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恋愛下手な沖縄娘が、東京で仕事に夢中になり、沖縄に新たな夢と恋人を連れて帰る話(仮)【小説の下書き その9】

下書きです。
あとで書き直します。


平成21年(2009年)

1.ひまり29歳 再会と気づかず
・5月

空には雲1つない、なんてことはなく、雲は普通に浮かんでいた。しかし、青空が半分以上を占めている。

「青空が15%あれば『晴れ』」と、前に何かで聞いたことがある。晴れと曇りなら、晴れが、圧倒的に贔屓されているんだなぁと、そのとき私は思ったのだ。だから、決して記憶違いではないハズだ。今朝の天気は晴れだ。

世間は、リーマンショックの大波に翻弄され、私個人には直接関係は無いのだが、株価が下落して何やら大変らしい。旅行業界は、景気の影響をモロに受けるから、会社の売り上げは下がっているみたいだった。

私は、ひばりが丘駅南口にあるマクドナルドで朝食を食べていた。
大好きなエッグマフィンと、やはり大好きなベイクドポテトを目当てに、この朝マックにやって来たのだ。

朝マックを食べるのは、私のルーティーンの1つだ。フライト時間にもよるが、ツアー前の朝食は朝マックと決めている。だってマフィンが大好きなんだもの。

食べる場所も、この窓に向かうカウンター席がお気に入り。平日の朝なら、だいたい空いている。空が見えて気持ちイイ。

私は、ベイクドポテトを、ひと口頬張った。

「まーさん!」

リラックスしていると、つい、うちなーぐちになる。
成田空港の集合時間には、まだタップリと余裕があった。私は、時間30分前到着を【掟】としている。ツアーコンダクターが本来着いているべき30分前の、さらに30分前に、私は到着するのだ。

早く到着し、カフェで珈琲を飲みながらツアー計画を確認する時間は、私には至福の時間に感じた。だって、絶対に遅刻は有り得ない状況なんだもの。

うちなータイムがDNAに刻まれている私が、ちゃんと時間を厳守している。10年前は考えられなかったなと、ちょっと感慨深くなって、私は、また空を眺めた。ちゃんと青空が見えた。

視線を下げると、そこには町の駐輪場があった。ロックバンドのボーカルなどに好まれる、皮に金属のトゲトゲが付いたファッションの男性が、その駐輪場に自転車を停めようとしていた。空きスペースがなく、わずかな隙間を作って、そこに自転車の前半分だけを強引に突っ込んでいた。

彼は、それで良いと考えたようだった。駐輪場の出口へ向かって歩き出した。でも、その停め方では、人が歩くときにぶつかってしまう。歩行エリアに飛び出ているのだ。

私は、「あ…」と声を漏らしていた。

さっきの強引な停め方をした自転車の、右隣りの自転車がゆっくり傾いた。倒れてしまい、さらに隣の自転車も倒れてと、ドミノ倒しのように次々と倒れ出したのだ。
それだけの自転車が倒れたのに、ロック風のその男性は気づかないらしく、駅へ向かって歩き続けている。本当に気づいていない可能性もあるし、気づかないフリをして歩き続けた可能性もあった。

私は、こういうのは放って置けないタイプなのだ。自分でも呆れてしまうが、そういう性格なのだ。あの倒れた自転車は、私が直しに行くしかない。幸い、今の私には、有り余る時間がある。

その10数台の自転車が倒れた場所に、クロスバイクに乗ったスーツ姿の男性が近づいた。サラリーマンに見える。その男性は、背が高く黒髪で、ビジネスの使用にも違和感の少ない、黒い角ばったリュックを背負っていた。

彼は、自分のクロスバイクを降りて、リュックも降ろした。そして、将棋倒しになった自転車を直し始めたのだ。カゴとハンドルとの絡まりを外し、1台ずつ自転車を立てる。自分が倒した自転車ではないのだから、放置する人が大半だろう。1台2台ならともかく、10台以上の自転車が倒れているのだ。

真面目な性格なのだろう。しかし、どちらかというと不器用なのかなと、私は思った。
彼が、倒れた自転車を、また1台起こしたのだが、案の定という具合に、彼の背中側の自転車が左に倒れた。こちらは自転車が詰まっていて、3台倒れたあと、4台目の自転車は5台目の自転車にもたれて止まった。

「あちらを立てればこちらが立たず」という諺は、決してこういう意味ではないと思うのだが、まさに、そのような状況が私の目の前で発生していた。

初めから、店を出たなら倒れた自転車を起こそうと、私は思っていたから、急いで手伝いに向かうことにした。
カウンター席を立ち、お会計を済ませて外へ出た。スーツケースを引きながら、駐輪場に向かう。

「手伝いますね~」と、そう声をかけて、彼が押さえている自転車を支えた。「こっちは倒れないように支えますから、そっちの自転車を起こしてください」

「あ、ありがとうございます」と、彼は言った。

私より年上っぽかった。素朴な笑顔で、誰かに似ていたが、それが誰かなのかは、すぐには思い出せそうになかった。その男性の表情には、少し戸惑った感じもあって、もしかしたら、これは自分が倒したワケではないと、説明したかったのかもしれない。
後で、あなたが倒していないことは見て知っていますと、そう言ってあげなきゃなと、私は思った。

やはりネックは、ハンドルとカゴの絡まりだった。その他にも、何かと何かが絡まり、動きが連動し、それが厄介なのだ。身体を、自転車と自転車の間に入れるスペースが作れないことも、作業ペースが上がらない原因の1つだった。

私は、「一度、こっち側をズラしてスペースを作りましょう」と提案した。
「そうですね」と、彼は同意した。

「一気にズラすのは無理があるので、1台ずつズラしましょう」と言いながら私は、列の左端に移動した。彼も左にやって来た。
左端の1台を、隣の自転車から剥し独立させた。一旦、本来は人間が歩くための通路に置いた。背の高い彼が、横になりかけている2~3台の固まりを、それ以上倒れないように支えた。その左端を私が剥がし独立させる。これを繰り返した。

そこに、自転車でやって来た男子高校生が、何も言わずに私たちを手伝い始めた。学生服の高校生に対し、背の高い男性は、「ありがとう」と、お礼を言った。私も、「ありがとうねぇ~」と、大声でお礼を言った。

私は、さらに図々しく、高校生に指示まで出した。「君は右端から剥がして、立て直してくれる?」と。
男子高校生は、やはり無言で、首でコクンと頷いた。了解っす、という声が聞こえてくるような仕草だった。

3人に増えたらな、作業がみるみる進んだ。倒れている自転車の数が少なくなると、「もう少しだ」という思いになり、精神的にスゴク楽に感じるのだった。同じことを繰り返しているので、要領も良くなっていた。

全ての自転車を独立させ、立て終えた。
通路に仮置きした自転車を、白線の中に入れなければならない。高校生が右エリアを、背の高いサラリーマンが中央エリアを、私は左エリアを担当し、並べ直した。可能な限り詰めなければ、全ての自転車は入りきらない。

きれいに詰めて並べた効果で、手伝ってくれた高校生の自転車も、ちゃんと枠内に収まった。

私は、改めて男子高校生に、「ありがとう」と言った。
高校生はペコっと頭を下げて、小走りで駐輪場から出て行った。

背の高い男性が、私へ近づいてきて「ありがとうございました。とても助かりました」と、お礼を言った。

そして彼は、リュックを背負い、自身のクロスバイクに跨った。

「自転車、停めないんですか?」と、私は反射的に尋ねていた。

「え?  ああ。……僕は、法務局に行くんです」と、彼は言った。私は、その意味が良く分からなかった。

「自転車を停めて、それから向かうのでは?」

「え?  ああ~。法務局は田無駅の方にあるんです。そこへ向かう途中だったんです」

「じゃあ、ここに停めないのに、なのに自転車を直したの?」

「あ、はい。なんっていうか、時間があったし……」

「駐輪場を使わない……」と、私は、また同じようなことを呟いた。私の思考は、一瞬ではあったが、迷路の中に迷い込んでいたのだ。

「あ、こんな時間だ」と、彼が言った。

私も腕時計を見た。思った以上の時間を費やしていた。

「では……」と彼は言って、少し固まった。
跨っていたクロスバイクから降りて、「ありがとうございました」と、私に対してキチンと腰を折ったのだ。深すぎる大げさなお辞儀ではなく、浅い会釈だった。

「どういたしまして」と、私は言った。

男性は、またクロスバイクに跨り、そのまま走り去った。

私の胸の奥が、ギュギュギュッと収縮した。ときどき、こんな感覚があった。少しして、映画を観て感動したときの胸の切なさと、ほぼ同じ感覚だと気づいた。

私は今、感動しているのだろうか。

「あなたが倒していないことは見て知っています」と、伝えそびれてしまったことに、今、気がついた。


2.祖父江34歳 再会だったと気づく
・6月

ここは、駐輪場が良く見えた。

僕は、あの日会った女性との偶然の再会を求めて、平日の朝食はマクドナルドで食べるようになった。おかげでソーセージエッグマフィンの美味しさにも気づいた。

僕の住むマンションの最寄り駅は、このひばりヶ丘駅ではない。ほぼ中間ではあるが、次の駅の方が近かった。しかし、自転車ということもあって、ここ最近はひばりヶ丘駅ばかりを使っている。

朝食だって変わってしまった。
それまで朝食は、自宅で白米に納豆、プラス漬物という、質素倹約で、かつ健康的なメニューだった。そのゴールデンメニューは、ここ最近は土日だけになっている。その土日さえも、ここに来てしまうことがあった。

あの日は水曜日だった。彼女はスーツ姿だったし、平日が出勤日なのだろうと、仮説を立てた。土日が仕事の可能性もゼロではないが、少なくとも平日だけは欠かすことなく、ここで朝食を取った。

たまたま、あの日だけ、この町に来たのだろうか?  スーツケースを持っていた。出張でこの町にやって来たという可能性もあるが、しかし、ここはターミナル駅ではない。同じ出張だったとしても、自宅から出張先に向かうところだったという可能性が高い。

そう思った。

こんな思いも行動も、生まれて初めてだ。

僕は、岐阜県の田舎町から東京の私立大学に進学した。そして、関東の地方銀行に就職したのだ。僕は次男坊だから、兄と違って自由なのだ。
地銀では渉外しょうがいという、ルート営業のような外回りを行ない、そのとき、十数棟のアパートを経営するやり手の大家さんに、僕は、とても気に入られた。

僕も、その大家さんの人柄や考え方に惹かれ、尊敬し、大きな影響を受けた。いつかは自分も、アパート経営を本業にしようと、そう思うようになっていた。大家さんの勧めもあって、僕は不動産会社に転職した。アパート・マンション経営を、不動産業界の中から学ぶのが目的だった。学びながら給料がもらえるので、とてもありがたいと思っている。

不動産会社に転職したから、出会えたのだ。
あのとき、偶然、法務局へ寄る仕事があったから出会えたのだ。そんなことがなければ、あそこを自転車で通ることはない。
さらに、自転車がたくさん倒れなければ、あの人と出会うことはなかった。

僕は、幸運には自信がある。

結婚詐欺師のターゲットになっても金銭的な被害はなかった。
不動産会社での営業成績も、上位をキープし続けた。それは、既存のお客様のリピート契約や、お客様から紹介をいただいた結果で、同僚からは棚ぼた契約ばかりじゃないかと、カゲグチを言われた。
管理職になったら営業力の無さが露呈すると、面と向かって言う者もいたが、なぜか部下に恵まれた。
僕の課は、紹介受注が極端に多い課となり、営業成績は常にトップクラスだった。

もしかすると幸運は、僕が時々行なう親切な行ないが、その源泉かもしれない。そう1度思うと、見て見ぬふりが、なかなかできなくなった。

僕はベイクドポテトを食べながら、3週間前のことを思い出す。

あの女性ひとは、人助けに慣れていた。ひょっとしたらボランティア活動の経験者かもしれない。
手助けが凄く自然だったし、恩着せがましさなどは皆無だった。

僕は、男で力だってあるのに、どうも要領が掴めなかった。でも彼女は、蔑むことも、これっポッチも無かったのだ。一緒に作業をしているときの、その雰囲気が、とても心地良かった。

だから僕は、幸運のパワーを得たくて、そんな邪まな考えから親切めいた行為をしている。僕は、偽善者なのかもしれない。

あの女性は、そんな自分とは真逆だった。
きっとあの人は、親切な行ないが好きなんだと思う。僕も、そういう自分になりたいと思った。

笑顔がステキだった。

あと何度、朝マックを食べたなら、あの女性に会えるのだろうか。ドラマやマンガみたいに、再会って、簡単にできるものと思っていたが、考えが甘かった。

会社へ向かう時間になった。お会計をして、駅に向かって歩いた。会社は池袋なのだ。

駅への階段を登ろうとして、靴の紐がほどけていることに気づいた。僕は、靴紐を結ぶために屈んだ。

そのとき、僕の背中に、ドンと何かがぶつかった。大きなスポーツバッグを肩に抱えた男子中学生が「すみません」と言った。そのバッグがぶつかったらしい。

僕は、「ぜんぜん大丈夫」と言って笑顔を向けた。

と同時に、僕は雷に打たれた。もちろん、その落雷は比喩なのだが、本物の落雷に負けない衝撃だった。

思い出した。会ったことがある。

僕は、彼女に会ったことがある。
5年前、池袋の居酒屋で、僕は、あの女性と会っていた。




その10へ つづく


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1539話です
※僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです

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