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持つべきは【友】で、捨てるべきは【古き悪しき慣習】ですね

僕の、このnoteの2023年11月13日の記事に誤りがありました。
訂正させていただきます。(該当記事は編集いたしました)


その記事で、僕は、『山の学校は✕年✕組』著者:島居義侑 を紹介させていただきました。
その際、「実話です」と紹介してしまったのです。これが誤りです。

小説でした。

申し訳ございません。
ごめんなさい。


「この本、本物ですよ」と、この本(『山の学校は✕年✕組』)を教えてくれた友が、僕のnoteを読んで、
「あれ? 実話でした? 僕は”創作”だと思っていました」とLINEをくれたのです。

僕のnoteを読んでくれるだけでありがたい。妻のゆかりちゃんでさえ、ちゃんと読んではくれないのに、マジでありがたい。

さらには、僕の誤りを教えてくれるなんて、大大大感謝です。
友って、ありがたいなぁ、と思いました。


それにしても、なぜ僕は、実話と思い込んでしまったのでしょうか。
人間の記憶は、つどつど上書き保存されているって、本当ですね。
記憶は常に改ざんされている。そう心得ます。

今後は、僕の記憶を過信しません。


友は、そのLINEに、動画を添付してくれました。
友は学校教育に携わっています。
教育に関係する動画でした。

短い動画です。
ゆかりちゃんも、ちゃんと観てくださいね。


子供が、1人でランドセルを選びます。
親は「え~っ!」と驚きます。

観ていて、僕も驚きました。


そして、幼かった頃の自分を思い出しました。
幼いけど僕は、分かっていたのです。
分かっていたけど、分かっていることを上手に言語化できなかっただけ。

そんな記憶がよみがえりました。


昔は、子供って 親の所有物 だったのです。

今の僕たちは「そんなの間違っている!」と思いますが、そうではない時代があったのです。
自分の考えを他者に押し付けるなんて、してはイケないと知っているし、実際にしない。でも、わが子にはしている親って、いっぱいいるハズです。

過去の慣習や文化を、ものスゴク引きずって生きています。

そういう僕も、数年前までは、
「半人前の子供に、アレコレ親が強制するなんて、当然のことじゃないか」
と思っていました。
恥ずかしながら、子はそれに従うべきだと思っていたのです。

そういう【押付け】を、教育だと信じていました。
軍国主義的な思想の名残でしょうか?


僕の肌感覚では、日本人は欧米人に比べ、
子供を「1人の人間」として尊重するのが下手です。
もしくは、ごく少数です。


子供を支配、コントロールしたがる親も間違いなら、逆に、子供を過保護に育てるのも間違いです。

なんでも「イイよイイよ」と甘やかすのも、尊重とは異なります。
子供に嫌われたくないだけの、自分が大好きなだけの親です。

子供に「ダメ」と言う親は、親の考えと同じ選択をした場合は「よし」と言います。
同じように、子供に「イイよイイよ」と同調する親は、子供が鬱陶しがるようになると「ひどい」と言って泣きます。

どちらも子供をコントロールしたがっています。
恐怖というむちでコントロールするのか、
寛容かんようという飴でコントロールするのかの、コントロール手法が違うだけ。

コントロールしたい、と思っているのは同じです。


親の自分と違う考え。違う選択。
それも善し。むしろ当然。
異なる人間なのだから。異なる人生を歩むのだから。

子供が親離れしたら寂しい。「寂しい」はいい。
でも、嬉しい。
成長したのだから。自分とは異なる人生を歩むのだから。


友が教えてくれた動画を観て、いろいろと考えさせられました。
ありがとう。






おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1311話です
※僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです


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