音楽は娯楽というより快楽


はるか昔から生活の一部として親しまれてきた音楽ってものは、喜びや悲しみを表現し共有し共感し、何はなくとも音楽を通して心を通じ合える、そういうものだ。
そうして今日になっても毎日世界中の誰かが楽曲を作り我々に届ける。それを無償で享受できる。
悲しいとき、心の隙間を埋めたいとき、誰かに共感して欲しいとき。
恋心が芽生えたとき、想いをどこまでも馳せたいとき。
何か大きな仕事を終えたとき、達成感を盛り上げる高揚感がほしいとき。
そんなときに己の音楽の趣向を数多く理解していたならば、その瞬間的で刹那的な感情に強く没入することができる。
感情の昂りの最大値を叩き出せる。
職場へ向かう足取りはあんなにも重たいというのに、このときだけは体を揺らしたくなる。笑顔が減り口角も上がりにくくなっているはずなのに、自然と顔がほころぶ。なんでもできるような、誰かと話したくなるような、深夜に家を飛び出したくなるような、そんな感覚に陥る。
そしてそれはあっという間のできごとで、それも一度に何度でも体感できる。自分の意思で何度でも繰り返せる。一夜を明かすことさえできる。
これを快楽と呼ばずになんと言うのだろうか。
音楽に対してこんな言葉を使っていいのかはわからないが、好みの曲を熟知した者は、欲したときにハイになることができる、思考が止まり、欲がむき出しになり、昇天するかのような体験ができる。酒とも違う、カンフル剤というのか、クスリというのか。
合法でできる現実逃避と快楽の最短経路。
上手く付き合わなければならない。
誰かの作品への共感だけで、己の欲求を全て消化した気になってはならない。

上手く付き合わなければならない。







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