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「セレッソだから選んだ」登里享平、プロ16年目の覚悟と決意

<トップ写真:©︎2024 OSAKA SPORTS GROOVE>

OSAKA SPORTS GROOVEでは、大阪市内に拠点を置く8チームならではのインタビュー記事をお届けします。『大阪からスポーツを語る』では、地元・大阪でプレーする各チームの選手に、これまでのキャリアについて、当時の感情や思いを振り返っていただきます。

今回登場するのは、セレッソ大阪の登里享平(のぼりざと・きょうへい)選手です。今シーズンに15年在籍した川崎フロンターレから完全移籍で加入。開幕から4試合連続で先発出場を果たし、早くも即戦力として活躍中です。

実は大阪出身でありながら地元に戻るのは中学生以来という登里選手、これまでのサッカー人生を振り返るとともに、セレッソへの移籍を決めた背景や、移籍後の現在のお話についても伺いました。

(聞き手:竹中玲央奈)

高2の選手権、プロになる「夢」が「目標」に変化

ーサッカーを始めたのはいつ頃ですか?

歩き始めた頃から兄の影響でボールを蹴ってたみたいです。4歳でサッカーを始めた時には、周りの子たちよりもハンデがあったので無双状態でした。まさに全盛期(笑)。子供の頃は家のすぐ近くの公園で毎日ボールを蹴ってましたね。

ー小学5年生でチームを移籍されています。

隣の市にあるEXE'90ジュニアという強豪チームに移籍したんです。その頃から本気でプロを目指していたので、より高いレベルでプレーするために移りました。実際、小4の時に小6の試合に出ていたので、新しいチームでもやっていく自信はありました。

ーその後、香川西高校に入学されます。高校時代はいかがでしたか?

入学当初はボランチでしたが、スピードを評価されて夏前にサイドバックに転向したんです。その結果、見える景色も変わりました。自分の特徴を認識したことで、ドリブル突破やスピードを生かしたチャンスメイクができるようになり、高校3年間で選手として大きく成長したと思います。

ー選手権には3年連続で出場されましたが、思い出はありますか?

高2の時の藤枝東との試合ですね。PK戦で負けてしまったものの、その試合ですごく手応えを感じて、プロになるという夢が現実的な目標に変わりました。実際、高3に上がってすぐにフロンターレへの練習参加が決まりました。

ープロの練習に参加してみてどうでしたか?

大学生との練習試合に出させてもらって、そこでのプレーをブラジル人選手から通訳を通して褒められたんです。それがまた自信に繋がりました。その後、他のチームからもオファーがあったんですが、一番最初に声を掛けてくれたという縁もあるし、本当に魅力的なチームだったので、高3になって少し経ってから入団を決めました。

ーそして川崎フロンターレに入団されます。プロ1年目はいかがでしたか?

入団初年度から10試合以上ベンチ入りし、リーグ戦では2試合出場させてもらいました。2試合目に決めた初得点と初アシストで、プロでもやっていけるという感覚を掴めたと思います。もちろん周りの選手と差はありましたが、出場機会も与えられていたので、1年目からプロとしての土台作りができました。

ーチームとしての初タイトルや、2連覇も経験されています。

初優勝の2017年は、レギュラーではなかったものの、準レギュラーという感じでした。ケガ人がいたらサイドバックで出たり、勝っている時には試合を締めたり。全員が初優勝に向けて一つになっていて、実際に優勝した時はチームの一員として純粋にすごく嬉しかったですし、個人としても達成感がありました。

ーそして2020年、初めてベストイレブンに選出されました。

2020年はキャンプから調子が良かったです。それに(三笘)薫とか(旗手)怜央、(田中)碧や守田(英正)など、日本代表で現在活躍している選手たちが沢山いて、チームのレベルも高かったし、すごく楽しみながらサッカーをしてました。それまでいろいろ苦しい場面もあったけど、ベストイレブンに選ばれたことで積み上げてきたものが開花した感じがしました。


めちゃくちゃ悩んで決断。セレッソ大阪に移籍した理由

ー今シーズン、15年在籍していた川崎フロンターレからセレッソ大阪に移籍されました。簡単な決断ではなかったと思います。移籍に対する率直な思いを伺えますか?

(移籍の決断は)全然簡単ではなかったです。めちゃくちゃ悩みました。フロンターレに居続ける覚悟で『2』という番号を背負っていたし、新たなチャレンジに心惹かれつつも、残る意味を常に考えていました。フロンターレにとってまだ自分は必要な存在であるとも思っていたので。ただ一方で、サッカー選手として成長が鈍化していたのも事実でした。

ー長年チームを支えてきた生え抜きの選手です。間違いなく必要な存在だったと思います。

もちろん「生え抜きの選手」として残ることも考えました。15年もの長きにわたってチームに在籍していたからには、ピッチ内外問わず色々なことを後輩たちに伝えていくべき立場だとも思っていたので。でもどこか、選手としてまだ成長したいという気持ちがありました。プロになってからずっと一つのチームでやってきたこともあり、環境を変えたら新たな刺激を得られるのではないかと思ったんです。

ー移籍の決め手を教えていただけますか?

フロンターレでの15年間を高く評価してもらえたこと、そしてその経験がセレッソで生かせると思ったこと、この二つが大きいですね。

ー退団コメントが長文だったことも印象的でした。

コメントの内容もかなり悩みました。自分の思いをサポーターの方々に伝えるため一生懸命に考えた結果「慣れ親しんだ場所を離れることがーー」と表現していました。地元はこっち(大阪)なのに(笑)。そう書いてしまったくらい、川崎が自分にとって特別な場所だったことは間違いありません。

ーやはり地元だけあって居心地がいいですか?

高校入学を機に大阪から離れているので、懐かしいというより新鮮ですね。川崎での生活が長かったこともあり、大阪の人の圧とかを少し心配してたんですけど(笑)、全然大丈夫でした。

ー移籍から少し日が経ちましたが、チームには馴染めましたか?

移籍前は不安があったものの、選手やスタッフの方々に色々と助けていただいて、今はサッカー面でも精神面でもとても充実しています。悩んだ末の決断でしたが、移籍して良かったです。やっぱりセレッソだからこそ選びましたし、実際に来てみて本当に人も環境も含めていいチーム。ピッチ内外含めて、めちゃくちゃ楽しんでます。

ーセレッソの魅力を教えていただけますか?

なんと言っても人の良さですね。選手もスタッフの方々も、とても温かい人が多い。その点ではフロンターレと似ているところもあって、しいて言うならセレッソには独特のアツい雰囲気があります。いい意味で暑苦しいというか(笑)。

それに加えて、サッカーの面でも、ベテランの選手たちが手を抜かずにプレーしていたり、若手も積極的に質問してくれたりと、チーム全体が活気に満ちています。とりわけ後輩たちの距離の縮め方には驚かされました。あまりにも懐に入るのが上手くて、財布の紐がゆるくなってます(笑)。

ーチームの雰囲気の良さが伝わってきます(笑)。

普段から良いんですけど、みんな元気だから練習の雰囲気も良いです。自分もふざけてみると、それを超えるレベルで被せられますしね。本当に楽しくプレーさせてもらっています。

ーチームでは誰と一緒にいることが多いですか?

毎熊(晟矢)とか上門(知樹)ですかね。マイク(毎熊)は僕と同じくサイドバックにコンバートした選手なので境遇も似てますし、ポジションの取り方とか、どのタイミングでスペースに入ってるのかとか、サッカーの話で盛り上がってます。

本人に直接「マイクのボールに入るタイミングとか、ボールの晒し方とか、めっちゃ好きやねんな」とか言うことも(笑)。色んなサイドバックの選手を見てきたけど、マイクの感覚は面白いです。僕自身は「あのポジション取りは相手からしたら嫌だろうな」とか思いながらプレーしていて、一緒にいて良い刺激をもらっています。

マイクと前に対戦した時のことを覚えてますけど、代表に入ってから顔つきが変わりましたね。振る舞いも全然違うし、めちゃくちゃたくましくなってますよ。

ー最後に、読者の方にメッセージをお願いします。

リーグ連覇を2回経験している身として、セレッソをタイトルに導く存在としてやってきたという自負がありますし、今年はクラブ設立30周年という節目の年ですから、なんとしてでも優勝してチームを盛り上げられたらなと思っています。

今、チームの雰囲気を肌で感じる中で常に思うのは、このチームは一度優勝を経験すれば間違いなくもっとタイトルを獲得できるだろうなと。僕としてはピッチ内外でできることが山ほどあると思うので、毎日色んなところにアンテナを張りながらやっていきたいです。

それに今年のチームには(香川)真司くん、ヤマ(山下達也)さん、キヨ(清武弘嗣)さんといった長年セレッソを支えてきたレジェンドの方々がたくさんいて、そういった選手がこのタイミングで優勝したら物語的には最高じゃないですか。だから今は優勝しかないという思いでプレーしています。やはりピッチでの積み重ねが全てだと思っているし、後悔したくないという思いで練習から全力でやっているので、ぜひセレッソを応援してくれたら嬉しいです。


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