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愛情はgive-and-takeではない、という当たり前を気づかせてくれた

「くれないなら与えない」

これは、愛情ではない、と思います。

イケメンホストに貢ぎ続ける女性が、彼に何も求めないのならば、それは『愛』であり『愛情』です。

しかし、貢ぐことで、自分を愛してくれることを望んでいるのならば、それは愛ではありません。


見返りを求めない無償の愛。その代表例は母の愛でしょう。
しかし!

母親も求めたりします。
自分の願望を、我が子を使って達成しようとするケースが多々あります。
「言うことをきくなら、○○を買ってあげる」という交渉(脅し)は、ちょくちょく耳にしますよね。

そしてその母親が、同一人物の母親が、犯罪を犯し刑務所に服役する我が子の再起を信じ続けたりもします。
1週廻って、また無償の愛の発動です。


「じょーじさん、突然なんなんですか?」
と思った方もいることでしょう。

一昨日の、過去世閑談のメモに、
「ありのままで」
「愛情はgive-and-takeではない」

とあるのです。

僕は、書きのたねさんに、
「幼い時のじょーじさんの失敗を、じょーじさんが許してあげてください」と、教えていただきました。

コンマ数秒、僕は思いました。
(許してあげてもイイ失敗と、心底後悔すべきダメな失敗がある)
(ダメな失敗を許すのは、甘っちょろいだけじゃないか…)
(心底から悔いて、その結果成功の原動力になるのであれば…)

ここで僕は、「あれ?」っと思いました。

僕は、僕自身に、give-and-takeの接し方をするつもりみたいだ。
「○○ならば・・・」
「○○でないのならば・・・」

条件をクリアーしたならば良し。
条件をクリアーしないのならダメ。

こんなんじゃ愛情とは言えない。
僕は僕を、ちゃんと愛そう。

愛情を注ぐんだ。

give-and-takeは愛情なんかじゃない。

一昨日の僕の思考

そう思ったのです。

1秒くらいの一瞬で、そう閃いたのです。
だから、こんな走り書きが残っています。

書きのたねさんが言ったのは「ありのままで」
僕が思ったのが「愛情はgive-and-takeではない」


自分を許すのも愛。
自分を厳しく叱るのも愛。

自分をちゃんと愛さないと、きっと誰も愛せない。

ありのままの自分を愛すればいい。
まずは、そこからだ。


以上のことも、書きのたねさんの閑談で気づかせていただきました。

男性も、受けることをお勧めします。
占いには、ほとんど興味のない僕が、このような感想を抱いたのです。

うそ偽りない感想です。


閑談の概要は、書きのたねさんの記事をご覧ください。
こちら ↓


めちゃくちゃ唐突ですが、
僕は、
妻のゆかりちゃんが大好きです。





おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第943話です

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