第218話 恩師、安部先生の思い出②
安部先生は、毎月、学級通信を作ってくれた。親に渡すようにと言われたし、読むようにとも言われた。
学級通信のタイトルは『大地』だった。
先生が、ガリ版で書くのだ。刷るのも先生だ。
40年とちょい前の【通信】が、ガリ版って・・・。時代は、幾度の進化を遂げたのだろう。
ガリ版印刷って、わからない人が多いと思う。
※ 百聞は一見に如かずなので、ぜひ、検索して動画を観てほしい。『ガリ版』で、即ヒットする。
ザラザラの金属の板の上に、薄い半透明の専用用紙を置く。そして、金属のペン先で書くのだ。専用の用紙に、傷を付けるのだ。
この、書いた専用用紙の上から、インクのローラーを転がす。下に普通の紙があり、インクが写る。そういう原理だ。版画のような刷り方になる。
版画と異なるのは、鏡文字にする必要がないことだ。
今は、【通信】と言ったら、スマホだろう。SNSかlineだ。(lineもSNSなのか?)
ガリ版とスマホの間には、コピーや輪転機の時代があった。これは『刷り方』で、書き方は、ワープロという時代があり、パソコンへと進化した。
当時、自分で記事を書き、印刷して、配るなんて、めっちゃ画期的だったのだと思う。最新技術だったのだろう。
「印刷所を介さずに、個人で印刷できるなんて!」と、当時の年配者を唸らせていたのかもしれない。ガリ版印刷は、まだそこまで浸透してなかったと思うのだ。
今、クラスの運営に、スマホやらZoomやらSNSやらを、上手に活用する先生がいると思う。
当時の安部先生は、きっと、それだったんだ。
◆学級通信『大地』
先生の文字は、読みやすかった。独特の、ガリ版用のフォントだった。僕は、そのフォントが好きだった。当時は「フォント」という言葉は知らなかったけど。
大きさもそろっていて、デザイン的にもカッコ良かった。
デザインといえば、安部先生は、小技も使っていた。
筆圧の軽い斜線をたくさん引いて、『グレー』という色を付けるのだ。タイトルの背景とか、ちょっとしたところに、そういう『色』を施したのだ。
丁寧で、なにより根気の要る作業だ。
後に、僕が中学生とかになると、ほかの先生のガリ版印刷物も目にするようになったのだが、安部先生ほどの、デザイン的良さは、見たことがなかった。
◆カブトムシ
子ども(男子)は、カブトムシが好きだ。
夏休みの、僕のラジオ体操会場は、小学校の校庭だった。
たまたま、弟と早めに学校に着いたら、カブトムシが捕れた。校舎の壁にいたのだ。夜、校舎周りの灯りに、吸い寄せられたのかもしれない。
次の日も、また、カブトムシを捕まえた。
僕は、クワガタよりカブトムシが、断然に好きだった。めっちゃ興奮した。いくら田舎でも、大きなオスのカブトムシは、それは、そこそこ貴重なのだ。
その次の日。カブトムシを捕まていていることに気づいたヤツが、僕と弟より早く来て、カブトムシをゲットしやがった。
ならば、もっと早く行こうとなり、僕たちがゲット。
ヤツらが、もっと早く来やがった。ゲットならず。
ならば、もっと早く行こう。と、どんどんエスカレートして、最後は、朝4時起きするようになった。
でも、そのころには、時期が過ぎたのか、どちらもカブトムシを見つけられなくなっていた。
そんなとき、ヤツらがカブトムシをゲットして自慢した。
「え~? どこにいたの~?」
「3階~」
「え?」
「あそこ、あいてたんだ」
そこで、2組のブラザーズが合流し、4人で学校に忍び込んだ。僕が一番年上だった。(※注:ヤツらが誰か、ちっとも思い出せない)
誰もいない学校の中というのは、なんか、不思議な空間に感じた。カブトムシなんかよりも、いつしか自然に、各教室の探検に変わってしまった。
そうこうしているうちに、ラジオ体操の時間が近づき、誰かが来て、僕らが校舎に入っていたのを目撃された。
思いのほか、厳しく叱られた。顔も思い出せない、大人の人に、めっちゃ脅かされた。「先生にも言うしかない」とか「なんってことをするんだ」「とんでもない」「大事件だ」、みたいに騒がれた。
今思えば、大したことではない気もするし、叱るべきは、施錠を忘れた人な気がしないでもない。
◆『大地』✖日記
たまたま、この前後に、僕は、学級通信『大地』を読んでいた。
その月度の通信は、なんか、ほっこりする内容だったのだ。具体的なことは何も思い出せないが、なんか、安部先生の優しさを感じたのだった。
そして、学校に忍び込んで、大人に叱られた。
さらに、僕は、日記を書かなければならない。
まずは、夏休み明けに、この不祥事は安部先生にバレるだろう。ならば、ちゃんと日記に、反省を書いておこう、と思ったのだ。
書き始めると、アイディアが浮かんだ。
【叱られた】⇒【反省した】ではなく、【叱られた】⇒【大地を読んだ】⇒【反省して涙があふれた】という、盛ることを思いついたのだ。
「盛ったな」とバレる可能性もあると思った。でも、バレない可能性もあるとも思った。
バレないだろう、と判断して、盛った日記を書いた。安部先生が、喜ぶように書いたつもりだ。
夏休み明けに、安部先生に、「じょーじ。あの日記は、良かったぞ」と、ほめられた。まんまと、お褒めをゲットしたのだ。
このときだ。
僕が、(大人って、ちょろいな)と、ナメ始めたのは。
ちなみに、卒業文集で、書く内容を迷っていたら、安部先生が「あれを書け」と言ってきた。「あれ」とは、あの【盛った日記】のことだ。
僕としては、多くの人には晒したくなかったのだが、盛った罪ってヤツなのだろう。書かざるを得なかった。
後ろめたさが止まらない。ロマンティックが止まらないのとは全く違って、楽しくないし、ワクワクもしない。
◆僕が社会人になってから聞いた噂
安部先生は、奥さんも先生だったはずだ。夫婦で先生なのだ。
そして、僕が社会人になってちょっとして、噂が聞こえてきた。
「安部先生の息子がグレて、大変らしい」
という噂だった。
僕は、驚きはしなかった。少し考えればわかると思う。
学校の先生は、自分の子どもを育てるのが大変だ。
もっと正確に言うなら、『親が、【学校の先生】という子どもは、めっちゃ辛い立場だ』となる。
クラスの友だちに、親が先生と知られたなら、『成績が良くっても、当りまえ』と扱われる。もしかしたら『ズルい』とさえ扱われる。
そして、成績が少しでも振るわなかったら、『親が先生なのに?』となる。
自分の努力は認められず、不得意や不調は、まるで「ズルしても駄目だったのか?」という評価にまで下がる。
これは、子どもには【過酷な環境】と言って、間違いないと思う。
やってられない、と、僕なら思ってしまう。
この問題って、世間では、検討されているのだろうか?
はたまた、先生(親)や学校という組織が、妙案を生み出し活用しているのだろうか?
今の僕には、ちょっと、すぐには妙案が浮かばない。しっかり考えないと解決できない、けっこう難しい問題な気がする。
◆同窓会
僕の田舎には、女性の厄年のときに、同窓会をするという習わしがあって、32歳か、その辺で同窓会を行なう。関東に住んでいる僕も、その年は帰省し、同窓会に参加した。
安部先生もいらっしゃって、卒業以来の再会だった。
校長先生になっていて、でも、若く、あまり変わっていなかった。
いろいろ語りたかったが、話したいのは僕だけではないし、結局は、挨拶ぐらいしかできなかった。
幸雄くんは、先生と麻雀友だちで、しょっちゅう会っているらしかった。それは、ちょっと羨ましかったなぁ。
◆安部先生に聞きたかったこと
国語の授業でのことだ。
先生が指名し(「今日は5日だから、○○(出席番号5)くん。読んで」みたいなアレ)、誰かが読んだ教科書の文章に、『そのとき、〇〇の顔は、白樺のように真っ白だった』という一文があった。
この【白樺のように真っ白】とは、どういう意味か?ということを、安部先生は、僕たちに質問した。
僕は、(へ? そんなの決まってる。簡単すぎる。なんか裏でもあるのか? 「まるで」っていう、たとえだ。そこまで白かったっていう、強調もあるかも。え? みんな、わからないの?)、と思った。
(こんなの、自然にわかることじゃないの? これって、問題になるの? もっと、深い意味があるの?)とも、思ったりもした。
しかし、結局はそれ以外に考えようがないな、と思った。
僕と同じ答えを、言う人が現れなかった。
安部先生が僕を指名した。
僕は、つい、ウケを狙ってしまった。
「これは、白樺そっくりの、肌だったんです」と。
同級生たちは、んなことはないだろう、という空気になり、僕の狙いどおり、ややウケをゲットできた。
「白樺みたいな肌?」と先生が言った。
表情が、不思議そうだ。
ふざけちゃだめだ、って、注意されない。あれ? 先生にはウケてない。
あれ? 先生、もしかして、僕の『全力の解答』って思ってるの? もしもし?
そんな心配が生まれているのに、ややウケに引っ張られて、更なるボケを追加した。
「そもそも、白樺っぽい顔の人だった可能性もあるかな」
こういうボケは、真顔で言うに限る。「なんでやねん!」が欲しい!
同級生は、またしても、ややウケだ。なかなか爆笑は取れない。っていうか、誰か「それはないだろ~」ぐらい言ってよ~。
おお~。な、なんと。安部先生が、ますます怪訝な顔をしている。
(いや、先生は大人だ。僕の冗談だったと、わかっているはずだ)と、僕は自分に言い聞かせた。でも、一抹の不安が残った。
その学期が終わって、通信簿を見たら、国語が5から3に下がっていた。
この、真相を、安部先生に聞きたい。
本当にわかっていないと思っての【3】なのか。
授業中にふざけたからの【3】なのか。
どっちだったのだろう?
きっと、こんなことは、とっくに安部先生は忘れているだろう。だから、真相を知ることは不可能なのだ。
(憶えちゃ、いないよなぁ)という思いもあって、同窓会のときに、話せなかったのだが、今となっては「憶えていない」の一言でもいいから、やはり聞きたい。聞くべきだった。
◆〆
一昨日、家を出るときに、僕は、なにかジョークを言った。
ゆかりちゃんに、「どう? このジョークは?」と聞いたら、
「狙ってやる冗談はつまらん」と、ダメ出しされた。
いや。
狙わないで、笑いをとれるの、みんなじゃないから。
それは、ゆかりちゃんの才能だから。
言わなかったけど、そう思ったのだった。
僕は、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。
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