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2011年3月11日の現場の悲鳴は、『声』の悲鳴だけではなく『心』の悲鳴もある

僕は、岩手県宮古市出身です。
今日は、11年前のことを振り返ってみます。

◆東日本大震災

Wikipediaから情報を拾ってきました。

2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18.1秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートルを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。地震の規模はモーメントマグニチュード 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。

引用:Wikipedia


◆発生時

当時僕は横浜市に住んでいました。妻のゆかりちゃんとは、まだ遠距離恋愛中です。

僕は仕事が非番でした。当時僕は、タクシー運転手だったのです。
スーパーでの買い物中に、あの巨大地震が発生しました。

普通の地震ではありません。揺れがどんどん大きくなります。立っていられないほどの揺れでした。
ビルの倒壊も頭をよぎりました。


揺れがおさまり、店員さんが叫びます。

「安全確認をしますので、一旦、店外へ出てくださ~い!」

レジ待ち中だったのですが致し方なく、買い物かごを通路に置いて外へ出ました。


すぐに、余震がありました。
余震でもモノすごい揺れです。電柱が折れそうなほど激しく揺れています。

スーパーの外で、たしか2度、大きな余震がありました。

30分ほど経過しても、いつ店内に入れるのかまだ分からないというので、僕は買い物をあきらめました。


◆モニター映像

アパートへ帰るため、駅のバス停へ向かいます。
左手のパチンコ店の入り口に、大きなTVモニターがありました。音はなく映像だけです。

水があふれ、流れ出ています。
テロップに「宮古市」とあった気がします。

反射的に目を背けました。

(あれはなんだ?)

なぜ目を背けたのか。これは、いまだに合理的な説明ができません。

たった今あった地震とその映像は、まだ僕の脳内ではリンクしていません。
こんな激しい揺れは、この横浜が震源地間近なハズ。無意識に、そう思い込んでいました。

そして……、

バスが時間になっても来ません。
しばらく待ちましたが、あきらめてアパートまで歩き出します。

歩きながら、僕は友人に電話しました。

「スゲ~地震だったね~」と話そうと思ったのですが、今度は電話が繋がりません。


部屋に着くと、まず片付けでした。
本棚から大量の本が落ちていたのです。ポットも落ちて、熱湯がフローリングを変色させていました。

片付けが終わって、そこでやっとTVのスイッチを入れました。

津波の映像です。

さっき観たパチンコ店のモニター映像が、脳内で地震とリンクしました。


津波とは、海面が上がるんですね。
富嶽三十六景のような、

僕は、こんな感じで、高波が襲ってくるものと思っていました。


◆田舎の母

実家でひとり暮らししている母が心配です。

実家は海の近くですが、リアス式海岸の特徴は、海から即、山。
僕の実家は、どう考えても津波は届かない位置です。

しかし、タンスが倒れて、母が下敷きになっているかもしれません。
家の倒壊も、絶対にないとは言えません。

4日間。僕は電話をかけ続けました。
携帯電話の中継ナンチャラが津波で壊れたからだとか、大勢が電話するからだとか、本当の原因は分からないのですが、とにかく電話が繋がりません。

やっと母と会話ができたときは、本当に安堵しました。

「停電していて、充電がなくなるから長電話はできない」

そう言われて無力を感じましたが、それでも母の無事が確認できて、僕の心はかなり救われました。


◆中学の同級生

中学の同級生が、いつまでたっても電話に出ません。

10日たち、まだ電話に出ません。
嫌な予感がしてしまいます。

まさか。頼む。神さま。

祈ることしかできません。
そのことを、タクシーに乗ったお客さんに話しました。

お客さん:「ああ、それは死んでるね。それしか考えられない」
じょーじ:「あ、でも、なにか別な……」
お客さん:「ない。あり得ない。他にはないね。10日でしょ。死んでるね」
じょーじ:「……」


あの時は辛かった。
哀しかった。

「無事であってほしいね」と、共感してもらえるものと思ったて話したのに……。


さらに1か月が経過した頃です。
同級生から電話がありました。

・職場が海のすぐ近く
・その日は、自家用車に携帯電話を置き忘れて仕事をしていた
・車ごと携帯電話は津波に流された
・社員や自分は、高台に逃げて助かった
・携帯電話会社に行ったら、端末が届くのに「1か月待ち」だった

同級生は、そんな経緯を語ってくれました。


書いていいですか?

あの時のお客さん。軽くでイイので、1発、殴りたいです。


◆現場の声(心の悲鳴)

このエピソードは、書けるまでに11年を要しました。

多くの方が知らない事実を、今日は、1つだけ書きます。
語ってくれた人は、心が深く傷ついています。


「TVは美談しか報じない」

これは、宮古市で津波に襲われ助かった人の、現場の声です。
心の悲鳴です。

津波が町を襲った。
建物は崩壊。
デッカイ船が町の中まで流れてきた。

自分は運よく助かった。

家族が心配。
電話はつながらない。車も流されたし、町はガレキの山。

歩いて自宅を目指す。

途中、ガレキの中からうめき声が聞こえる。
助けようと試みる。
1人の力ではガレキがまったく動かない。
15分、30分と努力を続ける。でもビクともしない。

そして、救助をあきらめる。

自宅へ歩きだす。
見捨てた自分を恥じながら歩く。

また、ガレキから呻き声が聞こえる。
今度は、ガレキが動くかもしれないと思う。
救助を試みる。

また、無力な自分を呪う。

あきらめ、歩き出す。

これを何度か繰り返す。(「今度は動くかも」と思うから、つい繰り返す)

そして、とうとう……、
呻き声を無視するようになる。

自宅まで、泣きながら歩く。
やがて涙が枯れる。
見捨てた自分を許せなくなる。

今でも許せないでいる。

被災者の生の声


このことを、関東の知人に話しました。

「それはダメでしょ」と言われました。

救助をあきらめてはダメだと。
人としてダメだと言うのです。

誰かと協力して?

みんな自分のことで精いっぱいです。
本当に必死です。
周りを見渡せば、そこは地獄絵図です。

その被災者は語ってはいませんでしたが、救助を試みているとき、
(今、自分の家族がこの状況かもしれない)
と、頭をよぎったに違いないのです。

こんなことをしている場合ではない。まずは自分の家族だ。
僕は、そう考える人を1ミリも責めません。肯定します。


キリストが、こんなことを言ったと聞いたことがあります。

大勢の村人が、1人の人間に石を投げつけています。
村人たちは「悪いことをしたからだ」と言います。

キリストは言いました。
「1度も罪を犯したことのない人だけ、石を投げなさい」と。

引用:いつかどこかで聞いた、じょーじの記憶


僕に真実を告白したこの被災者を、”非難していい人” がいるとするならば、
それは、

同じ状況下で、
救助活動を遂行し切った経験のある人

だけではないでしょうか。


僕は、これから黙祷もくとうを捧げます。







※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第707話です
※僕は、ゆかりちゃんが大好きです

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