④他力本願の本当の意味
・愛=合
・幸せ=仕合わせ
・ノイズの切断
・《自分らしさ》を基準とする共振
自己合 ✖️ 自己合
自分らしい振動波は共振を起こし、ノイズが少なく振幅が細かい(軽い)ほど、連鎖は加速していく。
それはまるで 合のピタゴラスイッチです。
あるがままの自分を謳歌しているだけで、自動的に豊かさを生み出していく。
そんな美しいことがあるでしょうか。
そんな理想論は夢物語でしょうか。
いいえ、それは既に現実に存在します。
「大自然」は自己合の集大成
太陽、海、川、大気、植物、虫、動物、菌。
誰も取り引きなんてしていません。
ただ、それぞれが己が為に生きているだけ。
なのに、あれほど壮大なハーモニクスを生み出す。
(人もそこから生まれました)
自然とは「あるがまま」という意味です。
英語の Nature/Natural も同じなのは不思議ですね。
人間がタブー視してきた「みんなが自分のために生きる世界」は、何故あんなにも美しいのでしょうか?
大自然を慈しみ、その保護者をかって出ながら、自分達はひたすら「あるがまま」を否定して不自然であろうとし、さらに「人工的なものは醜い」と否定した先も否定する。
矛盾 ✖️ 矛盾
人はなぜ「自分の自然体」を恐れるようになったのでしょうか。
自力と他力
「幸せになるにはどうすれば?」と問いかけられて、出てくる言葉はなんでしょうか。
努力、頑張る、忍耐、我慢、辛抱、自己犠牲…
そこから派生する行動ではないでしょうか。
どれもこれも「自力のみ」で成しえようとするものです。
しかし、個の自力は本当に小さなものです。
量子力学の共振、類は友を呼ぶ現象、合いの連鎖反応
合いは重力や時間と同じ「物理法則」
それは自力ではなく他力です。
風にのる鳥、波にのる魚、日光による芽吹き。
みんな「そこにある他力」を最大限活用しています。
それを「ズルい」「怠け」「努力していない」「悪いやつ」と思いますか?
「他力本願」の本当の意味
仏教用語である他力本願。
本来は、自己合が織りなす、合の連鎖反応を示す言葉でした。
しかし、時代を経て大きく意味が歪められてしまっています。
「他人まかせで自分では何もしない」
「自分の負担を他人に押しつけてラクをする」
「主体性がなく無責任」
現代における他力本願は上記のように誤認されています。
これはあってはならない大間違いなのです。
そもそも他力=他人の力ではありません。
《人ならざる、大きなエネルギーの流れ》を示しています。
それはかつて「仏の力」と呼ばれていましたが、現代では科学が発達したので、物理法則として証明され「共振/共鳴」と呼ばれています。
この自然界に元からあるエネルギー法則を活用することで、小さなエネルギーで大きな結果を得ることが出来る。それが他力本願の意味なのです。
美しい動きをするダンサーほど、流体力学を利用して最小限の力しか使いません。遠心力や反動といった自然界のエネルギーを使い、ダイナミックな表現を実現します。
もし、動きだけを力任せにマネても不格好で楽しくないでしょう。
幸せになる為に、本心/本音に背くことを続けたり、我慢し続けることを努力だと賛美する必要などないのです。
すべての仕合わせは、自己合から派生します。
自分が合を拒絶しない限り、幸せはいつでも「今、ここ」にあるのです。
自然栽培・オーガニック食品の生産者に還元します