み過ぎると気が気じゃなくて自分のメンタルが持ちません。ですから1人のチームドクターとして、選手にとって最善の治療を提供するだけです。

本当は何もアクシデントが起きず誰も怪我をしていない状態が理想ですが、そうはいきませんからね。何か起きたときに適切に処置できる体制を時間を掛けて整えてきたので、来シーズンはさらにそのレベルを上げていきたいです。


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