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恋の賭け、成立条件緩和中【第2章】


第2章 平成16年(2004年)

1.ひまり24歳 『ゆ会』

・6月

私は走った。

毎日ジョギングをしているから、走ることはキツクない。ただ、大きなバッグを肩から下げていて、走りにくかった。でも、みんなが待っている。

池袋駅に電車が着いた時刻が、約束の20時を5分過ぎていた。スーツケースは駅のコインロッカーに入れた。カナダでのツアーを終えて、日本に着いて、会社に寄って、今、池袋の居酒屋を目指して走っている。

大きなバッグには、居酒屋で待つみんなへのお土産が入っている。
その目的地の居酒屋に、やっと到着した。

息を整えると、焼き鳥の香ばしい匂いが、日本の食事から遠ざかっていた私の嗅覚をくすぐった。

ビールを飲んで、焼き鳥を食べたいと切に思った。

昭和を連想させるガラスの引き戸を、ガラガラと音を立てて開けると「いらっしゃい!」という威勢の良い声が聞こえた。日本の飲食店のサービスは、なんて素晴らしいのだろうと私は思った。

テーブル席の奥にお座敷があると、幹事の瀬戸さんからメールで教えてもらってあったので、私は背伸びをして、奥の様子をうかがった。

「隊長!」と、瀬戸さんの奥さんの睦美さんが手を振ってくれていた。瀬戸さんの顔も見えた。

奥へ進もうとした瞬間、私の抱えた大きなバッグが、テーブル席のサラリーマンの背中にぶつかってしまった。

「うぷっ」と、その人は、飲みかけたビールをこぼしてしまったようで、ワイシャツとスーツの股の辺りと、テーブルの一部が濡れていた。

「ごめんなさい!」と、私は頭を下げて謝罪した。

「だ、大丈夫です」と、その人はハンカチでワイシャツをぬぐいながら、笑顔を私に向けてくれた。大きな体格で、素朴で人の良さそうな笑顔だったので、私は少し、ホッとした。

「お姉さん、気にしない、気にしない。こいつ内心、キレイなお姉さんにぶつかってもらって、むしろ喜んでいるから」と、同僚らしき隣の人が、優しい茶々を入れてくれた。向かい側に座っている上司らしき中年男性も、笑顔を私に向けてくださった。

「ほんと、ごめんなさい」

「いいなぁ、祖父江。俺がぶつかってもらいたかったわ~」と、上司らしき中年男性も、冗談を言って場を和ませた。

「僕、本当に大丈夫です。大したことないんで」と、被害者の男性が、重ねて言って下さった。

「ほんとに、ごめんなさい」と、私はもう1度頭を下げた。「そして皆さん、優しいお言葉をありがとうございます」と、私は感謝を伝えた。

「隊長~、コッチですよ~」と、瀬戸さんの声が聞こえたので、もう1度お辞儀をして、私はお座敷に向かった。今度は、ちゃんとバッグを抱えて歩いた。

今夜は、私が添乗したツアーのお客さまが、10数名集まって懇親会を行なっているのだ。幹事の瀬戸さんの説明では、単なる飲み会らしく、今日、2回目の開催らしい。初回はツアー中で、私は、残念ながら参加できなかった。

私は、宮古島から東京に戻ると、田辺さんに宣言した通りに、オトウに連絡を試みた。オカアに電話して、そのあと2人に電話したら、オトウはニライカナイへ行ったと聞かされた。病気だったと聞いたが、なんの病気だったのかまでは聞けなかった。ショックだったが、オトウの死を聞かされたのに涙が出なかった。それが私は哀しかった。

オトウのことを思って、私の目から涙がこぼれたのは、2日後の入浴中だった。

すぐ行動を起こさなければ、こんな風に、取り返しのつかないことになる。田辺さんの言う通りだと思った。

私は、以前から少し興味を抱いていたツアーコンダクターを目指した。迷っている時間など無いと思い、すぐに就職活動を行ない、即、小さな旅行会社に採用され入社を決めた。そして、まもなく丸1年が経つ。

この懇親会は、私の主催でもないし、私の企画でもないのだ。今日も、「ゲストとして参加してください」と瀬戸さんに依頼されての参加だった。本当に、ありがたいと、私は思う。

2ヶ月前のイスタンブールツアーに参加したお客様同士が、すごく意気投合して、帰国後も「会って飲みましょう」となったのだという。
自然に、「隊長も参加して」という声が上がって、私は2度目に、何とか参加することができたのだ。

ちなみに「隊長」とは、私のことだ。私は、添乗するとき、「私のことは『隊長』と呼ぶように」と言っている。
イスタンブールツアーのお客様たちは、それを特に喜んでくれて、自分たちのことを「隊長とゆかいな仲間たち」と称してもいた。

この懇親会の幹事役を、瀬戸さん夫婦が買って出てくれたのが、何よりも大きく、そしてありがたかった。

「瀬戸さん、いつもありがとう~! わ~! むっちゃん、元気~?」と、私はむっちゃんとハグした。私の方が年下なんだけど、むっちゃんは童顔で、つい同い年のように接してしまう。

「隊長、イスタンブールでは、本当に、お世話になりました」と、むっちゃんが言った。
「特に、モスクワでは、本当にありがとうございました」と、少し涙目になっている。

「まあまあ隊長、まずは座って、座って」と、最年長の石原さんが声をかけてくださった。
「みんな、隊長と話したがってるけど、まずは乾杯しましょう」と、瀬戸さんが仕切り直しの音頭を取った。

私は、お座敷の真ん中に座っていた。

「隊長、ビールでいい?」と誰かが聞いて、中ジョッキの生ビールがササッと用意される。みんな、社会で揉まれているからか、行動にムダがない。

全員が、私より年上で、干支が二回りとか、三回り上の人もいた。
でも私は、緊張などしなかった。それは、「隊長」と呼ばれているからかもしれない。

瀬戸さんが、最年長の石原さんに、乾杯の音頭を依頼した。
「イスタンブール以来の、隊長との再会に! カンパ~イ!」と、石原の声が上がった。

私は、参加者全員とジョッキを合わせて、それからビールを飲んだ。

「まーさん!」と、うちなーぐちが出ていた。


* * *


飲み、食べ、会話もして、場の空気も少し落ち着いてきた。日本の食事の美味しさと、日本人の心配りの素晴らしさとが、私の胃と心に沁みてきた。

「しかし、隊長の冒頭の挨拶。あれは笑えたなぁ」と、人を茶化すことが大好きな田代さんが言った。となりに座っている田代さんの奥さんは、もうニヤニヤしていた。

「そうそう。『私のことを隊長と呼んでください』って、アレには僕、吹き出しちゃいましたから」と、渡辺さんも茶化し始めた。

「そう! でも、あれで一気に、空気が和みましたよね」と石原さんが言った。

「ええ~⁈ なんで笑えるのさ~?」と、私は不満を口にした。

「だって、絶対にツアーコンダクターの初心者だって、すぐに分かったし」
「顔に『ド緊張』って書いてあった~!」
「ワハハ~! 顔に『初心者』とも書いてあったね~」

みんな好き勝手に、言いたい放題となった。

「あきさみよ〜! みんな、そう思っていたの~! シンケン~?」と私が驚くと、ドーッ!と、お座敷は笑いに包まれた。

「私は、『はじめて』とか『新人』とか言ってないさ~! 先輩に『そういうことは禁句だ!』って、キツ~ク、指導を受けたんだから、絶対に言ってないはず。自身あるもん!」

「言ってなくても、分かるものは分かるんだなぁ」
「ちなみに、あのとき隊長って、添乗、何回目だったの?」

「トルコのツアー? たぶん5回目かな?」

「とにかく、まだまだ新人だって、バレバレだったよねぇ」
「若いし、あと最初、落ち着きがなかったわね」
「おっちょこちょいだし~」

また笑いが起こる。

「それなのに、『このツアーでは私が隊長です』って言うんだもんなぁ」
「あれは、呆気にとられたねぇ」
「しかも、『隊長の命令は絶対です』と、言い切っちゃうんだよ~」
「なんか、笑っちゃいましたよね」
「いや~、大したもんだと思ったよ~」

みんなの顔は、完全にニヤニヤしていた。

「乗り換えのモスクワの空港で、隊長の印象が180度変わったわ」と、渡辺の奥さんが言った。

場が急に、少し真面目な空気に変化した。

「変わった、変わった!」
「隊長、頼りになると思った~」
「あの事件のおかげで、ツアーのみんなの、団結が強まったよな」
「チケットを失くした、むっちゃんのおかげだなぁ」

笑いが起こった。
瀬戸さん夫婦も、一緒に笑っている。

「さんざん探しても、どうしてもチケットが見つからなかったよねぇ」
「どこに行ったんだろうね」
「でさぁ、隊長、スゴイ剣幕だったよね!」
「そうそう、小っちゃい身体で、あんな大声が出るんだねぇ?」
「あれは凄かったぁ~」

「だって、あのイワンっていうグランドコンシェルジュ、めっちゃ意地悪だったんだもん」と、私は言った。

「最初は、英語で苦情を訴えていたのに、『おい! 待て!』って言ってからは……。あれって、隊長、沖縄の言葉でしょ?」

「うん。興奮したら標準語もムリなの。うちなーぐちになっちゃう」

「しかし、声がデカかった」
「SPが3人も駆けつけてきた!」
「隊長が捕まっちゃう、って思って、怖かったわ~」
「通行人も立ち止まってさ~」
「隊長、知ってます? 隊長と瀬戸さんたちと、そのイワンが中心で、それを僕ら20人が囲んでいて、さらに野次馬が輪を作って。あのとき、2重の輪ができてたんですよぉ」
「隊長の沖縄弁が、ギンギンに響いてたね」
「言っている内容は何も分からなかったけど、相手が間違っているということは、ちゃんと伝わるんだよなぁ」

「だって、チケットを失くしても救済処置が可能って、私、知っていたからさぁ。あのイワンは、ただ面倒だったのよ。面倒だから『別便で行け』って、そう繰り返したの。瀬戸さんたちはハネムーンなのにさ~!」と、私は、そのときの怒りの感情を思い出していた。

「2メートルもありそうなロシア人の大男が、後ずさりしてましたからね」
「隊長の迫力は本物だった」
「アレって、どう決着がついたの?」

「駆けつけてきたスタッフの中に日本人女性がいて、事情を話したら『チケットが見つからなくても大丈夫です』って、そうなっただけさぁ~」と、私は言った。

私は、得意気な表情になることを、あえてこらえなかった。

「隊長、最後イワンに、何か言ってましたよね?」と、渡辺さんが言った。

「あれはね、『あなたは本当に日本人ですか?』って、イワンが日本語で聞いてきたのよ。イワンは日本語が話せたの」

そのとき瀬戸さんが、「僕、隊長のセリフ、全部憶えています」と、なんと立ち上がって言ったのだ。

「なになに、教えて」と、声が上がった。

私は、少し悪い予感がしたのだけど、場の空気に押されて何も言えなかった。

「これは、スゴク重要な話なので、皆さん、シッカリと聞いてくださいね」と瀬戸さん。

「ずいぶん勿体ぶるね」と誰かが言った。

「僕は、事実しか言いません。真面目に、事実だけを皆さんにお話します。あのときイワンは隊長に、『あなたは本当に日本人ですか?』と聞きました。すると隊長は、『ハハ~ン。あなた、日本人女性は、大人おとなしいって、思っていたのね』と言ったのです。そして隊長は、『映画でも観て勉強し直しなさい』と言いました」

瀬戸さんは、ここで言葉を切った。
私も、ドキドキしていた。私は、そんなことを言った記憶がないのだ。

「隊長は、こんな風にタメを作って、イワンを睨んで、こう言ったのです。『なめたらいかんぜよ!』……って」

お座敷に、「ドーッ!」という歓声が響いた。

「夏目雅子~~~⁉」
「なんで~?」
「ロシア人に『鬼龍院花子の生涯』って、難しくね?」
「隊長~! 最高っす!」
「腹筋が痛い!」

みんながお腹を抱えて笑っていた。
私が、本当に言ったのか。瀬戸さんの作り話なのか。本当のところが分からなかった。ただ、瀬戸さんは真面目な性格で、こういう作り話ができるタイプではないのだ。

私の顔は、きっと真っ赤になっていたと思う。顔がポッポと熱を帯びていた。

むっちゃんも笑っていたけど、チケットを失くした自分が笑っちゃダメだと思ったらしく、ハッとした顔になって、私を庇ってくれた。

「あの時は、私がチケットを失くしたばかりに、本当にスミマセンでした」と。

「今となっては、あれって、イイ思い出だねぇ」
「旅って、トラブルがあった方が面白かったりするよね」
「でもさぁ、すぐにあきらめるツアーコンダクターなら、瀬戸さんだけ別便で、ってなったかもねぇ~」

メンバーから、そんな声が上がった。

「隊長が、本気で戦ってくれる姿に、なんか、感動したもんね」
「感動といえば隊長は最後、野次馬にも英語で挨拶をしてましたよね」
「無事、乗れることになりました、ありがとう、みたいな、そんなのを英語で言ってましたね」
「そうそう、バレリーナのようなお辞儀で締めて……」
「そうだった。パンツスーツなのに、スカートの裾があるかのような、そんな手の動きをしてましたよね」

また、みんなが自由に語り出した。
私は、少し褒められて冷静さを取り戻した。

「お辞儀と同時に、野次馬からも拍手が起こったもんね!」
「あれも、大したもんだと思ったな~」
「あれは、とても素敵でした。隊長!」と、むっちゃんが、熱い眼差しで私を見つめてくれた。

「会社からは、後で、怒られたりしなかったの?」と石原さんが聞いてきた。

「それがね、今日、上司に呼ばれたの~。叱られるのかと思ったら、『ロシアで何かあったのか?』って聞かれて、『何でですか?』って聞き返したら、モスクワのグランドスタッフから謝罪の電話があったんだって。ご迷惑をおかけしました、みたいな電話があったみたい」

「へえ」
「逆だ~。叱られたんじゃないんだぁ」

「そうなの~。簡単に事情を説明したらね、『良くやった』って、上司に褒められたのよ」と、私は、笑顔を添えて報告した。

そこに、お刺身の船盛が2つ運ばれてきた。
小皿やお醤油が回される。

また、お客様同士が、仲良く会話を始め出した。
この光景は、とっても嬉しかった。

「オレ、隊長のツアーに、この前も行ったんだぜ~」と西頼にしよりさんが言った。

「ええ~、どこ行ったの~?」
「イタリア!」
「イイなぁ~、私も隊長のツアーに参加したいなぁ」
「はい! 私は、隊長のツアー、3回目! 今日、申し込みしました~!」
「ええ~⁈ スゲぇ~なぁ!」
「どこ行くの~」

と、また会話が盛り上がりつつあった。
その時、幹事の瀬戸さんが、スクッと立ち上がった。

「ええっと、ちょっとイイですか~?」と、左右に顔を向けて、注目されるのを待った。

「な~に~?」
「幹事が立つと、面白いことを言うからチャント聞かなくっちゃな」
「オーイ、幹事が何か言うぞ~」

「皆さんに、提案があります」

「提案~?」
「なになに~」
「聞くだけなら聞くよ~」

「この会って、懇親会って言ったり、飲み会って言ったりバラバラなんですよね。で、僕と妻とで色々と考えたんです」

「へぇ~」
「名前を付けるの?」

「ええっと、『隊長とゆかいな仲間たちの会』って、どうでしょうか?」

「イイねぇ」
「まんまじゃない?」
「ちょっと長くない?」

「正式名称は『隊長とゆかいな仲間たちの会』で、略称は『ゆ会』ってどうでしょう? 『ゆ』は、ひらがなで、『会』は、飲み会の『会』です」

「なるほどね」
「ゆ会かぁ」
「次の『ゆ会』に参加する?みたいに使うのね。うん。イイんじゃない」

「これまでどおりに、幹事は僕がやりますので」と、瀬戸さんは付け加えた。

「だよなぁ~、隊長は忙し過ぎるからねぇ~」
「今日だって、隊長が1番遅かったしね」
「そうそう、もっと隊長と話したいんだけどなぁ」

「ごめんねぇ~、日本に帰ってきてもメッチャ忙しくってぇ。今回も3日間しか日本にいれないの~。3日後にはエジプトに飛ぶんだから~」と、私は言った。

「おお~~~! エジプト、イイね~」
「行ってみた~い!」
「まあ、隊長は最初っから『マスコットでOK』って、そういうことだったからね。仕方ないね~」
「マスコットは完璧にできてる! 偉い! 隊長、偉い!」
「ちなみに、隊長が幹事、できると思う?」

「絶対にできっこない!」と何人かが口をそろえて言った。

「ムリムリ~」
「ハハハハ~!」
「添乗員は~?」
「添乗員は、どうかなぁ」
「まあ、俺たち『ゆかいな仲間たち』ならば、ノープロブレムだけどね」

みんなが「そうだ、そうだ」と楽しそうに言った。

「シンケン~? ひど~い! 私、泣いちゃうよ~」と、私は抗議した。

私が怒ると、みんなが笑った。


2.祖父江唯信そぶえただのぶ 29歳 

明るい女性だなぁと、僕は思った。
けがれのようなモノや、計算のようなモノを、これっポッチも感じなかった。

「あの娘、可愛かったよな。祖父江、声かけてきなよ」と、先輩の伊藤さんが言った。

芳賀課長は、ニコニコしながら、店員に声をかけ焼き鳥の追加を頼んだ。
そして、「俺が若いときは、悪い先輩がいてさぁ」と語り出した。「気に入らない後輩や大人しそうな後輩がいるとさ、『これは営業の練習だ』とか何とか言って、ナンパを強要するんだよ。こういう飲みの時にさ……」と、茄子の一本漬けを食べながら言った。

緊張感が走った。まさか、それを僕にもやれと言うのだろうか。

僕は、これまでの人生で、ただの1度もナンパというものを行なったことがない。ナンパをしたいと、思ったこともない。

伊藤さんが、「そうだよ、良い練習になる。キッカケはあったんだし、祖父江、さっきの女性に声をかけてみなよ」と重ねて言ってきた。

「いやいや、向こうは楽しそうに盛り上がっている。部外者が水を差しちゃ悪いよ」と、課長が言った。

「それに俺は、そのナンパ命令が大嫌いだったんだよ。本部長に『忍者ハットリくん』とバカにされるこの顔だからな。声をかけるたびに、相手の態度や表情に、俺はイチイチ傷ついたのさ。まあ、そのときの俺に声を掛けられた女性は、おそらく悪気なんてないんだと思う。無意識なんだろうな。でもな。無意識だと思うと、逆に、もっと辛くなってな」

課長は、本音を語ってくれている。僕は、そう感じた。
僕も、自分の顔に自信がない。目はギョロ目で「怖い」と言われたことがあるし、口も大きかった。

心ないことを言われたくないし、ヒドイ態度などもされたくなかった。だから、学生時代の僕は、女子との会話を最小限に心がけた。そのせいか、今でも、若い女性とは上手く話せない。緊張してしまうのだ。

どうやら、ナンパしてこいという命令は出されそうにない。

地主さんに、アパート経営やマンション経営を勧める、建物賃貸事業の営業マンになって、半年が経過していた。僕は、この半年で2件、制約となったが、それは芳賀課長のおかげだった。幸運にも恵まれて、アパート経営してみようと考え始めた地主さんに、僕がタイミングよく声を掛けただけだった。

「祖父江は、ナンパは得意か?」と、課長が聞いた。まだ、この話は終わっていなかったらしい。

僕は、正直に、「いえ。1度も行なったことがありません」と答えた。

「彼女、いなかったよな」と、伊藤さんが確認した。

「はい、いません」と僕は答えた。それだけでは会話が盛り上がらない気がしたので、僕は、少し話を膨らませた。

「20歳のとき、初めて付き合った女性に、『あなたと付き合っていても、全然つまらない』と、そう言われてフラれました」

「あらあら、それはキツイなぁ」と、先輩は同情してくれた。そして「他には?」と、先輩は質問を重ねた。

僕は開き直って、「前の会社で、職場恋愛になったのですが……。でも、その女性は結婚詐欺師でした」と、個人情報を明かした。

「わははは」と伊藤さんが笑った。
「へぇ~」と課長は、驚きの声を上げた。

「なに、その話! メッチャ面白そう」と、伊藤さんは、もっと詳しく語れと顔で訴えていた。

「僕の貯金を狙って、それで近づいたって、別れる前に言われました」

「被害は? いくら持ってかれたの?」

「被害はありませんでした。『お金を貸して』って言われて、僕は断ったので」

「いやいや、結婚詐欺師なら、そこを上手く騙すんだろう?」

「僕は、詐欺だとは全然思ってなくて、本気で何とかしてあげようと考えたのです。妹さんが、保険の利かない難病で、海外での臓器移植が必要だとか言うので、僕の貯金でどうにかなるとは思えなくて。あと、それとは別に、たとえ少額でもお金を貸すと、貸した僕は、何かあった時に、つい、恩着せがましい態度を取ってしまうかもしれないし。逆に、彼女が僕に対して負い目を抱くのも、それで下手したてに出られるのも、嫌だなぁと思ったりして。だから、僕がお金を貸すことなく、それでも問題解決できないかって、真剣に考えたんです」

「はは~ん。キチンとした手を打つために、詳しい状況を聞いたんだな?」と課長が聞いた。

「はい。難病なら国の援助があるかもしれないし、医療学会に相談するとかも、ダメ元でやってみる価値があると思いました。海外での臓器移植なら、募金を集めるとか、そういうことも色々、真剣に考えました。でも、会話をすればするほど、何か、会話が噛み合わなくなったんです」

「そして、最後は開き直られた?」と、課長は言った。

「そういう事だと思います。だませないから別れる、って、そう言われました。それに、僕の貯金額は大した額じゃないとも言われました」

「気の毒だと思うけど、でも、面白い体験をしているなぁ」と、伊藤さんが言った。

「伊藤さん、彼女いますよね? 課長も奥さんがいらっしゃいますよね。僕、今、よく分からなくなっていて、教えて欲しいんです」

「何?」と伊藤さんが言う。課長も目で、質問をうながした。

「どうすれば、女性を好きになれますか? 僕、『好き』っていう感情が、なんか、分からなくなったんです。顔やスタイルに惹かれても、僕の中のもう1人の僕が、『お前はあの女性ひとのことを何も知らないじゃないか』って囁くんです。確かに、ただ単に容姿に惹かれているだけなので、それは『好き』とは違う気がしますし、もっと美しい女性が現れたなら、僕は心変わりしてしまうのかもしれません。かといって、僕は、若い女性とは上手く会話ができないので、どうしても、容姿以外の情報を得られないんです。思い浮かぶ性格などは、きっと容姿から連想しているだけだですし。高校生までは、いつの間にか好きになっていたのに、今では『好き』ってことが、何だか、よく分からなくなっちゃって」

「それは、その詐欺師に騙されかけた影響だと思うの?」と、伊藤さんが聞いた。

「あ、違うと思います。中学生のときから、女子とは会話ができませんでしたから。ただ、前の彼女というか、その詐欺師のせいで、女性への苦手意識は強くなりました」

課長は、「あくまでも俺の場合だが、俺は、仕事に自信がついたとき、なぜか女性とも普通に話が出来るようになっていた」と言った。

その時、お座敷から「ドッ!」と、大きな笑い声が上がった。


3.ひまり 仮眠さえしない

3日後。

私は、成田空港の出発ロビーにいた。集まったお客様には、一通りの説明を終えている。
ここから、私オリジナルの説明を加えるのだ。

「では皆さん! 最後の説明です。重要ですのでキチンと聞いてください」

間を取って、私は視線をお客様に向けて、ゆっくり首を回して全体を見た。

「イイですか皆さん! この旅行中、皆さんは私のことを、『隊長』と呼んでください。よろしいですか?」

「はは、隊長ですか? 隊長の『隊』って、自衛隊の『隊』ですよね?」

「そうです。鼓笛隊の『隊』でもあります。私的には、少年隊の『隊』という表現の方が好みです。とにかく、その『隊』です。皆さんは私のことを『隊長』と呼んでください」

私は、ゆっくり話し、そして言い切った。笑顔を添えることも忘れなかった。

「…くっ」という声がした。

「誰ですか? 今、誰か、笑いました?」と、私はお客様を見回し、そして言葉を続けた。
「ツアー中、隊長の命令は絶対●●ですので、ちゃんと守ってくださいね。では、楽しいエジプトの旅へ、レッツゴーで~~~す!」


* * *


機体が水平飛行になり、安定し、少ししてから、「ポン」という小さな音が鳴り、やっとシートベルト装着を求める明かりが消えた。

私は、シートベルトを外し、ミネラルウォーターを一口飲んで、「ふう」と息を吐き、意図的に肩の力を抜いてみた。

この仕事は楽しい。

偽りのない充実感に満たされた。休日は、私の場合は極端に少ない。会社から仕事をお願いされるのではなく、「ドンドン仕事を入れて下さい」と、私から上司にお願いしているからだった。休みも、睡眠時間さえも要らないと思っている。それらは、最小限で構わない。

機内での、こういったスキマ時間も、先輩からは「仮眠するように」と教わったが、私は、仮眠に充てたことがない。この時間は、貴重な作戦タイムだった。そして、この時間こそが至福の時間なのだ。

お客様の驚きの表情や、感動の表情などを想像しながら、あれこれ企画を考えるこの時間は、私にとって、最も心が弾むひとときなのだ。

このツアーで、どうすればお客様満足度が上がるのだろうか。それを、具体的に考える絶好の時間だった。もちろん、事前準備はシッカリと行なってある。しかし、お客様の雰囲気や個性というものは、直接お会いして、お顔を拝見し、お話を聞かせていただいて、初めて感じ取れるものなのだ。

感じたことをふまえて、企画の細部を考えなおす。これは、私のルーティーンだった。

私は、ノートに「安全第一」と書いた。いつも行なう【掟】の1つだ。書きながら、絶対に忘れてはイケないと、気持ちを引き締め直す。「安全第一」を肝に銘じるために、必ずこの4文字をノートに書いた。

私は自分を、不器用だと自覚している。

これまで先輩に「やった方が良い」と教わったことが、なかなか習慣にできなかった。素直に取り組むのに、三日坊主となって、気が付いたら忘れてしまっているのだ。

いろいろと試した結果、私は、『毎』と『徹底』という漢字3文字にたどり着いた。

良い習慣を身につけるために、『毎日』『毎回』行なうようにした。休みの日でも、行なうと決めたのだ。毎日できないことは、『毎週○曜日』とか『毎月○日』とか、『毎』を組み入れた。

こうすると、だいたいのことは、数ヶ月で習慣化されると判明したのだ。

そして、習慣になってしまえば、忘れないし、苦痛がなくなった。習慣になってしまえば、断然にラクチンなのだと実感できたのが大きかった。

私は、『毎』と『徹底』を、自分の【おきて】の1つに加えた。私は不器用だから、どんな例外も認めずに、掟を守った。忘れた場合は、思い出したその瞬間から、その新習慣を再開させた。

私は、幼なじみのメーグーに、コンプレックスを抱いていた。でも今は、「努力や仕事で勝てっこない」というコンプレックスは無くなった。仕事や努力なら、メーグーと同等レベルになったと思えた。

私は、ノートの2行目に、「2つまで」と書いた。これも掟の1つなのだ。
とびっきりの体験を、1つか2つだけ、お客様に提供したい。3つ以上は禁止、というマイルールだ。

私は、つい、出しゃばってしまう。アレもコレもと、余計なことまでしてしまう。そんな自分の性格を、シッカリいましめるための掟だった。

私のためのツアーではない。主役は、あくまでもお客様なのだ。

私は、「2つまで」と書くことで、サービス精神にブレーキをかけた。
「2つまで」と書くことで、お客様目線を発動させることができるのだった。

2つのルーティーンを行なってから、私は、事前調査を行なってある数個の企画案を、再検討し始めた。

ピラミッド観光の、前かあとで、専門家のミニセミナーを行なう。その専門家は、エジプト在住の日本人で、「ピラミッド建設の労働者は、皆、心から喜んで作業に当たっていた」と、いわゆる一般論とは、真逆の持論を主張しているのだ。

家族を人質に取られて強制労働を強いられたとか、命令に背くと死刑という厳罰があったとか、そういう恐怖政治では、ピラミッドは完成できないという説を唱えている歴史学者だった。

この情報を先輩から聞いて、その日本人歴史学者とのアポを、私は、必死になって取った。電話を方々へ掛けたし、図書館で資料を調べたし、日本での3日間を、そのように使ったのだ。

私は、まだ悩んでいた。その学説を聞いてからピラミッドを見てもらうか。それとも逆にして、ピラミッドを見学した後に学説を聞いてもらうか。どちらがより、ツアーメンバーの興味関心を引き立てるだろうか。

答えが出そうになかったので、私はノートに、「着→電話」と書き入れた。

次の小さな企画の検討に、私は脳を切り替えた。
そのアイディアは、小さな体験として、あえて昼の砂漠を裸足で歩かせてみよう、というものだった。

「ヤケドに注意しましょう」「熱いですよ」という注意喚起よりも、「どのくらい熱いのか、体験してみましょう」という提案の方が、絶対に面白いと、思いついてしまったのだ。

ただし、本当にヤケドをさせるワケにはいかない。

裸足で歩かせて、熱さを感じたならサンダルを履かせる。しかし、サンダルでは「パッ」と履けない可能性がある。そもそも、片方の足にサンダルを履こうとすると、もう片方の足は、どうしても灼熱の砂の上に残ってしまう。

片足だけ、少し深刻なヤケドをしてしまう、という可能性があると思った。

薄い座布団のような物があれば、と考えた。熱さを感じたら、まず、その座布団の上に両足を避難させる。それからサンダルを履けば、ヤケドは回避できそうだ。

きっと、これなら上手く。しかも本当に、灼熱の砂漠を体感できるのだ。
まず、私が実験しよう、と思った。小さな薄い座布団のような物は、なんとか見つかりそうな気がする。お土産屋さんで、代用できるモノが見つかると思った。

私は他にも、案内事項の確認を行なった。ルールの説明や、安全上重要なアナウンスは、伝え漏れは許されない。それらも確認し、今一度頭に入れ直した。文化の違いや、特に、宗教上のルールに、日本人は無頓着な傾向があるのだ。その注意喚起は、注意を語る以上に、お客様の関心を集める工夫の方が重要だった。

皆、興味関心のないことは、聞いているフリをして、実は全く聞いていない。注目してもらう工夫を、私は必死で考えた。

ちなみに私は、過去のツアーのアンケート調査で、『お客様満足度』は常に90%以上だった。
アンケートは5段階評価で、大満足が5で、満足が4なのだ。私が添乗させていただいたお客様の90%以上が、この5か4を付けてくれていた。

「4も要らない」と、声が出てしまった。

5の、大満足だけで90%以上を得る。それが私の、今の目標だった。


4.ひまり 別名「ひがちゃん」

・4か月後、10月

私は、スナック『えん』の重いドアを引いた。
カランカランと、ドアに付けられたカウベルが、心地良い音を奏でてくれた。

「いらっしゃい」と、ママが、いつもの優しい声をかけてくれた。

「ママ、昨日お話した佐々木さん。連れてきたさ~」と、私は言った。

ママは、普段は誰も座らせないカウンター席の右端に、おしぼりを2つ、置いた。私は特別に、その右端に座ることを許されているのだ。
その席は、ママのご主人の指定席だったのだ。ご主人は2年前、47歳の若さでニライカナイへ旅立っていた。仕事中の事故だったらしい。

ママの仕草には、上品さがあった。昔、女優を目指していたらしく、容姿だけではなく、姿勢も所作も美しかった。今日はタイトな黒のワンピースドレスで、とてもセクシーだ。「主人は10歳年上だった」と聞いたことがあるので、30代の後半という計算になるけど、とてもそのような年齢には見えなかった。

「佐々木さんはココに座って」と、私は、自分の席の左側をすすめた。

「どうも」と佐々木さんは、ママに対して軽く頭を下げた。カウンター席の左端にいる、常連客の小松さんとも目を合わせたらしく、ペコリと会釈をした。

L字カウンターの左端は、常連客の小松さんの指定席だった。小松さんは、背は高くもなく低くもなかったが、かなり痩せていた。40歳くらいの中年男性で、今にも皮肉や嫌味が語られそうな、いつもそんな表情を浮かべている。それは、頭の良さそうな顔とも言えそうな気がした。

私は、日本にいるときしか、このスナック『縁』には来れないのだけれど、小松さんは、ほぼ毎日通っているらしい。ウイスキーを飲んでカラオケを歌うだけではなく、晩ごはんを食べる「食堂」としても、ここを使っているみたいだった。ママは、メニューにはないけど、小松さんには簡単な食事を出してあげていた。

私と佐々木さんの背中側には、BOX席が3つほどあった。一番奥のBOX席には、近所に住む大城おおしろが、奥さんと息子さんの3人で来ていた。大城さんは、完璧な皆勤賞らしい。ママがそう言っていたのを、私は聞いたことがあった。大城一家のBOX席には、大学生のアイちゃんがお相手を務めていた。

真ん中のBOXは、今日は、誰もいなかった。入口近くのBOX席には、若い男性サラリーマンが2人、チーママの蘭ちゃんと楽しそうに会話をしていた。

ほぼ、いつもの景色だった。

ママが、「ひがちゃんは、いつものでイイよね。佐々木さんは、何を飲みますか?」と聞いた。私は頷き、佐々木さんは「最初はなまがいいな」と答えた。

私の前には、泡盛の炭酸割りセットが置かれた。
私は、自分でグラスに氷を入れて、シークワーサーの原液を注ぎ、泡盛を注ぎ入れた。最後に炭酸水をゆっくりと注ぎ、マドラーで、そ~っと混ぜた。

佐々木さんには、キンキンに冷えたジョッキの生ビールが手渡された。

「かり~!」
「はじめまして」
「よろしくね」

と、私たちはグラスを合わせた。小松さんの席は届かないので、グラスを掲げて見せた。
小松さんも、ロックグラスを掲げてくれた。

泡盛のシークワーサー&炭酸割りを飲んで、私は「でーじ、まーさん!」と声に出して言った。

「ひがちゃんって、呼ばれているの?」と佐々木さんが聞いた。

「そうそう、言うの忘れてた。ここでは私、『ひがちゃん』なのさ~」と、私は、そのことについて説明した。

ママのご主人が、沖縄出身で、名字が比嘉。
ご主人は、お客さんやママからも『ひがちゃん』と呼ばれていた。
ご主人は、仕事中の事故で、若くしてニライカナイへ行ってしまった。
その数ヶ月後、私はこの店のドアを恐る恐る引いていた。
お店の前を通りかかったタイミングで、たまたまドアが開いたときに【うちなーぐち】が聞こえたからだった。うちなーぐちは、沖縄の言葉という意味。

ママが、説明を引き継いでくれた。

「このは、性格や話し方が、うちの人にソックリなの。大城さんや、ほかの常連さんも、『ひがちゃんの生まれ変わりだ』って言ってね。みんな大喜びになって。いつの間にか全員、『ひがちゃん』『ひがちゃん』って、呼ぶようになったのよぉ」

「そうことだからさ、佐々木さん。私、ここでは『ひがちゃん』なんです」

「隊長って呼ばれたり、ひがちゃんだったり、呼び名がたくさんあるんだね。それって、たぶん、愛されている証拠だよな」と、佐々木さんは言った。

「佐々木さんは、コンサルタントをしてるって聞いたけど?」と、小松さんが声をかけた。
小松さんは、昨夜もソコにいたから、今日、私が佐々木さんを連れてくることを知っていたのだ。

「常連の小松さん」と、私は、佐々木さんに教えた。

「はい。営業マンや、営業マネージャーの教育が、僕の行っているコンサルタントのメインです」と、佐々木さんは小松さんに顔を向けて、少し背筋を伸ばして答えていた。

「『ゆ会』のことで、いろいろと教わっているの」と、私は言った。

ママが、「佐々木さん。あちらの小松さんはね、なんとウチの記念すべき、1人目のお客さんだったのよ」と、嬉しそうに話した。

小松さんは、ニコリともせずに、ロックグラスのウイスキーを舐めている。

「あんな細身でもね、ケンカが強いのよ~。高校時代、神奈川県のボクシングのチャンピオンだったの。ね」と、ママが小松さんに顔を向けて言った。

小松さんは、ママの話を無視して、「ひがちゃんの彼氏なのか?」と、私に対してなのか、佐々木さんに対してなのか、どちらともとれるような聞き方をした。

「まさかや~、年が離れているさ~」と、私は反射的に言った。

「いくつ?」と小松さんが聞いて、「36です」と佐々木さんが答えた。
小松さんは、「オレより年下か。ならオレは、タメ口で構わないな」と、ほとんど独り言のように呟いて、またウイスキーを舐めた。

ママが、「佐々木さん、モテるでしょう?」と、小悪魔的な表情を浮かべて聞いてきた。

佐々木さんは、「ママと、先に会っていたならなぁ。すごくタイプだから、残念です。僕、去年結婚しちゃったんですよぉ~」と返した。

「あら? 口が上手いのねぇ。やっぱりモテるわね」というママのセリフに、私は割って入った。

「佐々木さん、結婚したの? 去年?」

「ああ。田辺さんの影響さ。女遊びなんかできないようにね。思い切って、すぐに結婚したんだ」

ママが、「その田辺さんって、私、ひがちゃんから、チラッと聞いたことがあるような」と、興味を示した。

私は、宮古島でのことを、ざあっと説明した。

「それでね。……私、田辺さんが言った『もし、3ヶ月しか生きられないなら』っていう言葉が、スゴク胸に刺さったの」

小松さんがメモを取り出した。フリーライターの職業病の1つということだった。
「3ヶ月か…」と、小さく呟いていた。

ママが、「だからか~。ひがちゃんが仕事中毒なの。会社が悪いワケじゃなさそうね」と、少し、私に顔を近づけて言った。

「仕事がおもしろいの! 後悔しないために、ひたすら今に集中してる」と、私は言った。

佐々木さんが、「僕も、大きい転機になったんです」と言った。「3ヶ月の命なら彼女は1人でイイと思って、東京に帰って、即、プロポーズしたんですよ」

「え? どういうこと?」とママが聞く。

「僕は、いつも彼女が、2~3人いました。それでイイと思っていましたし、バツ1になってからは、もう結婚しなくていいなと、そんな風に漠然と思ってたんです」

ママが、「悪い男なんだ~」と言った。
小松さんの眉が、わずかにしかめられていた。

「田辺さんとのあの日から、どう生きれば後悔しないのかと、考えました。僕が本当に望んでいるのは何なのかと、真剣に考えたんです。僕は、思っていた以上に欲の深い人間で、どうやら、何人もの好きな女性に囲まれて生きたとしても、好きな車や時計をどれだけ集めたとしても、とても満足など出来そうになかったのです。スゴク考えた結果、僕が1番嬉しいのは、大切な人から『ありがとう』と言ってもらえることだと、やっと気がついて……。気がついたと言うか、それは間違いなく欲しいし、嬉しいし、それを『目指す』って、決めたんです。『それだけを目指す』、って感じかな。仕事もコンサルなので、ちょうど良くて。キレイ事と笑われるかもしれませんが、クライアント第一主義を貫いているんです。これが今、本当に気持ちイイんですよぉ」

佐々木さんの言葉を聞いて、「2人とも、凄いキッカケを得たのね。それも同時に」と、ママが呟いた。

「なんか、ひまりさん…ではなく、ひがちゃんとは、『戦友』みたいな感じなんですよ。そして、ファンクラブの『ゆ会』の人数がドンドン増えて。今日は、このままお客さんに任せっぱなしでイイのかなって、そういう相談を受けたんです」

「ファンクラブ?」と、小松さんが聞いた。

「アレのこと。『隊長とゆかいな仲間たちの会』のこと。今は短く『ゆ会』って言うようになったんだけどね」と、私が答えた。

「ああ。それなら聞いて知ってたけど。あれってファンクラブだったんだ」

「そうなんです」と、佐々木さんが言った。「しかも、ひがちゃんが作ったのではなく、お客さんが勝手に作ったんです。定期的に集まってワイワイお喋りする会を。その『ゆ会』は、ひがちゃんがツアーに行くたびに、新規会員が増えるんです。幹事さんというか、まとめ役の瀬戸さんという方がいて、ちなみにその方も、お客さんなんですよ」

「瀬戸さんや、奥さんのむっちゃんの負担が、かなり大きくなっている気がするの。どうしたらイイかなぁ」と、私はつぶやいた。

「ひがちゃん、凄いのね」と、ママが少し驚いた顔をして言った。

「ひがちゃんって、ホント、凄いんです。映画の『フォレストガンプ』にソックリですよ。ただ、ひたすら走っているだけなのに、状況がどんどん変化して。そういえばエイショー君が『ひたすら』って言ってたね」と、佐々木さんが言った。

私は、褒められ過ぎて、くすぐったくなった。

「佐々木さん、それよりも瀬戸さんのこと。何かアイディアがあるって、言ってましたよね?」と、話を戻した。

「ああ。けっこう簡単だよ。電話やFAXでの連絡をメールに変えるだけで、スゴク楽になるんだ。一斉送信って方法があるんだよ」

「あきさみよ~。そんなことができるんだ~」

「あなたたち、スナックで飲むときまでも、仕事をしてるみたいじゃない。やはり仕事中毒だと、私は思うわ~」とママが言った。

「良いことだよ」と、小松さんが言った。
ママはすかさず「仕事中毒が? 私はゴメンだわ~」と、苦笑いしていた。

小松さんが、「ところで、ひがちゃんのコンサル料って、いくらなの?」と、佐々木さんに聞いた。

「無料です。ひがちゃんからお金はいただきません。戦友ですから」と佐々木さんが答えると、小松さんは飲みかけたウイスキーにむせていた。

ママが、おしぼりを小松さんに渡した。その仕草が、やけに優しく見えて、私は、ひょっとしてママは、小松さんが好きなのかなと思った。





第3章につづく


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