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【コラム】私の大学時代の恩師について

こんにちは、緩和ケア医で心療内科医のDr. Toshです。

このコラムでは、私が感じたり思ったことを月1回のペースで書いています。このコラムで皆さまに何らかの癒しや勇気が与えられたら幸いです。

今日は、私の昔の話を書きたいと思います。


心療内科との出会い

実は、私は医学部に入る前に製薬会社で働いていました。そこで、がんで苦しむ患者さんとの出会いがありました。苦しむがん患者さんの力になりたいと思い、医者になろうと決意して医学部に入学したのです。

しかし、入学してからは授業・アルバイトなど目先のことに目が向いてしまい、当初の目的のことは忘れてしまいがちな生活を送っていました。

そんなある日のことです。私はレコードが大好きで、いつも通っている中古レコード屋に行きました。いつものようにレコードを漁っていると、ふと置いてあるチラシに目が留まりました。

何だろうと見てみると、「全人的医療を目指す ホリスティック医学協会」という団体が大阪で講演会をするというのです。面白そうだなと思い、行ってみることにしました。

そこでは何人かの先生方の講演がありました。当時京都大学におられた、カールベッカー先生の臨死体験のお話は、当時の私にもとても興味深いものがありました。そして最後に、関西医科大学心療内科教授の中井先生の講演がありました。

「心療内科?そんな科があるのか、何をするところだろう」くらいにしかその当時は思えませんでした。ところがそのお話の内容は、その時の私にとって大きな衝撃を与えるものでした。

中井先生は、がん終末期の患者さんにベッドサイドで語った内容をお話くださいました。死を前にして、絶望の淵にいる患者さんが語ったことを、先生が優しく受け止め、語り返す。そして徐々に患者さんの気持ちが落ち着いていく、という内容だったと思います。

その時、医学部に行く前の私が患者さんにできなかったことを、中井先生が見事にされていたことに感動を覚えました。また中井先生は、心療内科のことや、緩和ケア、サイコオンコロジーについても分かりやすく話してくださいました。

私は中井先生のところで勉強したい、この先生に学びたいと心に決めました。決めると行動が早いのがその当時の私でしたので、早速、関西医科大学の心療内科に連絡してみました。医局長が電話に出てくれて、丁寧に対応してくれました。そしてこのように言われました。

「中井先生の意向です。まずはそちらでしっかりと内科の勉強をしてから、こちらに来てください。」

そうか、心療内科に入局するためには、まず内科を勉強してからなのか、でもそれを許してくれるところはあるのかな、と思いました。普通は、研修だけして、はいさようなら、ということができる医局はほとんどないと思います。

どうしようかなと思っていると、ある先輩から「第2内科の原田先生なら許してもらえるかもしれないよ。」と言ってもらいました。この先生が今回お話したい私の恩師です。


私の大学時代の恩師

原田実根(はらだ みね)先生は、血液内科がご専門で、造血幹細胞移植の実用化に尽力された先生でした。この技術により、以前は不治の病と言われていた白血病が治るがんになったのです。元々は九州大学のご出身で、最後は九州大学の教授で退官されたと思います。原田先生の授業は、スパッとした物言いで、とても分かりやすかったことを覚えています。

「私は血液型で、性格が分けられることは信じていないんだよ。移植した患者さんの血液型は、ドナーの血液型になるわけだけど、それで性格が変わったという人を私は見たことがないからね。」と話されたことは今でも覚えています。

研修医になってからも、回診では主治医に多くの時間を割いて、熱心に教えておられる姿を今でも思い浮かべます。私も主治医となった時、回診の前日には色々質問されても答えられるように、遅くまで文献を読んでいたことも懐かしい思い出です。

さて私は意を決して、原田先生の部屋に入局のお願いにあがりました。私ははっきりと、「いずれ関西医大の心療内科に行きたいのです。入局して2~3年内科の勉強をさせてください。」と言いました。すると先生はあっけなく「いいよ。」と言われました。

「私は中井先生のことはよく知っている。九州大学の時、医局が隣だったからね。心療内科はこれからの時代、重要になってくると思う。うちでしっかりと勉強して、心療内科に行きなさい。」と言ってくれました。

私は、岡山大学医学部第2内科入局後に、香川と愛媛で3年間内科研修をし、その後関西医科大学心療内科に入局しました。

私の直接の恩師は中井先生ですが、原田先生も私の大切な恩師だと思っています。中井先生との思い出は、いずれ書こうと思っていますが、もしあの時、原田先生が入局を許してくれなければ、今の私はなかったと思うからです。今でも、あの時のことはとても感謝しております。

原田先生、本当にありがとうございました。いつまでもお元気でいてください。


追記

原田先生の半生を知ることのできる記事を教えてもらいました。

前編と後編がありますので、興味のある方はぜひご覧ください。

<今月の1曲>

Michel Legrand / My Baby

今日の1曲は、ミシェル・ルグランのマイベイビーです。ルグランらしい、華やかなサントラ曲です。

私が学生時代(今日の記事の頃)このレコードが欲しくて色々探しましたが、結局ゲットできませんでした。あとで再発されて、CDでは持っていますが、今でもレコードで欲しいなと思っています。

あの頃は、素晴らしい曲に出会うと、とてもワクワクしていました。今もそのころのワクワク感は忘れずにいたいものです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

私は、緩和ケアをすべての人に知って欲しいと思っています。

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