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恋愛下手な沖縄娘が、東京で仕事に夢中になり、沖縄に新たな夢と恋人を連れて帰る話(仮)【小説の下書き その10】

下書きです。
あとで書き直します。


3.ひまり バリ島旅行、出発前
・5か月後、10月

私のiPhoneが鳴った。

「はい。成田に着いています。大丈夫です。美佳さんはゆっくり休んでください」

私は今回、インフルエンザになってしまった美佳先輩のピンチヒッターとして添乗するのだ。
美佳先輩と私は、小さな旅行会社の「2枚看板」と上司から呼ばれていた。ツアーコンダクターの名前でお客様が集まる、私たちは、そういう希少な2人だった。

普通、海外旅行ツアーは、観光地の魅力を前面に出すキャッチコピーとなる。例えば「天空の鏡、奇跡の絶景『ウユニ塩湖』をめぐる10日間ツアー」とかが、その典型例だ。
しかし、美佳さんと私なら、「西園寺美佳と行くイスタンブール7日間の旅」とか、「小宮山ひまりと行くスペイン10日間の旅」というツアー名で、20名くらい簡単に集客できるのだ。

2人とも、たくさんのお客様に支持されているので、会社は、私たちの名前をキャッチコピーに入れ、お得様へご案内するのだった。

その美佳さんが、急遽、添乗が不可能となった。

「はい、大丈夫です。ご心配なく」と、私は言った。私は新人のとき、先輩の美佳さんから直接指導を受けた。今の私があるのも、美佳先輩の指導のおかげなのだ。

「え?  サプライズ企画はするな?  なぜですか?」と私は尋ねた。

美佳さんは、喉が辛そうな声だった。
「お客様は、一部の例外を除くと、バリ島旅行が5回以上の超リピーターばかりなの」と言った。

「私以上に詳しいし、きっと、ひまりちゃんの何倍もバリに詳しいわ」

「なるほど~。だから、到着後の工程も、『終日自由フリー』が多いのですね」と私は言った。先輩は、話すのも辛そうだから、ここは全て素直に受け入れよう。

「そうは言っても、あなたは絶対に何か考えるでしょ。それを、やって欲しくないの」と美佳さんは言った。なぜ、私の心が読めてしまうのだろうか。

「大丈夫です。何もしませんから。先輩、喉が痛そうだし、休んでください。ちゃんと先輩の言いつけは守りますから。電話、切りますねぇ」と、私はそう言って、通話を切った。

もちろん、お客様へのおもてなしの創意工夫は、私流でキチンと行う。そのための予習もバッチリ行なってきたのだ。余計なお世話とはならない、細心の工夫も考え抜いた。

さんざん悩んで、そのように結論を出したのだ。

今回のツアーは、美佳さんの常連さんが中心で、新規のお客様が僅かにいるだけだった。【ゆ会】のメンバーは、1名さえいない。

こんなことは、すごく久しぶりのことで、それゆえに湧いてくる緊張感が、私の心を強く刺激するのだった。

「ちむどんどん、してきたさ~」

つい、気持ちが言葉になっていた。

* * *

「美佳先輩から、みなさんは、バリ島旅行の”達人”だと伺っています」と、私は、いち早く到着したお客様に話しかけていた。。

この時間は、お客様の好みや性格など、個別の情報を得る最大のチャンスなのだ。

「私、バリ島、初めてなんです~。本当は、ツアーコンダクターって初めてでも、決して『初めて』って言ってはイケないんです。特に、美佳先輩には耳がタコになるほど、何度も何度も教わりました。でも私は、本音100%なんですよ~」と、私は、積極的にお客様のフトコロに飛び込んだ。

「小宮山さんは、ずいぶん若いけど、おいくつなの?」と、上品なマダムに聞かれた。

「武田さん、若いだなんてぇ~、お世辞でも嬉しいです~う。29歳で、まもなく三十路です」と答えた。お客様の名前をすぐ憶えて、すぐ使うのは、私の特技なのだ。
敬称も、「様」から徐々に「さん」に変えて、よそよそしくならないように心掛けた。

「ええ~。見えないわ~、もっと若く見えるぅ~」という、定型のお世辞が返された。これはアルアルなので、想定済み。

「ありがとうございます! 何も出せなくてゴメンナサイ。飴ちゃんとか無かったかなぁ」と言って、私はバッグをまさぐる。

「そんな、いいから~。あなた、オモシロイわねぇ」と、武田さんの反応は上々だった。

「バリ島のこと、何でも知りたいので、ご指導よろしくお願いします」と言って、リストの武田さんの所に『ジョOK』とメモした。冗談を言っても大丈夫な人という印なのだ。

情報収集以上に、世間話を通じて最も大切な事は、仲良くなることと私は考えている。友達ではないから、仲良くなるといっても、馴れ馴れしくなることではない。
こちらから、あなたに対して興味関心があることを態度で示し、話かけて、そして、話を聞く。聞くことに専念する。何か聞かれたら本音で答える。

親近感を抱いて欲しかった。
私には、美佳さんのような、キレキレの知的な添乗員というキャラクター設定は不可能なのだ。いつもの自分を出すしかない。

1人の男性が近づいてきた。ツアーの参加者と思われた。

私の、胸の奥が「ギュッ」と反応した。
心臓にコンマ5秒遅れて、視覚情報を脳が捉え、解釈した。

半年前、一緒に自転車を立て直した、あの時の男性だった。

「お客さま、お名前を…」と、私は言った。

「祖父江です」と、その男性は答えた。ツアー参加者リストに、祖父江そぶえ唯信ただのぶとあった。1人での参加者が彼だった。

「あ、はい。今日は、あの~、西園寺が、インフルエンザになってしまいまして、急遽私が……。ツアーコンダクターの経験は豊富なので、安心してください。でも、バリ島は、実は初めてなので、あの、ご迷惑をかけるかもしれませんが、どうか、よろしくお願いいたします」と、私の挨拶や説明は、しどろもどろになった。

「あ、あの~。その節は、ありがとうございました」と、彼が言った。

私は、「どういたしまして」と答えた。

私は、顔が熱くなるのを感じた。顔が赤くなっているのか心配になった。
そこへ続々と、ツアー客がやって来た。
私は、やるべき作業に追われ、そのおかげで、少しずつ冷静さを取り戻すことができたのだった。


* * *


機体が安定し、シートベルト装着ライトが消えた。

私は、習慣でノートを開いた。スケジュール表も出してチェックする。ジャカルタで国内線に乗り換えるが、どちらもガルーダ・インドネシア航空なので、乗り換え時の、荷物のピックアップは不要……。

そんなルーティーンを行なっても、自分の心は誤魔化しきれなかった。

なぜ? と思った。
なぜ?と、何度思っただろう。たぶん、今のが16回目くらいだ。

過去に、ごくたまにではあるが、私は、お客様から交際を申し込まれることがあった。中年の女性のお客様からは、「イイ人を紹介する」と、これは何度も言われた。【ゆ会】のメンバー同士が、おそらく私が原因でケンカをしたこともあった。

私は、『お客様との恋愛は禁止』という掟を作った。
誰にも相談はしなかったし、これまでに、誰にも話したこともない。

私が、心の中で誓っただけのことだった。【ゆ会】のメンバーには、お知らせすべきかなと考えたけど、アイドルでもないのに図々しいなぁと思って、結局、言い出すことはできなかった。

私の心の中で決めた。ただそれだけのことでも、私には効果があった。迷うことがなくなったし、公私混同の余地が綺麗サッパリなくなり、爽快感が生まれた。
私の言動にも、もしかしたなら微妙な変化が生じたのか、私にアプローチする男性がグッと減ったと感じた。

一部の人が、「隊長には婚約者がいる」とか「心に決めた男性ひとがいる」などと、噂を流しているみたいと、むっちゃんから教えてもらったことがあった。

私は、【ゆ会】のメンバー全員と仲良くしたかった。公平に接したかった。
みんなの笑顔を守りたかった。

いくつかの掟を作って、私は、その掟を守ってきた。
これまで、私のツアーコンダクターとしての評価が高かったことも、【ゆ会】のメンバーが増えたことも、それらの掟を守ってきたからだった。

私は、首を左右に振った。こんな精神状態では、つまらないミスを犯しかねない。それは絶対にイヤだ。
美佳さんのお客様なのだ。もし不評を得るようなら、美佳さんに合わせる顔がなくなる。

もう一度、必須項目を確認した。
インドネシアのルールも再確認する。

「ひとりで、勝手に盛り上がっているわね」と、心の中の、もう1人の私の声が聞こえた。「オバアに『恋愛運がない』と言われて、これまで事実その通りだったじゃない」「なのに浮かれちゃってさ」と、もう1人の私は容赦がく、今の私を嘲笑あざわらう。

小学2年生のとき、父方ちちかたのオバアに言われたその言葉は、ただの音だった。
言葉は聞き取れたが「恋愛」も「運」も、当時の私にはよく分からないモノだったから。
6年生になり、中学2年生になり、高校3年生になるにつれて、つまり誰かを深く好きになるにつれて、その言葉は重くなった。

ユタでもないオバアが、なぜ、そんなことを言ったのか。根拠は何か。などと、私は何度か考えた。

私の両親は、オバアの謎の予言の、その前後で離婚したのだった。以来、私は母に、正確には母方ははかたのオバアに育てられた。
父方のオバアは、1人になる息子を不憫ふびんに思い、母を憎んだのだろうか。私は2度、「あなたは恵子さんにソックリやさ~」と言われたことがある。そのときオバアの眉間には、縦ジワが濃く刻まれていた。

可愛い息子を捨てる愚かな女。その女にソックリな孫娘。きっとこの孫娘にも男を見る目は無いのだろう。…といった、そんな理屈だったのだろうか。

また考えていた。
私は、考えても仕方のないことを考えている。

美佳先輩のお客様に、決してご迷惑をかけてはイケない。
私は、強く頭を振って、スケジュール表を確認し直した。


4.祖父江 バリ島旅行、初日

僕はやはり、運がイイ。

朝マックを食べ続けて5ヶ月。その努力が思わぬ形で報われた。宝くじを買ったことはないが、僕の運の強さは本物だと思う。この幸運を、宝くじごときに回さなくて、本当に良かった。

席は窓側だし、隣がなんと空席だ。
そして、小宮山さんが同じ飛行機に乗っている。

アクシデントによるピンチヒッターだったと聞いた。
僕はこれからも、よこしまな考えであろうが、思いつく親切はドンドンやろうと気力が湧いてきた。

経由地のジャカルタ空港までは、あと1時間と少しある。村上春樹さんの『ノルウェーの森』を読もうと試みたが、内容が頭に入ってこなかった。僕は読書をあきらめ、目を閉じた。

搭乗前の、小宮山さんの宣言はユニークだったなぁ、と思い出した。
小宮山さんは、僕たちツアー客に、こう言ったのだ。

「このツアーが終わるまでは、私のことを『隊長』と呼んでください。
 隊長の命令は”絶対”ですので、逆らうことは許されませ~ん! よろしいですね~」

この宣言に、一瞬、全員が固まってしまった。
僕も、意味が呑み込めなかった。

小宮山さんは、「私、悩みました」と言って、説明を続けた。

「このツアーは西園寺美佳が担当するはずでした。私はその代打です。しかし、私は皆さまを、私のツアーの時と同じように全力でご案内すべきだと考えたのです。全力で行なうには、私の普段のスタイルで行なうべきです。そうなのです。私は普段、お客様に『隊長』と呼んでいただいています。正確には『隊長』と呼ばせています。
 でも、代打の私が出しゃばった真似をして良いのか。出しゃばっちゃダメか、出しゃばっちゃうか、悩みに悩んで、私は出しゃばると決めました。
私のいつものスタイルで、心を込めてご案内と、おもてなしをさせていただきます。
 それでは、今一度繰り返させていただきます。
 このツアーが終わるまで皆さまは、私のことを『隊長』と呼んでください。隊長の命令は”絶対”ですので、逆らうことは許されませ~ん! よろしいですね~」

若いカップルが、「隊長ですね。了解しました」「逆らいませ~ん! キャハッ!」と反応して、そのおかげでフワッと、みんなの空気が柔らかくなったのだった。

1人での参加は僕だけだった。若いカップルは例の1組だけで、新婚旅行ではないと言っていた。残り4組は、全員50代以上のご夫婦だ。そして、いつもより参加者が少ないらしい。

参加者が少ないのは、昨年の後半、世界中に新型インフルエンザが流行したからだった。もう、ほとんど終息し渡航の制限は無くなっていたが、それでも旅行客は、完全には戻っていないみたいだ。

それは、僕にとってはありがたかった。
ツアー代金も割安だったし、何よりいているのがありがたい。

今回の旅行は、部長から出された強制休暇命令がキッカケだった。

年に2度行われる社内営業コンテストで、僕の課は、5連覇を達成した。全国に200以上の支店があり、課の数はその3倍以上ある。課部門の営業成績は、このところ僕の課が、常に断トツだった。

芳賀部長は、「祖父江が休まないから、部下が休みにくいんだ。君が率先して休暇を取れ」と命令した。
おそらく、芳賀部長の支店部門の連覇と、僕の課部門の連覇とをやっかんで、粗探しをした者がいるのだろう。本社に、根拠のない誹謗中傷があったのかなと、僕は想像した。

僕の課は、課員の全員の営業成績が良いので残業は少ない。契約に付随する事務仕事があり、それを当日中に終わらせようとして、たまに残業する者が出る程度だった。休日出勤する者もいなかった。お客様の都合で休日出勤を行なった場合は、みな、必ず振替休日を取っていた。

ただし、有給休暇の消化は悪かった。営業実績に応じて歩合給が出るから、「有休を取れ」と言っても、身内の不幸や法事でもない限り、なかなか有休を取る者は出ないのだ。
成約という結果が出れば年収がUPする。そもそも、有休などを考える社風でもなかったではないか。

誹謗中傷は、きっと、僕の課員が誰も有給休暇を取っていないというものだろう。

それは事実ではあるが、真実は真逆だ。
営業成績が悪い場合、下の者は上長の顔色をうかがって、頑張っているアピールを行なう。サービス残業や休日出勤がそれだ。

本社が、いきなり法令順守を語り出しても、文化は簡単には変わらない。
古くから長く続いた悪しき慣習は、そう簡単には消えない。課員に、有形無形の圧力をかける上司が圧倒的多数なのだ。
変わったのは、「命令していないのに、部下が勝手に」という、言い訳が追加されただけ。
そして、そのような課の営業社員は定着しない。どんどん辞める。辞めるときに有給休暇を消化して辞める。

それが真実じゃないか。
いずれにせよ、まとめて休暇を取れという命令が、僕に下ったのだ。

長い休暇を、映画を観て潰すのは勿体ないと思った。
実家に帰るのは、兄の奥さんに気を使ってしまうから気が進まない。そんな時、ある大家さんが「バリ島はイイよ~」と熱心に勧めてくれたのだった。

夕日の美しさと、バリ人愛おしさと、ケチャックダンス素晴らしさと、マリンスポーツの楽しさと、プールサイド読書の優雅さなど、詳しく教えてもらった。

僕は、興味をそそられた。「『終日自由フリー』が多いツアーを選べ」という注意点も守って、このツアーに決めたのだった。

人生は、偶然のてんこ盛りだ。

だから、もはや「偶然」とは呼べないと思う。地球の誕生も、人類の誕生も、全て偶然だったのかもしれないではないか。

僕たちはモノスゴイ数の細胞でできていて、60兆個もの細胞があるらしい。細胞だらけだから、逆に「細胞」とは呼ばずに「手」とか「足」とか別の名前で呼んでいる。

ならば、偶然だらけのこの世の中で、いちいち「偶然」と呼ぶのはオカシイのかもしれない。

「運命」という単語が、僕の脳裏に浮かんだ。
僕の、頬が緩む。

「お飲み物は?」と、声をかけてきた客室乗務員さんの、顔が引きつっていた。

僕は、「オレンジジュースを」と答えた。
そして察した。
僕は、目を閉じていながら、きっと思いっ切りニヤニヤしていたのだ。
ニタニタだったかも。

ツアー客の女性が、小宮山さんに話しかけているのが見えた。
彼女は、常に笑顔だ。
小宮山さんが、軽く驚いたようだ。目が大きく開かれている。

背の低い、別の女性客が、収納棚から何かを取りたいらしい。このツアーのお客さんではないのだが、小宮山さんは、ごく自然に手伝っている。
小宮山さんだって、そんなに背は高くないから、ちょっと大変そうだった。

また僕は、ニヤニヤしている自分に気づいた。





その11へ つづく


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1541話です
※僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです


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