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第424話 ソロウォーキングするようになって、約8ヶ月も経っていた


昨年の10月31日に、「ラジオを聴きながらの散歩と運動を、ソロウォーキングに変えた」という記事を書いた。


一昨日Twitterで、

「奈星さんの、ソロ・ウォーキングを試してみた実感や気づきも知りたいです」

というコメントをいただいた。

質問してくださったのは、しげ|エールを送る人 さんだ。


僕の、古い記事を読んでくれたみたいだ。

嬉しい。

嬉しいので、ソロウォーキングを始めて8ヶ月経過の実感を、記事とする。


◆ソロウォーキングの定義

僕のいうソロウォーキングとは、ジュリア・キャメロン著の
『いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。』
で、紹介されている、散歩のことだ。

なんせ僕は、この本を、たったの8%しか読んでいない。
(モーニングページで、充分に元は取った)
(残り92%を読むのかは不明)
(アーティストデートを実践したいので、近々読む予定ではある)

だから詳しいことまでは、わからない。

長い長い、イントロダクションしか読んでいないのだ。その後の【目次】にさえたどり着いていない。

僕の理解したソロウォーキングは、
①ひとりで歩く ②スマホNG ③五感を使え(意識しろ)

という程度だ。

そして、この認識は、今も変わっていない。


◆ソロウォーキングの実践、8ヶ月の実感

いきなり結論を書こう。

①良い(やって良かった)

②これからも続ける

もちろん、これだけでは終わらない。

ゆかりちゃんは、あまり興味ないだろうが、「何が」「どう」良いのかを、ちゃんと言語化してみよう。


◆より良い人生

言語化が難しいのだが、ソロウォーキングを8ヶ月続けての実感は、

「より良い人生にするには、これって必須だなぁ」

という思いなのだ。


より良い生活を送りたい方には、「メリットが小さい」と、感じるだろう。

人生がより良くなるのだから、間接的には【生活】にも好影響はある。
しかし、生活に対して、ダイレクトな影響はない。


「人生と生活って、なんとなく、違うのはわかるけど…」

と、もやもやする人もいるハズなので、ここで、【人生】と【生活】の違いに触れる。


◆なぜ国語を学ぶのか(村上慎一著)

以前、記事に書いたが、村上慎一著『なぜ国語を学ぶのか』という、名著がある。

その一部を、再度引用する。

遠藤周作の本から引用しているところは、引用の引用になる。

 ここに一人の娘がいる、彼女はある男性を愛してしまう。が、その男はやがて大病を患い、あと五、六年の寿命しかないと診断されていたとする。あえて、その男と結婚すれば不幸になる、と周りの人に彼女はいわれるでしょう。
 「あの男性と結婚したいというあなたの気持ちはわかるけど、彼と一緒になれば、あなたは妻としてではなく、介護人として生きていかなければならない」
 と忠告されるかもしれない。そのとき彼女は、彼を選ぶか、それとも、いわゆる世間的な幸せを選ぶか、という岐路に立たされるだろう。実はこの状況というのは、彼女にとっては、人生を選ぶか、あるいは生活を選ぶかということなんです。
 病気の彼を選ぶというのは、人生を選ぶことといえるし、彼と別れて健康な男性と結婚するということは、生活を選ぶことを意味している。このような岐路に立たされる若い男女というのは、世間には大勢いると思う。
 ですから、われわれが生きていく中には人生と生活と、どちらを選ぶか、という二者択一の岐路にたびたび立たされることがある。
(遠藤周作『自分をどう愛するか<生き方編>自分づくり』青春出版社)


一旦ここで、深く考えて欲しい。

あなたは、大病を患う恋人と結婚するのか?

それとも、その恋人とは別れて、別の健康な男性と結婚するのか?

人生を選択するか?

それとも、生活を選ぶのか?


*** *** ***


この引用のあと、本文では、「古文を学ぶメリットは?」という生徒に、国語教師が次のように語る。

 古典を読むことに、生活上のメリットはほとんどない。でも、人生ということを考える上では、大切になることがある。
 人生をいかに生きるべきかと考えていく精神のことを、そのひとの「魂(たましい)」というのだと思う。古典は、その魂をみがく道具になる可能性をもっていると思っている。


◆ソロウォーキングは、主に、身体との会話

ソロウォーキングでは、スマホを自宅に置いてゆく。

ラジオも聞けないし、ひとりだから話し相手もいない。

そして、もう1つ。
僕は、あれこれ思考したり妄想したりも、原則しない。
禁止事項にしている。

もし、記事のことや、ビジネスのことをチラッと考えた場合でも、即やめるようにしている。

意識するのは、現実だけにするのだ。

現実とは、見えるもの、聞こえる音、匂い、風や空気の感触。
1番意識するのは、自分の『身体』だ。

足の動き。
カカトから着地せずツマ先から着地する「すり足」を心がけ、それをチェックする。

呼吸。
腹式呼吸を意識し、お腹のふくらみやへこみを確認する。

左投球。
右と、どう違うのかの検証と実践の繰り返し。

ダッシュ。
腕の振り方、つま先の使い方、脚の上げ方、歩幅を意識し、4回ほど繰り返す。

動くときの、身体の使われるところをチェックし、
動き終わった後の、負荷を感じた部分をチェックする。

身体と会話している感覚だ。


◆例えば、葉桜

身体を反る。バク転への布石だ。

葉桜を、真下からみることになる。太陽は斜め上にある。

この、葉桜を下から眺めるのが、僕は好きだ。

緑が美しいのだ。色がキレイなのだ。

「ああ、キレイだなぁ」と思う。


25年くらい昔、フィレンツェの街並みに、僕は感動した。
美しかったのだ。

そのときも、「ああ、キレイだなぁ」と思った。

近所の公園の、真下から見る葉桜の美しさは、フィレンツェの街並みに、けっして劣らない。

そして、感動も大差ない。


◆結論

ビジネスには、直接的には、ほとんど役立たない。

しかし、人生には、大いに役立つ。

幸せを実感できる。幸せに気づく。


ビジネスにも、間接的には役立っている。

マインドフルネス瞑想の効果と、同様の効果がある。
というか、歩きながらのマインドフルネス瞑想だし、運動しながらのマインドフルネス瞑想なのだ。

科学的に検証したわけではないが、
①怒りに駆られにくくなった
②思考のキレが増した(「良くここに気づいたなぁ」が、頻繁にある)
③ストレスをスルーするのが上達した

という実感を、僕は感じている。

ただ、①と③は、反応しない練習の実践成果かもしれない。

だから整理し、確実に言える感想は、

⋄幸せを実感したり、幸せに気づいたりする
⋄ビジネスに直接役立つわけではないが、思考のキレが増した実感がある

となる。

これが、僕が約8ヶ月間、ソロウォーキングを続けた感想だ。

おそらくは、ごく普通に、死ぬまで続けるだろう。


◆現在の運動メニュー

8ヶ月前の運動メニューは、

⋄懸垂(5回できない)
⋄腕立て伏せ3種
⋄腿上げ
⋄左手でのピッチング練習
⋄走る(ゆっくり)

だった。

今は、

⋄懸垂(MAX15回まで成長)
⋄9種のストレッチ
⋄ナナメ懸垂(懸垂のための懸垂トレーニング)(現在60回くらい)
⋄腸腰筋トレーニング

腸腰筋トレーニングとは、これ ↑ のことだ。そして、

⋄腕立て伏せ3種
⋄左投球
⋄ダッシュ(4本)

というメニューだ。

自然に、何度ものアップデートを行なった。


◆ダッシュが、面白い

今、僕の中では、ダッシュが面白い!

自転車通勤の効果もあるのか、かなり速くなった気がしている。

ただ、タイムも測っていないし、誰かと競ってもいない。
なんとかして、速くなったという、客観的な検証を行ないたい。

夏、娘の彼氏と、競争したいのは、そういう理由だ。
(この1行は、ゆかりちゃんへの前もってのお知らせだ)

勝てなくても、善戦できたなら、それだけで充分嬉しいし、惨敗なら惨敗で、益々ダッシュの練習に熱が入るだろう。

めげてヘコむなんてことは、ないと思う。


◆〆

もう、8ヶ月も経っていたのか。

まず、そう思った。

僕の足は速いが、月日の流れはもっと速い。
感覚的には、3~4ヶ月前の記事だと思っていた。


たった今、ゆかりちゃんが散歩に出かけた。
今度受ける試験の、問題集を持って出かけた。

「途中で読むの」
「散歩中に読むと、集中できるのよ」

と、そう言って出かけた。

中間管理職としてフルタイムで働き、
家事は、そのほぼ全てを行ない、
じょーじのnoteを毎日読み、
週に1度、コゆ喜賞のコメントを選び、
じょーじとの、ラジオ配信を毎日行なう。

そして、
スキルアップの勉強までしている。

さらには、
常に、明るい。

もはや、神だ。

女神だ。

他人の弁当くらい、食べたってイイ。
もし逮捕されそうになったなら、僕が代わりに自首する。

だって僕は、ゆかりちゃんが大好きで、大、大、大感謝しているのだから。




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